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【解説】青春グラフィティの傑作『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』から読むリチャード・リンクレイター作品の「有限性」の哲学

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』や『6才のボクが、大人になるまで。』など数々の傑作を世に送り出してきたリチャード・リンクレイター監督の最新作が遂に日本上陸です。『エブリヴバディ・ウォンツ・サム!!』というタイトルがヴァン・ヘイレンの曲名の引用になっていることからわかる通り、この映画はアメリカが人類史上最も豊かで自由な時代を謳歌していた80年代という時期に、これまた人生で最も自由な期間を生きる大学生たちの姿を描く作品です。どこか懐かしささえ感じさせるチープで原色も鮮やかな映像に、いまにも身体を動かしたくなる往年の名曲をのせて、好きなことに全力で打ち込む男たちの青春が輝かしくスクリーンに映ります。そんな本作の魅力を、リンクレイター監督の過去作と比較しながら考察します!

新学期が始まるまでの「無敵」の3日間

『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』の物語は、野球推薦で大学入学を決めた主人公のジェイクが、野球部員向けの寮に越してくるところから始まります。新天地で彼を出迎えたのは、何事にも負けず嫌いで話すことといえば女と酒、いい加減で粗野な部分もあるけど親しみやすい野球部の部員たち。胃もたれするぐらい個性の強くキャラも立っている彼らが、退屈な授業も、厳しい野球の練習もなく、ただひたすらに持て余した時間を好きなことにつぎ込む新学期開始直前3日間を過ごすさまをひたすら映し続けるのが、この映画なのです。

目立った事件は起きません。昼間は家の中か裏庭でバスケットボール、夜が更ければ街に繰り出してディスコで踊り、パーティーで乱痴気騒ぎです。抑揚のある筋書きではありません。映画的な華やかさはたしかにあるものの、ありえなくはない大学生たちの生活です。しかし、これが面白いのです。まるで部員の中に混じり、彼らの友だちとして会話を聞いているかのように、バカらしくもテンポの良い軽妙なことばのやり取りに身をゆだね、楽しむことができてしまいます。そして一見変化のない日々のやり取りの中にも、たしかに人間関係の深まりとそれぞれの成長が読み取れるのです。その変化の中心にいるのが主人公のジェイクといえるでしょう。

なにげなく自分の感じるままに過ごした日常が、たとえわずかではあっても、まるで数万年かけて陸と海の形を変えていく地殻変動のように、人生に変化をもたらし、やがてその人にとってかけがえのない糧となっていく‥‥映画全体としては、そういう構造になっていると思います。

リンクレイターが繰り返し描く人生の「節目」と「終わり」

大きな変化を盛り込まず、”地殻変動”的に人間の成長を描くナラティブは、まさしくリチャード・リンクレイター的です。ここで『エブリバディ・ウォンツ・サム』についての考察を深める前に、まずはリンクレイター監督の過去作に一貫するテーマを検証してみましょう。

リンクレイター監督作品で重視されるテーマ

彼の作品では人生の「節目」が重視されます。たとえば『ビフォア・サンライズ』は飛行機の時間が来る翌朝までというタイムリミットが設定されたデート、その後のシリーズ作で描かれる大人になった主人公たちが味わう人生の現実は、出産や子育て、自己実現といった人生の節目を強烈に意識させるものとなっているし、『6才のボクが、大人になるまで。』は引っ越し、初恋、大学入学など、同じくひとりの人間の一生を方向付ける節目が物語の肝になってゆきます。

誕生、初恋、就職、結婚、出産など、いくつもの節目を重ねていくと、最後には死という節目が待っています。人生の節目=ミッションをクリアした先に死という終わりがあるのです。ほとんどの人は日々の生活をただ何となく、当然のように明日が来るものと思って暮らしていることでしょう。死という終わりは意識しません。だいたい目の前の出来事に対処するのに忙しくて、いちいちそんなことなど気にしていられません。しかし、どれだけ現実に実感がないとしても人生には終わりがあり、したがってなにげなく消費している時間にも限りがあります。

時間の有限性を自覚するということはすなわち、終わりを意識するということです。そして、終わり=死を意識せざるを得なくなるのが人生における大きなイベント=節目であり、そこから自覚される「時の流れ」なのでしょう。『ビフォア・サンライズ』では朝までしか一緒にいられないというルールがあらかじめ設定されており、つねに別れを意識せざるを得ない構成になっています。また『6歳のボクが、大人になるまで。』は6歳の少年が大学生になるまでを実際に12年かけて撮影することで主人公の著しい身体的成長や、それに対置する形でどんどん老け込んでいく父や母の姿を映し出し、否応なくその先にある人生の終焉を意識させることで、時間の尊さや残酷さを観客の心に刻み込んでいるのです。

終わりがあるということは、使える時間は有限であり、使える時間が有限であるということは、必然的に一つひとつのイベントや一瞬の出来事の価値は高まります。人間だれもがいつか死を迎えるという虚しい現実から「限りある人生を悔いなく生きる」「一瞬を大切に過ごす」という、リンクレイター作品の前向きで切実なメッセージが紡ぎだされていくのです。

人生最後のモラトリアム期間を切なく描く『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』

最後になりますが、ここでやっと『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』の話に戻ります。振り返ってみると、本作でも「新学期まであと3日」というタイムリミットが有効に使われていましたね。大学生活はおそらく人生で最も自由で無責任で好きなことをやり尽くせる期間でしょう。主人公のジェイコブも目の前に広がる無限の可能性に期待し、ワクワクする気持ちを抑えきれず、どこか全能感に酔いしれてすらいます。しかし、本編でいくつか示されているように、やがては彼も大学を卒業し、社会に進出していきます。まだ始まってすらいない大学生活は永遠に限りなく、いつまでも続くかのように錯覚してしまいますが、どんなに願ってもいつか終わりはくるのです。

30歳になってもまだ大学に居座り野球を続けようとする男が本作には登場します。彼は本作のテーマに反抗する生き方を示しているのではないでしょうか。時間の流れに抗うことはできません。ピーターパン的な生き方には、ほとんどウソに近いものを感じます。ただひたすら、虚しいのです。

終わりがあることはもちろん悲しいけど、かといって終わりを無視して生きようとするのも、避けられない結果に抗う無駄なエネルギーを消費しているようで、虚しいでしょう。むしろゴールがあるからこそ、それまでの道のりは楽しく、一瞬一瞬が輝いて感じられるのです。だから刹那をまじめに丁寧に、後悔のないに生きようというのがリンクレイター作品の繰り返し説いているメッセージなのではないでしょうか。

「人生の最後に悔やむのはやったことではなく、やり残したことだ」という本編中のセリフが、彼の作品の精神性をすべて表しているような気がしてなりません。本作は80年代のアメリカを舞台にしていますが、この時代に大学生をやっていたということは、ジェイコブたちも今や家庭をもついい歳のおじさんになっているはずです。つまり作品の背景設定からして人生の「節目」を意識させるからくりが仕込まれているわけですが、彼らは一体どんな人生を歩んだのでしょう。いまもアメリカのどこかで元気に明るく笑っている…かもしれませんね。

Writer

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トガワ イッペー

和洋様々なジャンルの映画を鑑賞しています。とくにMCUやDCEUなどアメコミ映画が大好き。ライター名は「ウルトラQ」のキャラクターからとりました。「ウルトラQ」は万城目君だけじゃないんです。

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