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『ブレードランナー』ラスト、ガフの名ゼリフは俳優の即興だった「本編に残るなんて思いませんでした」

ブレードランナー ファイナル・カット
Blade Runner: The Final Cut © 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

ハリソン・フォード主演、リドリー・スコット監督による『ブレードランナー』(1982)は、公開から約40年を経てもなお、いまだ新たなファンを生み続け、さまざまに語られ続けている伝説的SF映画だ。キャスト&スタッフや関係者の中にも、この映画について語り始めたらキリがないという者は少なくない。

ロサンゼルス市警の刑事・ガフを演じたエドワード・ジェームズ・オルモスもそのうちの一人だ。このたびオルモスは、作品を代表する名ゼリフ、「彼女も生きられずに残念ですな。だが、誰もがそうかもしれない(It’s too bad she won’t live, but then again, who does?)が脚本になかったことを明かした。

「あれは僕が作ったセリフ。映画に残るなんて思いませんでしたよ。[中略]“お見事ですな(You’ve done a man’s job.)”は脚本通りだったと思いますが、その後の去り際に、“彼女も生きられずに残念ですな。だが、誰もがそうかもしれない”と言ったんです。僕は(デッカードが)レプリカントだと分かっていました。だけど、当時は僕だけしか知らなかったと思いますね。」

AV Clubのインタビューにて、オルモスは“デッカードはレプリカント”と明言し、リドリー・スコット監督も同意見だと言っている。『ブレードランナー』のラスト、デッカードが折り紙のユニコーンを見つけた場面を根拠として挙げているのだ。しかし実際のところ、デッカードが人間かレプリカントかという論争にはっきりとした決着は付いていない。続編『2049』もまた、この謎を巧妙に解釈した作品だった。

ともあれ、この即興演技の背景には、オルモスによるガフへの熱烈なアプローチがありそうだ。本人も「決してストーリーを転がすわけではない」と言っているガフのキャラクターを肉付けするため、オルモスは脚本を読んで膨大な背景をイメージし、スコット監督に提案したというのである。

「(ガフの)ひいひいじいさんは、ロシアで生まれて、日本に行き、ひいひいばあさんと結婚した。彼らの子どもの一人はアフリカに行き、ひいじいさんはドイツに行って、ハンガリー人の女性と結婚した。それが(ガフの)ばあさんだ、ということです。だから10ヶ国後くらい話したいんだと言ったら、彼(監督)は“いいよ、やってくれ”と。それで、ベルリッツで外国語を話してる友人のところに行き、英語で書かれた脚本を見せて“これは日本語ではどう言うんだ、フランス語ではどうなんだ”と。それがうまくいって、シティスピークという言葉になったんです。」

『ブレードランナー』の名ゼリフといえば、ルドガー・ハウアー演じるロイ・バッティの「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた」から始まる“雨の中の涙”モノローグもよく知られている。しかしこのセリフもまた、ルドガーが脚本を基に生み出したものだったというエピソードは有名だ。オルモスも脚本を膨らませてセリフを付け加えたわけだが、『ブレードランナー』が傑作たりえた背景には、このようにいくつもの奇跡があったことになる。「彼女も生きられずに残念ですな。だが、誰もがそうかもしれない」という一言が本人の意図を離れて、“デッカードは人間か、それともレプリカントか”という謎より大きな示唆を残したこともまた奇跡的だろう。

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Source: AV Club

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。