『ツイン・ピークス The Return』デヴィッド・リンチの原点『ブルーベルベット』は、なぜ「最もリンチらしい映画」なのか
大ヒットドラマ『ツイン・ピークス』(1990-1991)の続編『ツイン・ピークス The Return』(2017)が2017年7月22日に日本で放送開始されます。
全米ABCネットワークで放送された同作は、女子高生ローラ・パーマーが死体となって発見されたことをきっかけに、平和な田舎町ツイン・ピークスに潜んでいた不気味な人間関係が明らかになっていくというミステリーで、日本では1991年にWOWOW開局時の目玉として放送されていました。
続編となる『The Return』では映画監督でシリーズの産みの親であるデヴィッド・リンチが全話演出を担当し、脚本も共同で手掛けています。
リンチは『インランド・エンパイア』(2006)以降、長編の映像作品を発表しておらず、久しぶりの長編作品。
また、リンチは映画監督からの引退を宣言しており、『ツイン・ピークス』が最後の作品になる可能性があります。
リンチのような極めて個性的な映像作家が引退するのは実に残念なことです。
今回は最後の作品かもしれない『ツイン・ピークス The Return』の日本放送に先駆け、彼の芸風を代表作『ブルーベルベット』(1986)から振り返ってみようと思います。
最もリンチらしい映画『ブルーベルベット』
『ブルーベルベット』(1986)は映像作家デヴィッド・リンチが自己を確立した作品と言い得る作品です。
自主制作映画『イレイザーヘッド』(1977)でデビューしたリンチは『エレファント・マン』(1986)でアカデミー賞候補となり大きな飛躍を果たします。
SF小説を原作とした『デューン/砂の惑星』(1984)は残念ながら興行的失敗に終わってしまいましたが、続けて制作されたのが『ブルーベルベット』は今日では「カルトの名作」として高い評価を得ています。
この映画は極めてリンチらしいモチーフが出現し、後に常連となるスタッフ、キャストが揃ったターニングポイントとも言えます。
以後、複数の作品でリンチと関わることになる音楽のアンジェ・パダラメンティ、常連俳優となるローラ・ダーンはこれが初参加です。
ポップ・ミュージックやロック・ミュージックが大胆に取り入れられるようになったのも本作からで、(ボビー・ヴィントンの『ブルー・ベルベット』や、ロイ・オービソンの『イン・ドリームス』などが使用されている)「田舎町で起きるミステリー」という枠組みは『ツイン・ピークス』へとつながる雛形ともいえるものです。
さらに『ブルーベルベット』は『エレファント・マン』や『ストレイト・ストーリー』(1999)のような「らしくない」感動作ではありません。
それでいて『インランド・エンパイア』や『マルホランド・ドライブ』(2001)のように抽象的な方向に振り切っていないある程度は辻褄のあった物語になっています。
つまり極めてデヴィッド・リンチらしいにも関わらず極端に見辛くはない入門編に相応しい内容とも言えます。
絵画的な映像
リンチの映画は極めて絵画的です。
画面内の動きが少なく、カメラもあまり動かなければ被写体の動きも控えめです。
彼の撮っているものはあくまでも映画なので動画として見苦しくならない最低限の動きはありますが、全体として静止画を思わせるような風合いがあります。
若き日のリンチは美術学校に通い、オスカー・ココシュカに弟子入りしようとしていました。
映画はその歴史のおいて絵画から多大な影響を受けていますが、リンチの映画は実に絵画的です。
シュールレアリスムを愛するリンチらしく、シュールレアリスム絵画を思わせる表現もあります。
その最たる例が劇中にキーアイテムとして登場する「蟻のたかった耳」です。
蟻はシュールレアリスムの代表画家である、サルバドール・ダリ(1904-1989)の絵画に度々登場するモチーフです。
ダリは「食べられる物」に執着した画家で、「食べることができる物」の表現として「蟻をたからせる」という手法を取りました。
有名な歪んだ時計に蟻がたかっている絵はそれが「食べられるもの」であることを意味する表現です。
また、ダリは曲線を愛した画家で耳をモチーフにした作品もあります。耳は曲線で構成されていますのでダリにはそれが理想的な形に思えたのでしょう。
ダリの『システィーナの聖母』(1958)は近くで見ると灰色の抽象画ですが離れた位置から見ると巨大な耳が浮かび上がるようになっています。
現実と妄想のはざま
リンチの映画では現実と妄想は地続きの世界です。
主人子のジェフリー(カイル・マクラクラン)が刑事の家に向かう道程で歩いているジェフリーに耳の映像がオーバーラップし、耳にクローズアップしていきます。
クローズアップしたカメラは耳穴の暗闇に潜り込み、画面は真っ暗にブラックアウトします。
ジェフリーの動きは奥から手前へ、耳には手前から奥へとクローズアップ。
この二つがオーバーラップすることでまるでジェフリーが外耳道孔を入って外耳道のトンネルへと入り込んでいくように見えます。
このシーンは耳を通して異界、恐らくは妄想の世界へと入っていくメタファーです。
『ブルーベルベット』一応、辻褄のあっている映画ですが、ところどころ明らかにおかしな点があります。
その最もわかりやすい例が、件の「耳の中に入っていく」シーンのその次のシーンである刑事の家での一連のやり取りです。
去り際にジェフリーは刑事の娘である「サンディ(ローラ・ダーン)によろしく」と言っていますが、家を出てからのシーンでサンディに出くわすとまるで初対面であるかのような振る舞いをします。
この先はもはや現実なのか妄想なのかが曖昧です。
一応話の辻褄はあっていますが、フランク(デニス・ホッパー)という常軌を逸して凶暴な人物が登場し、ベン(ディーン・ストックウェル)の家では突如ミュージカル調の演出になります。
この映画は徹頭徹尾ジェフリー一人称の物語です。
ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)の家でクローゼットに隠れたジェフリーは、クローゼットの隙間から放送禁止用語を連呼しながらフランクがドロシーを暴行する非日常的な光景を目の当たりにしますが、ここは徹底してジェフリーのPOV(主観映像)になっています。
つまり、この光景はジェフリーという主観のフィルターを通した映像であり、彼の脳内でバイアスがかかった光景か、あるいはジェフリーの完全な妄想です。
この「何かを通じて異界に入り込む」という表現は『マルホランド・ドライブ』にも受け継がれています。
『マルホランド・ドライブ』は『ブルーベルベット』よりも抽象的で観念的であり、「現実と妄想の地続き感」をより推進した内容と言えます。
ユニークな作家性
『ブルーベルベット』一本を見るだけでもデヴィッド・リンチという映画監督がどれほど個性的であるかがよくわかります。
『ブルーベルベット』のような田舎町を舞台にしたミステリーは数多くありますが、それがこのようなアーティスティックな作風に着地している例となると代表例を挙げるのに窮します。
彼が引退宣言を撤回しない限りリンチの長編映像作品は『ツイン・ピークス』が最後となってしまいますが、映像作家デヴィッド・リンチの個性は今後も評価を得続けることでしょう。
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