極めて知的な意欲作『FIVE PERCENT MAN』レビュー【SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016上映作品】

『FIVE PERCENT MAN』あらすじ
本気で映画を作るために会社を辞めた岸田は、密着番組の取材を受けている。
そこへ同じように映画を志す山口という女性から、人生をかけた作品のために
タダ同然で協力してほしいと電話がかかってくる。
博報堂に5年間勤務した後、東京藝術大学大学院映像研究科を経て
プロデューサー/ディレクターとして活動している田中雄之監督作品。
【レビュー】
かなりハッキリとしたテーマが描かれている作品だ。
そして、非常に緻密に構成されている作品でもある。
会社を辞めて、退路を断った状態で映画製作を生業にしようとしている岸田。
対して、会社員として働きながら、半ばボランティアに近い形でスタッフを募り、
映画製作を実現させている山口。ふたりは明確に対立軸として提示されている。
ふたりとも見ている夢は同じ映画製作なのだが、捉え方が違う。
岸田にとって、夢を叶えることと生活することはイコールだ。
ゆえに、プロとして相応のギャランティを保障することは当たり前であり、大前提。
一方、山口は夢と生活とを全く別個のものと捉えている。
夢を実現させるために、別の手段で生活を保障しているし、そうすべきだと思っている。
ゆえに、夢の実現の過程で”金”を要求することに嫌悪すら抱いている。
岸田と山口それぞれの考え方が交わることは決してなく、
両者の考え方の違いは、他の人々の言葉によっても浮き彫りになっていく。
そして、この問題に関する監督の考え方は明確だ。
根拠はタイトル『FIVE PERCENT MAN』にある。
これは、”FIVE PERCENT NATION”をもじったものだと思うが、
『世の中の85%は無自覚で簡単に間違った方に流される人々
世の中の10%は無自覚な人々を支配し調教する人々
残りの5%は真実を知る聡明な人々』
というファイヴ・パーセンターズの考え方に当てはめながら本編を見ていくと、
『インディペンデント映画製作者の85%=山口のスタッフたちのような無自覚な人々
〃の10%=山口のような理論でスタッフやキャストを支配する人々
〃の5%=正解にたどりつき、活動している人々(岸田ら)』
という図式がハッキリと見えてくる。
“夢”という言葉のために、金銭的な犠牲を強いる図式は
映画製作の現場に限ったことではないが、
問題は、当事者たちがあまりにも無自覚なことだ。
田中監督は、この問題提起を端的かつ丁寧に提示していく。
- 密着カメラのディレクターが”テレビ局の人”だというセリフ
→かつての岸田/現在の山口と同程度の年収の人間であり、
あくまでも”夢”のためではなく、業務の一環としての撮影であることを明確にすることで、
彼らは”インディペンデント映画製作”とは別次元にいる中立的立場であることを提示。
(これにより、ディレクターから発せられる質問に公平性と説得力が出てくる) - 岸田と山口の電話で発せられる”年収1000万”という言葉
→かつての岸田/現在の山口がどの程度の生活レベルなのかを暗示。 - 山口の作品のスタッフや監督へのインタビュー
→”無自覚な人々”が山口の考え方に支配されている様を描く。 - 岸田とスタッフとの会話
→岸田の考え方を、岸田からギャランティを受け取る立場の人間として代弁。 - 岸田が新聞を手に入れるために渡す200円
→自分都合で相手の新聞を奪うために、駅売り値段以上の金銭を渡すことにより、
岸田の”報酬”に対する考え方を行動で証明。 - 最後の山口からのメールの文面
→山口のような考え方が、いかに根深く浸透しているのかを暗示。
このように、すべての台詞や描写に一切の無駄がない。
しかし、自然な会話の流れ、説得力のある設定、役者の演技力などにより、
その緻密さはカモフラージュされ、まるでドキュメンタリーのような生々しさを纏っている。
インディペンデント映画業界における問題点を明確に示し、
いかにそれが根深く、多くの人間が洗脳されてしまっているのかを暗示する。
しかも、”いかにもインディーズ”感漂うドキュメンタリータッチの演出を使って。
おしつけがましさ抜きに明確な意志をスパッと示した、極めて知的かつ鋭い意欲作。
それが『FIVE PERCENT MAN』の印象だ。
『FIVE PERCENT MAN』 (C)2016 Koto Production Inc.