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「MeToo」から読み解く『ゲティ家の身代金』 ― 前例なき再撮影で実現した、名優と監督による達成とは

ゲティ家の身代金
©2017 ALL THE MONEY US, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

映画界の大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ騒動は燎原の火のように燃え広がっていき、いまなおハリウッドでは火種がくすぶっている。欧米では、この映画業界の一大スキャンダルに端を発するセクハラ撲滅運動(「#MeToo(私も)」「Time’s Up(もう、おしまい)」)も各地を駆け巡り、いまやハリウッドに収まりきらない世界的な社会問題として広く認知されている。

こうした運動にあやかる形で多くの女優たちが被害を発露し、ケイト・ブランシェットやアンジェリーナ・ジョリーら大物女優が一様にして声をあげた。セクハラ告発ムーブメントの熱気が高まる業界では、これら一連の騒動を受けて、一本の作品がお蔵入り寸前の危機に瀕していた。それこそが本作『ゲティ家の身代金』だ。

『ユージュアル・サクペクツ』(1995)、『アメリカン・ビューティー』(1999)のオスカー俳優ケヴィン・スペイシーが石油王ジャン・ポール・ゲティ役を演じ、撮影も滞りなく完了した状況の中、それは起こった。スペイシーが過去に行った当時14歳の少年に対するセクハラ疑惑が発覚し、なんと米国公開ひと月半前にして異例の降板劇が巻き起こったのだ。ここでは、フェミニズム映画としての観点から作品の本質を紐解いていく中で、トラブル続きの映画製作にも言及しつつ、考察していきたい。

フェミニズム映画の新たな傑作

1973年7月、夜のローマ。石油王ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)(以下、ゲティ)の孫、ジョン・ポール・ゲティ三世(チャーリー・プラマー)(以下、ポール)は、観光客で賑わうロマンティックな繁華街を抜けて、娼婦が根城にする薄暗い通りをひとり散策していた。この冒頭に映したわずか20~30秒足らずのモノクローム映像は、次第にゆっくりとカラー映像へ推移し、このあとに起こる煩雑な事件のはじまりを告げているようだ。

新星チャーリー・プラマー(クリストファー・プラマーとの血縁関係はない)が演じる青年ポールは、まだ少年の雰囲気が残るあどけない顔立ちだが、冒頭シーンでは娼婦の誘惑を気にも留めずに飄々(ひょうひょう)とした態度で夜を楽しんでいる。しかし、17歳の青年ポールは何者かによって拉致され、観客たちをこの誘拐事件の混沌へと瞬く間に誘うのだ。この1973年に起きた実際の身代金誘拐事件は、後に身代金の支払を拒んだ祖父ゲティの振舞なども話題となり、ここ日本においても大々的に報じられることとなる。

石油会社を設立し、巨万の富を築いたゲティ。彼の懐具合はまさに当時世界一で、その総資産はおよそ50億ドル(当時のレートで1.4兆円)にも及ぶという。しかし彼は、巨額の総資産を有しておきながらも、孫の身代金1,700万ドル(50億円)さえ支払うことを拒否する、稀代の守銭奴であった。本作で描き出されるのは、誘拐された息子ポールを救い出すために尽力する母アビゲイル・ハリス(ミシェル・ウィリアムズ)(以下、ゲイル)と、石油王ゲティの物語だ。

誘拐犯からの身代金要求と、義父ゲティとの駆け引きに苦境するゲイルは、重度なる困難が降りかかろうとも決して諦めることをしない、一本芯の通った強い女性像を見事に体現している。そしてこの映画では男性優位の社会を生き抜く、鋼鉄のような信念を持ち合わせたただ一人の女性として、ゲイルの存在感は美しく輝いている。まさに、セクハラ被害を告発する勇気あるハリウッドの女優たちの意志、あるいは意地のようなものと共鳴しているようにも感じてしまう。そういったキャラクターである。ゆえに本作は、フェミニズム映画としての側面を極めて強く訴えているだけでなく、映画業界に根付くジェンダー間の格差を暗に、しかし明確にテーマとして扱っているのが分かるはずだ。本当にタイムリーな問題を備えた社会派ドラマであり、傑出したフェミニズム映画であると言えるだろう。

女性の活躍や男女同権を求める動きは近年再び注目されている。特に映画業界では前述したワインスタインのセクハラ問題を発端とする形で徐々に過熱している。そうした中でリドリー・スコット監督の撮る映画は、現代ハリウッドの実情に即した作品として評価するべきものが多い。例えば彼の代表作である『エイリアン』(1979)や『テルマ&ルイーズ』(1991)などは強く逞しい女性を描いているだけでなく、そこに付随するかたちで女性の公的領域への拡張を訴えているような気がしてならない。そういった意味で、『ゲティ家の身代金』も昨今における性的暴行事件などの闇を抱えるハリウッドの実態にノーを突き付けている作品なのである。

本作で母ゲイル役を務めたのは、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016)や『ワンダーストラック』(2017)などで様々な母親像を演じてきたオスカー女優ミシェル・ウィリアムズだ。心優しき母親役を演じさせれば右に出るものはいないのではないかと思うほど、昨今の出演作において理想的な母親像を体現して見せている。息子を救うために奮闘する母ゲイルが闘うのは、息子を誘拐した犯行グループ──ではなく、義父のジャン・ポール・ゲティだった。誘拐犯が突き付けてきたのは身代金1,700万ドル。しかし石油王ゲティは、実の孫が誘拐されても顔色一つ変えることなく、要求された支払を断固拒否する。

ゲティ家の身代金
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世界一の大富豪であり、そして同時に世界一の守銭奴だったゲティ。だがそんな彼も、世界中の高価な美術品を集めるという趣味があり、ルネサンス期の聖母子画には迷いなくお金を支払うシーンがある。そう、彼にとってはこうした美術品こそが唯一の家族であり、そして唯一の心の拠りどころとして絶対の愛情を示している。誰もがうらやむ権力と財を有してもなお、心の欠落が満たされることはない、冷酷で哀れな男なのだ。某カード会社の「お金で買えない価値がある」とはまさにこれのことだ。

母ゲイルはそうした稀代の守銭奴であるゲティとの交渉を余儀なくされ、次第に敵は、息子を誘拐した犯罪組織ではなく、義父ゲティであることが明確になっていく。しびれを切らした誘拐犯が徐々に要求額を減らしてくるあたりは実に喜劇的だがこれが実話であるのだから最高に面白い。翻弄されているのは母ゲイルだけでなく、誘拐した加害側にまで及んでいるというのだから、笑えてくる。窮地に立たされてもなお、絶対に引き下がろうとはしない母ゲイルの厳然たる決心と勇気こそが、リドリー・スコット監督の心を突き動かしたのだろうか。本作はセクハラ騒動から始まった一連の諸問題を語るのならば絶対に観ておかなければならない作品であると断言できるだけでなく、スコット監督にはこれからも強い女性を描いた傑作をもっと生み出してほしいと切に願うばかりだ。

公開直前、前例のない再撮影

映画『レント』(2005)のマーク・コウエン役で知られるアンソニー・ラップが14歳の時に、舞台で共演したケヴィン・スペイシーがラップに対してセクハラ行為を働いたことが発覚した。この疑惑が明るみに出たのは、『ゲティ家の身代金』米国公開のひと月半前のことだった。さらに多くの俳優たちが同様の被害を告発したことで、スペイシーは映画やドラマといったあらゆる仕事を打ち切られる結果となり、事実上の業界追放という厳しい対応が下された(後にスペイシーは謝罪)。

スペイシーによるセクハラ騒動の余波は、封切りが差し迫った『ゲティ家の身代金』にも当然のごとく及ぶこととなる。連日のように報じられているハリウッドのセクハラ問題の加害者俳優ともなれば、道義上、さすがにそのままの状態で公開に踏み切るはずもなかった。スコット監督の苦渋の決断により、スペイシーの降板は余儀なくされたのだ。監督は後にこのようにコメントを残している。「一人の行いが全員の仕事を台無しにする事などあってはならない」と。

ゲティ家の身代金
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この前代未聞の窮地を救ったのは、『人生はビキナーズ』(2011)でオスカー受賞の大御所クリストファー・プラマーだった。急きょ白羽の矢が立ったプラマーは、スコット監督からの打診を快諾し、キャリア最高の演技を遺憾なく発揮した。前項で述べたように、莫大な財を築きあげてもなお、心の溝は決して埋まることがなく、お金に対するアブノーマルな執着心を捨て去ることができないゲティ。来客者が利用した電話代さえ払うことを惜しむゲティは、客人専用の電話ボックスを邸宅内に設置するというドケチぶりを発揮し、時に嫌悪感すら抱いてしまうがそれも自然なリアクションなのだろう。むしろゲティこそがお金に誘拐された人質のようだ。

感情の読めない表情からはその思惑が推察できないのだが、心の奥底には人間臭さが僅かながらにうごめいているようにも見える。それこそが長年にわたる俳優業で培ったプラマーの繊細で、かつ大胆な演技でしか成し得ない、まさに離れ業といったところか。その演技力は、クリストファー・プラマーが本作で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた事実からも明らかだ。

大富豪でありながらも誘拐された孫の身代金は一銭たりとも支払う気のない守銭奴ぶりを硬派に怪演しつつも、ふいに見せる悲しげな情緒、悲観的な面持ちを見事に演じ分けているのは素晴らしい。ゆえにスペイシーが特殊メークで演じたという当初のゲティ像は全く想像しがたいものとなった。スペイシー扮するゲティを私たちは観たことはないのだが、いかにもプラマーの起用は最初から予定されていたキャスティングであるように錯覚してしまう。それも当然無理はない。スコット監督は当初、ゲティ役をプラマーに依頼する予定だったというが、製作サイドの意向によりスペイシーが起用されたという経緯があった。スコット監督としては降板劇によって自身の思い描いたゲティ像が完璧なまでに実現した恰好となったのだ。

しかし、である。業界に根付いた深い問題はさらに本作に襲いかかる。スペイシーの降板による撮り直しに際して、ハリウッドに根付く男女間の賃金格差が浮き彫りとなった。元CIAの人質交渉人フレッチャー・チェイスを演じたマーク・ウォールバーグが再撮影時のギャラとして150万ドルを受け取ったのに対し、母ゲイルに扮したミシェル・ウィリアムズのギャラが1000ドル以下であったことが全米公開後の2018年1月、大々的に報じられたのだ。

時期的にも、被害の撲滅を訴える「Time’s Up」運動が盛り上がりを見せていたこともあって、ウォールバーグには当然批判が殺到した。しかしその後、ウォールバーグは再撮影時のギャラを「Time’s Up Legal Defense Fund」基金(セクハラ被害者を支援する「Time’s Up」運動から派生した支援基金)に寄付することを約束。こうしたことからも本作は話題に事欠かないどころか、2017年のワインスタインによるセクハラ騒動等を語る上では切っても切り離せない作品という位置づけとなったのだ。「セクハラ騒動」と「ジェンダー間の不平等」──。現代ハリウッドに巣食う根深い問題があらためて表面化した。

映画史上においても前例のないトラブルに見舞われながらも、スコット監督の人脈と手腕、そして才気あふれる決断力こそが、映画を真の完成に導いたのではないかと思えてならない。公開目前にして撮り直しという極めてリスキーな選択肢であるがゆえに、監督と俳優陣の技量があらためて証明されたのだ。と同時に、かねてより女性主人公を描き出してきたフェミニズム映画のパイオニア的存在であるスコット監督だからこそ、昨今のセクハラ騒動には立ち向かうべきという信念が、自ずと働いた結果であるともいえる。もちろん作品の完成度は、これら諸々のトラブルを微塵も感じさせない傑出したものであることは言うまでもない。

『ゲティ家の身代金』公式サイト:http://getty-ransom.jp/

©2017 ALL THE MONEY US, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

Writer

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Hayato Otsuki

1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「映画board」など。得意分野はアクション、ファンタジー。

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