『エディントンへようこそ』アリ・アスター監督 単独インタビュー解説 ─ 「ホアキンには危険なところがある、だから面白い」
いやー、実現するかはわからないです。でも、もっと今の僕たちのモダン・ライフについての映画を作りたいかな。
──それは『エディントンへようこそ』の世界につながるものですか?
というか、今回の企画、つまり現代社会やインターネットについての企画につながるものかもしれません。
──つまり、必ずしも今作のキャラクターを描くものではないと。
そういうことですね。
──『ミッドサマー』のような過去作の続編製作を考えたことはありますか?
ありますよ。でも、今はノープランです。
──ちなみに、どの作品ですか?
『ヘレディタリー/継承』です。どうなるかな。
──本当ですか!ドラマでも映画でも良さそうですね。
ドラマではないかな。映画がいい。
──どれくらい考えているんですか?何か執筆を始めている?
さて、どうでしょう。僕は迷信深いので、具体的ではないことは話しません。
──本作で社会的な分断を描くにあたって、何かショックを受けた実体験や、「これを映画に取り入れたい」と感じたことはありましたか?
いや、どちらかというと“空気感”です。環境そのもの。あの空気の中で僕が感じたこと、今でも感じていること。かつては考えられなかったようなことが現実になって、とても生々しくなっている。価値観も大きく変化したと思いますし、集合的な意識さえ変わってしまったと思う。私たちが今どこに向かっているのかは分かりませんが、どこかに“向かっている”という感覚はわかる。それが心配なんです。

──あなたの家族の描き方に関心があります。あなたの物語では、家族はしばしば安心できる場所ではなく、痛みとともに対峙しなければならないものとして描かれる。本作でもそうです。ジョーは妻を愛していましたが、でも……。つまり、あなたは家族を「試練」のように描くことがあり、度々その題材を取り扱っている。
家族は単なる素材ですね。誰にでも家族はあるし、家族とは関わり続けないといけないし。それが面白いと思ったんです。家族は安らぎにもなるし、碇にもなるし、罠にもなる。
今作の場合、ホアキン・フェニックスが演じたジョー・クロスは妻を愛しているけど、妻のことを理解していない。妻には、彼が到底理解できない過去があって、彼も、そして本人の母親でさえも向き合えない。

そういう意味で本作は、“否認”についての物語でもある。あの家族は“否認”によって形作られているようなもので、彼女はその環境から逃げ出したいと思っている。でも同時に、彼女は別のものに惹かれてしまう。それもそれで、また毒性のものなのかもしれないのにね。

暴力、陰謀論、SNSの暴走がすべてを焼き尽くす“炎上スリラー”『エディントンへようこそ』は2025年12月12日公開。




























