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劇場でデヴィッドに寄り添ってあげてきてください。映画『或る終焉』感想レビュー

映画『或る終焉』評価・感想

病気が治ることはなく 残された余命が残り僅かの終末期患者の介護をする看護師 デヴィッド(ティム・ロス)の心の葛藤を描いた作品だ。

映画の楽しみ方というのはいくつかパターンがあると思う。


登場人物に自分を重ねる
現実では起こり得ない出来事を疑似体験する
他人の生活を覗き見する

今作においてはカメラ固定の長回しが多様されており、覗き見の色合いが強かった気がする。

冒頭、車の中からある家を眺める主観映像から始まるのだが まるで自分が車内にいる感覚に陥る。

そして動き出す車
しばらくしてから運転しているのがデヴィッドだと分かる。
観客は助手席にいるかのよう。

時に後部座席へ 時にデヴィッドの自宅へ 時に仕事現場へと場所を変えながら、ぼくらはデヴィッドが行く先々に同行していく。

ひとりでいる時の孤独なデヴィッドを
終末期患者の心に寄り添い 嫌な顔一つせず介護するデヴィッドを
心に抱えた問題を解決できず苦しんでいるデヴィッドを
ぼくらは終始彼覗き見していく。

口出しの一切できない透明な登場人物として、起きている現象のすべてを体感していく。

CHRONIC-2

デヴィッドは明らかに何かを抱えている。
それが何であるのかは最後まで明言されない。

だが、彼の行動や他者との会話によってそれが予測できる。
不可解であった彼の行動の数々にも合点がいく。

予測できた頃には 無言の同行者として長い時間を経ているため、ぼくらはデヴィッドを救ってあげたくなるはずだ。
だが、ぼくらには何もできない
彼に話しかけることもできなければ、抱きしめてあげることすらできない。

彼は思いの丈を吐露することもない
その機会を求めていたようにも見えるが、それをしない
求める答えを得ることはもう不可能だと分かっていたのだと思う。

それを分かっていながらも、彼は答えを得ようと生きている 走っているように感じられた。

終わりのない自問自答を繰り返している彼にようやく気が付けた時には物語が終わってしまう。

デヴィッドに同行していたぼくは何もできなかった。
そんなもん物理的に不可能なのは分かっちゃいるが、仮にあの場にいたとしても ぼくは呆然とし突っ立ったまま何もできなかったと思う。

或る終焉

アメリカン・スナイパー以来、久々に無音のエンドロールを見た気がする。

エンドロール中、ぼくはデヴィッドのことしか考えられなかった。

多くを語ると作品を楽しむ要素を奪ってしまいかねない。

ぜひ劇場で彼が辿る道を覗き見してきてください。

デヴィッドに寄り添ってあげてきてください。

Writer

ミヤザキタケル
ミヤザキタケル

映画アドバイザー 元俳優 ライター 映画イベントMC。Instagramを中心に最新映画から懐かしの映画まで幅広く紹介。「ファイトクラブ」 「GO」「男はつらいよ」がバイブル。好きな監督はウディ・アレン。お仕事のご依頼はa.safety.pin.storm@gmail.comまでお願い致します。

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