【大考察】『ブレードランナー 2049』予告編映像に映り込む人類創造主“エンジニア”の影を追う!

先日2017年5月8日、リドリー・スコット製作総指揮、そしてドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による『ブレードランナー 2049』の初公開映像を満載した予告編が公開され、現在全世界的に話題沸騰中である。そして予告編公開後には、多くの『ブレードランナー』愛好家によって、その映像にみられる数々のシーンに対しての様々な考察がなされている真っ最中でもある。
2049 is just one year away.#BladeRunner 2049 – in theaters October 6, 2017. pic.twitter.com/DDJ752HXvd
— #BladeRunner 2049 (@bladerunner) 2016年10月6日
映像を観た個人的な所見をごく直感的に述べると、前作のリドリー・スコット監督による『ブレードランナー』を彷彿とさせるヴィジュアルが多数含まれているのではないかという既視感的なものを強く感じたが、前作『ブレードランナー』に関しては久しく観返していない為、記憶のなかで部分的に朧げになりつつある同作品の映像が、『ブレードランナー 2049』の予告編映像をより夢想的なものとして目に映しているのかもしれない。
今回はそんな『ブレードランナー 2049』の最新予告編映像を取り上げての話題に触れるため、改めてその映像をご覧いただきたいのだが、すでにこの予告編は繰り返し何度も鑑賞済みの方も多いであろうことを踏まえ、今回はメインの話題に突入する前の趣向を変えた前菜として、公式の純粋な予告編ではなく、IMDb(Internet Movie Database)によって公開されている、前作『ブレードランナー』映像と、新作『ブレードランナー 2049』の予告編映像を比較対照した動画を、まずご覧になっていただこう。
いかがだったであろうか?
さて、ここからが本題である。今回は、この比較映像から考察する新作のプロットではなく、新作の予告編に登場するある印象的なシーンに、前作『ブレードランナー』ではない他のSF映画に登場する重要な要素が入り込んでいる件に触れてみたい。本作品の内容や前作『ブレードランナー』のプロットとはまったく関係のない、一見すると単なるイースターエッグ的事物にも捉えられるのだが、さらに深く読み取ることにより、その裏に隠された世界観を見極めてみようという勝手気ままな試みである。
取り上げる部分は、予告編映像中の14秒から18秒あたりのシーン。ライアン・ゴズリングが演じる主人公の新任ブレードランナー、LAPD(ロサンゼルス市警察)の捜査官Kが、タイレル社の中を秘書のような女性に案内されながら歩いている様子が映し出されている。その古代遺跡のような通路の階段の両脇には、透明なケースに入った人体標本らしきものが飾られている。大いに目を引くシーンだが、プロットから順当に考えれば、飾られているのは“レプリカント”のプロトタイプあるいは歴代サンプル的なものだろうと推測される。ちなみに前作『ブレードランナー』を未鑑賞の方のために簡単な補足をすると、レプリカントというのは、遺伝子工学によって開発された人造人間であり、タイレル社というのはその開発元の企業である。より詳しく知りたい方はぜひ本編をご覧いただきたい。
しかしこの予告編映像を初めて観た際に何よりも先に頭に浮かんだのは、該当するシーンの画面向かって右側の一番手前の人体標本が、現在本作品と同じく大きな話題となっている、リドリー・スコット監督作品『エイリアン:コヴェナント』と、その前作『プロメテウス』に登場する地球外知的生命体、“エンジニア”と呼ばれる存在にあまりにも似すぎていることだった。
Honor? Punishment? Rebirth? Why do you think that the Engineer drank the deadly black liquid? pic.twitter.com/XkHO7CqQ4K
— Prometheus (@PrometheusMovie) 2016年1月20日
『ブレードランナー 2049』にエンジニアは登場するか
では、この標本がはたしてエンジニアなのかということに関して独自の考察を展開してみたい。
『ブレードランナー 2049』の舞台となっているのはタイトルの通り2049年、一方『プロメテウス』の舞台は、冒頭の地球での遺跡調査シーンでは2089年、そしてプロメテウス号がLV-223に到着するのは2093年だと設定されている。つまり2049年時点では、エンジニアという存在はおそらく人類には知られていないということになるかもしれない。またもうひとつ大きな問題として、『ブレードランナー』と『エイリアン』は同軸の世界を舞台とした物語なのかということがある。