Menu
(0)

Search

ゴジラもエヴァも庵野監督も知らない人のための映画『シン・ゴジラ』レビュー

筆者が生まれて初めて映画館で観た映画が、1992年の『ゴジラ対モスラ』で、父に連れられた当時4才の自分はスクリーンの中で起こっている出来事がさっぱり理解できず、モスラ幼虫が登場するたび父に向かって無邪気に「あれチ◯チ◯?」と尋ね、父を困らせていたのをおぼろげながら覚えている。

平成ゴジラはその後、メカゴジラ、スペースゴジラ、デストロイアらと戦い、2004年にはシリーズ集大成FINAL WARSが公開された。
大変恐縮だが、平成ゴジラシリーズ、ミレニアムシリーズの一連が公開されていた時期、小学生・中学生の筆者はあまり夢中にはならなかった。昭和ゴジラに比べファミリー向けになっていたものの、本編は巨大怪獣がバトルするといった単純なプロレス的エンターテインメント作品ではなく、それに翻弄される政府関係者や自衛隊らを描いた大人のドラマだったからだ。子どもだった筆者には少々退屈なシーンが続き、あまり楽しめなかったように記憶している。

月日は流れ、筆者も大人になった。仕事を覚え、社会の理不尽さを覚え、そして先の震災での太刀打ちできない事象も知った。そこに公開された『シン・ゴジラ』。大人になってはじめてわかる、『ゴジラ』という映画の魅力、奥深さに、劇場で圧倒され尽くし、口を半分開けたまま帰宅した次第だ。

筆者は、歴代の『ゴジラ』映画の存在はもちろん、その偉大さにも敬意を払っている。だが、世の中のゴジラファン、特撮ファンほどの『思い入れ』は恐れながらも強くない。さらに、庵野監督のキャリアとその代表作『新世紀エヴァンゲリオン』にも(こんな事書いたら怒られそうだが)特別な想いはない。実は、エヴァンゲリオンのあの独特の雰囲気はあまり得意ではないので、しっかりと鑑賞をした事がない。

本作『シン・ゴジラ』がこれまでのゴジラシリーズの長所を踏襲し、さらに庵野監督とその制作チームの持つ強みが遺憾なく発揮され、エヴァンゲリオンから継承した要素も多いなどは認識しており、その検証は他の記事に明るい。

ならば筆者は、『ゴジラ』も『庵野監督』も『エヴァンゲリオン』も知らない、つまり、予備知識が殆ど無い状態、極めてニュートラルな状態で『シン・ゴジラ』に接触した所感を述べたい。筆者と同じような境遇の観客も多いはずだ。小難しい解説や考察はなく、純粋に一本の映画としてどう感じたか。ネタバレ無しでまとめた。

あまりに現実的に虚構を描いた政治ドラマ

各所で評されているが、『シン・ゴジラ』は単なるパニック映画ではない。ゴジラは言うまでもなく台風、地震、津波といった自然災害、そして核や放射能汚染といった人災の現れであり、大災害発生の初動からその沈静化に至るまで政府や各省、自衛隊らがどのような意思決定プロセスを経てどのように対策を講じていくかを、「もし、ゴジラという巨大生物が日本に現れた場合、3.11以降の日本はいかに対処していくか」といった観点からこれ以上ないほどリアルに再現している。

ゴジラに立ち向かうのは特定のヒーローではなく、政府内閣や自衛隊といった組織。動きが読めない上に人智を超えた能力を持つゴジラに対し、組織側は幾重にも生じる許可申請プロセスと、複数の対策提言者に振り回され後手に回る。ゴジラに射撃を加えるその一撃に至るまで、各関係者がバケツリレー式に許可申請の往復を行い、ようやく発せられるのだ。
カットが変わるたび、なんちゃら省のなんちゃら大臣やらなんちゃら長官やら、多種多様な登場人物が各所から登場する。全体で何人登場したかわからないほどにだ。(ちなみに総勢328名との事。)
こういったシチュエーション、ハリウッド映画では何の抵抗もなく米軍が攻撃を仕掛けそうなものだが、日本の現実は各方面への調整や法の壁を超える必要がある。
彼ら一人一人に「立場」というものがあり、さらに政治家の間ではこんな非常事態でさえ自身の出世ルートを気にしたり保身に回るものが見受けられるなど、徹底的に生々しい。

一般的なパニック映画、怪獣映画が逃げ惑う市民、その中で希望を捨てずに最後まで戦う人々に焦点を当てていたのに対し、『シン・ゴジラ』は未曾有の危機にうろたえながらもなんとか緊急対策を行っていく組織全体が描かれている。その様は『現実(ニッポン)対 虚構(ゴジラ)』のキャッチコピーに偽りない。

加えて登場人物らの演技が更に現実味を演出している。メインキャラクターとなる長谷川博己、石原さとみは『セリフ』っぽいセリフはもちろんあるものの、その他の登場人物のセリフやしゃべり方が本当にリアル。現実的に人ってこうしゃべるようなぁ、という、非常に日常的な演技をされていて、それがより臨場感を演出している。
また、物語が進むに連れて、登場人物らの髪がちょっと油ギッシュになったり、うっすら青ひげが生え始めていたり、目の下にクマができたりするのも本当にリアルだ。対策チームがゴジラ対策に追われて不眠不休で奔走しながら疲弊していく様が、そんな細かな部分からもよく伝わってくる。

ゴジラという生物は空想でありながらも、その空想を隙がないほど現実的に描いている。小さいころ夢中で読んだ『空想科学読本』を思い出す。政府はどのようなプロセスを経て、どう対応するか、総理大臣の役目とは。自衛隊はいかにして出動するか。アメリカはどう介入してくるのか…。是非、怪獣映画でなく、政治/大災害シミュレーションとして鑑賞してほしい。3.11の際に当時の菅内閣が原発問題にどう対処したかをトレースしたかのような展開描写は非常に風刺的だ。

ネットのレビューでは、いくつか否定的な意見も見受けられる。あまりにもエヴァファンに寄り過ぎだとか、セリフ回しがわかりにくい等、受け手によって様々な捉え方があるようだ。筆者としては、先述したようにそもそもエヴァンゲリオンや庵野監督作品を詳しく知らないので、新鮮味を持って鑑賞する事ができた。また、専門用語がふんだんに盛り込まれまくし立てるように語られるセリフについても、だからこそリアリティを感じ、頭のなかであれこれ咀嚼しながらのめり込んだ。

この国には、スーパーマンもアベンジャーズもいない。スーパーパワーもなければ巨大ロボットも登場しない。ゴジラや大災害に立ち向かうのは人間以外ありえないのだ。現実に存在する対抗手段でいかにしてこの悪夢に立ち向かっていくのか。

CGなどはそりゃハリウッド映画に比べれば見劣りするものの、日本映画の強みはそこじゃないよな、と誇らしい気持ちになれる。そして今作を通じて受け取ったメッセージも、涙が出そうなくらいに前向きだ。
2016年にゴジラを作るなら、これ以上のものは想像できない。日本人なら必ず劇場で目撃するべき作品だと思った。

…どうしても追記したい事がある。筆者はIMAXシアターの後ろから3列めの位置で『シン・ゴジラ』を観た。劇場全体を俯瞰した感じ、そこに観客はいなかった。全員が『目撃者』のような空気が張り詰めていた。
人智を超えたゴジラの動向に、我々は固唾を呑む事しかできなかった。映画に圧倒されるとは、こういう事なのかと初めて思い知らされた体験であった。

Writer

アバター画像
中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。