ヒュー・ジャックマン来日、ジャーナリズム語る ─ 映画『フロントランナー』記者会見(写真26枚)

アメリカが失ったゲイリー・ハート 先見の明
ジョン・F・ケネディの再来と呼ばれ、絶大な支持を集めていたゲイリー・ハート。膨大なリサーチを重ねたヒューにとって、スキャンダルの発覚まで、ゲイリーが国民の心を掴んでいた理由は何だったと思うか。こう尋ねられたヒューは、「まだご存命の人物を演じるのは初めてでした。御本人が映画を見られるということを考えると、すごく責任を感じましたね」と神妙に語る。
「人生におけるストーリーを語るというのは、おそらく最も良い教訓になると思うんです。他人のストーリーを語るというのは、大きな責任が伴うもの。
ゲイリーは理想主義者で、若者 をインスパイアしていました。ジョン・F・ケネディの再来と言われた、物事を変えられるタイプの政治家でした。ゲイリー御本人は、”私の唯一の能力は、未来10〜20年を見渡せることだ”と仰っていました。実際にそうなんです。1981年、スティーブ・ジョブズとガレージでランチを共にしていて、ワシントン.D.Cに戻っては”これからの教育は情報と科学が基本になっていくから、すべての教室にコンピューターを置くべきだ”と主張しているんです。1983年には、アメリカの石油依存が中東との対立を生む、と予見していたり、1984年にはゴルバチョフ書記長と会っていて、『スターウォーズ計画』の頃に冷戦は終結しており、ロシアが退くと権力の溝が生じて、中東の過激派を生みかねないと語っていました。それから、2000年にはテロの脅威を予見した警告レポートも書いているんです。
こんな風に、ちゃんと未来を見渡せるリーダーが大統領になっていたら、どうなっていただろう。若者に対し、未来を見よと説く。そんなところが愛されていて、今なお愛されているのだと思います。」

ヒュー・ジャックマンとジャーナリズム
続けて、SNSの登場はジャーナリズムにどのような変化を与えたか。もしもゲイリー・ハートが現在も政治家だったら、SNSを活用していたと思うか、と尋ねられると、「とても良い質問ですね。ありがとうございます」と喜んだ。
「ジョージ・ステファノプロスという人物をご存知でしょうか。アメリカのジャーナリストで、クリントン政権の広報担当でした。彼はゲイリー・ハートの出来事を見て、全てが変わったと言っています。マスコミがアクセスできるところに制限がなくなったと。政治家が、政治的なリーダーのみならず、人から好かれて共感できる人物でもなければならない状況になりました。全てが変わったんです。
ジョージは僕に言いました。今は動きが速すぎる、ついて行けないと。あらゆる物事が素早く、リアルタイムで発生する。皆さんも記者として体感されていると思いますが、物事がスルスルと起こる。政治家、宣伝、スローガン…、こういったマーケティングの現場は、実際にはとっ散らかっています。いろいろな事が刹那的に起こり、リアルタイムで動くので、素早い対応と決断が求められる。
そんな現在に政治に携わろうというのは、とても難しいことだと思います。政治家としてもそうですし、記者としてもですね。考える時間がない。たとえば1997年頃は、夜の11時が締切と決まっていて、少なくとも一日中執筆ができた。でも今は、すぐに書かなければいけない。すごく難しいのでしょう。僕には難しくて、記者はやれないと思う。大変な仕事だと思います。僕が大学を卒業してから、難易度はどんどん上がっています。記者にとっては、仕事も少なくなっているし。経験値も求められなくなっているでしょう。だって今じゃブログで誰でも記事が書けますからね。変化が早い世界ですから、僕は記者の皆さんをすごく尊敬しています。
ゲイリーはSNSをあまり好かないと思いますね(笑)。彼のキャンペーン・チームの方に言われました。どういう内容だったかは忘れてしまいましたが、チームが”コレをやろう”と提案しても、ゲイリーが止めるんですって。”それは今日の観点では効くかもしれないけど、我々はホワイトハウスに8年はいるつもりだ。私のあらゆる発言と政策は、すべての国の今後8年間にとって利益になるものであるべき”と。8年間を見渡して物事を考えているんです。だからポイント稼ぎとその場の議論に勝つためだけの発言は止めなさい、と。彼はそういうリーダーなんです。ただ当選したいという動機だけじゃなくて、善き行いをしたいという動機でいた方なんです。」