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ロシアのヒーロー映画『ガーディアンズ』が抱かせる既視感の正体を思い出して ─ アメコミに焦がれた、全ての元中学2年生へ

ガーディアンズ
© 2017, Enjoy Movies LLC

あのロシアがアメコミ映画シーンに参入したと話題の『ガーディアンズ』が、2018年1月20日よりギャガ・プラス配給で劇場公開を迎えた。謎多きロシアとスーパーヒーロー映画という新鮮な組み合わせが気になる本作が、関係者の予想以上のヒットで初週を終えたと聞く。

日本版ポスターでは「日本よ、これがロシア映画だ」「まさにロシア版『X-MEN』!」「これは、マーベルへの挑戦状だ!」と挑発的な文句が踊る『ガーディアンズ』は、ロシアを舞台に4人の超人戦士で結成されたスーパーヒーローチームが悪と戦う様子を描く。想像以上に派手な映像には素直に驚かされるが、その他はおよそマーベル映画のフォロワー作品といった具合で、「どこかで見たことがある」という印象が強い。

しかし、その「どこかで観たことがある」感覚は、実は「マーベルのパロディ」的な既視感によるものではない。妙な親近感と、言わば郷愁によるものなのだ。遠い昔に、物置の奥深くにしまったままの何かを思い出させてくれるような…。

ガーディアンズ
© 2017, Enjoy Movies LLC

ロシアのスーパーヒーロー映画『ガーディアンズ』が思い出させてくれるもの

調べると『ガーディアンズ』監督のサリク・アンドレアシアンは、1984年生まれとも1988年生まれともあり、正確な情報がわからない。少なくとも、1988年生まれの筆者とはおよそ同世代になる。おそらくサリク監督は、同世代の皆がそうであるように、2000年の『X-MEN』と2002年の『スパイダーマン』以降、アメコミ映画が覇権を握る様をリアルタイムで目撃していたはずだ。『ガーディアンズ』では、言わばアメコミ映画の戦国時代に青年時代を過ごすミレニアル世代の「憧れ」が、純度高く映像化されている。

正直に白状するのなら、映画の内容は見るに堪えない。ストーリーもカットも、雑としか言いようのない成り立ちだ。”映画通”の苦虫を噛み潰したような顔も想像できる。酷い映画だと揶揄することも出来るし、マーベルやDCといった本場のクオリティと比較して良し悪しを語ることもできる。しかし『ガーディアンズ』は、かつてスーパーヒーローに憧れていた(そして、今も憧れている)中学二年生時代を持つ全てのミレニアル世代に向けたトリビュートと受け止めたい。

「どこかで観たことがある」──『ガーディアンズ』を鑑賞しながらその答えを得るまでに、そう時間はかからなかった。この正体は、かつて中学生のころにアメコミの世界観に憧れ、シャープペンでキャンパスノートに描いた「じぶんオリジナル」のマンガのような愛くるしい稚拙さだ。

1988年生まれの筆者が、初めてアメコミ文化に触れたのはアーケードゲームの「マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター」だった(当時、Marvelのカナ表記はまだ”マーヴル”が一般だった)。リュウやダルシムといった「ストリートファイター」でお馴染みのカプコンキャラクターと、ウルヴァリンやキャプテン・アメリカ、ハルクなどのマーベルヒーローがクロスオーバーを果たした対戦格闘ゲームで、稼働を始めたのは1997年。近所の小さな書店の軒先にそのアーケード機を見つけた幼い筆者と友人は、コインを握りしめて連日攻略に挑んだ。中でもスパイダーマンはすぐにお気に入りのヒーローになった。

2002年のサム・ライミ版『スパイダーマン』第一作が公開されたのは、筆者が中学2年の頃だった。「マヴカプ」は、使用キャラクターを大幅に増やした「MARVEL VS. CAPCOM 2 NEW AGE OF HEROES」を2000年に発表し、アメキャラ・ブームは続いていた。映画『スパイダーマン』は当時の筆者にとって待望作となり、5、6人ほどの友人と劇場に出かけたものだった。すっかり影響された中学二年生の筆者の頭の中はスパイディで一杯になり、休み時間は黒板に親愛なる隣人のイラストを描き続けた。コミック「アルティメット・スパイダーマン」を読みふけり、映画版の主題歌となっていたNickelbackの”Hero”を聴きながら、ドクターグリップを握りしめてノートにオリジナルのマンガを描いた。スパイダーマンのコスチュームをそのまま真似た「スコーピオン」という名のヒーローだ。不思議なサソリに噛まれて超人的なパワーを得るわけである。マーベル・コミックに同名のヴィランが存在するとは、当時は知らなかった。

「スコーピオン」の主人公は高校生の少年で、裁縫が得意な男友達が一人登場する。主人公とは何でも話せる間柄で、スーパーパワーを授かったと知ると親切にコスチュームを用意してくれる。女の子を描くのは苦手だったので、この漫画には女性キャラクターは登場しない。ヴィランは、頭頂部にサメのヒレが付いたヘルメットを被り、原付バイクから鉄パイプで通り魔を行う「シャーク」という通り名の悪党だった。実はこの悪党は主人公の同級生で、受験勉強のストレスから犯行に及んでいるという設定だった。敗れたシャークのヘルメットが破壊され、その素顔と動機が顕になると、スコーピオンもマスクを外して正体を名乗る。そして、友人同士だったのになぜ相談してくれなかったのか、暴力に訴えなくても良かったではないかと互いに号泣してエピソードを終える。

とにかくバトルを描きたい

中学二年生の筆者にとって、これが思いつく限り精一杯の設定だった。原付バイクに乗る悪党、受験勉強のストレス、友情。そこに大人は登場しないし、何の教訓もない。学校と、公園と、教科書や漫画の並んだ自室の勉強机が、当時知り得る世界のほぼ全てだった。知識の限界が創造の限界なのである。

「アメコミみたいなヒーローを描きたい」と憧れていた中学二年の筆者にとって何より優先したかったのは、カッコいいバトルシーンを目一杯描くことだ。しかし、バトルシーンだけでストーリーは成立しないだろう。別に誰かに読ませるわけでもないのに、ストーリーテリングをいっちょ前に気にしていた中学二年の筆者は、ヒーローになるまでのオリジン部分も責務的に描かなければならなかった。前段は早くかっ飛ばして、とにかく早くバトルを描きたい…。バトル・シーン以外は、ビックリマンシールに対するウエハースチョコとか、「食べてから」オモチャの開封を許されたハッピーセットのハンバーガーのようなものだった。これによく似た、はやる気持ちが『ガーディアンズ』全編からもひしひしと感じられた。

『ガーディアンズ』からは、きっと中学二年生のころから変わらない「アメコミみたいなヒーローを描きたい」という初期衝動が感じ取られる。『アベンジャーズ』や『X-MEN』のようなヒーロー・チームの活躍をその手で再現したかった『ガーディアンズ』は、ヒーローらの全員集合を上映開始後わずか15分足らずで完了させる。獣化能力を持つアルスス、念動力を操るレア、超音速の剣の達人ハン…、男だけでは物足りないので、擬態化する美女のクセニアも加えた。金髪美女のエレーナ・ラリナは『アベンジャーズ』でいうニック・フューリーの立ち位置から、各地に散らばるヒーローを集結させる役割を担う。しかし、メインディッシュである「バトルシーン」に関与しないエレーナとあって、その描写は驚くほど雑だ。取って付けたようなミッションにひた走るエレーナのもと、レア、ハン、アルススの3人は超人チーム「ガーディアンズ」への参加を二つ返事で快諾していく。あまりにもトントン拍子で事が運びすぎるため、最後のクセニアだけには申し訳程度の抵抗をさせるが、短い説得を聞くとすぐに参加を決意する。

おそらく本人らもよくわからないままに結成された「ガーディアンズ」の任務とは、超人能力を得て暴走する元科学者のクラトフを阻止するものだ。クラトフは、冷戦下のソヴィエト時代、超人兵士を生み出す「パトリオット計画」に携わっていたという。それっぽい、ませた響きだ。しかし、それ以上に入り組んだ設定や背景説明は一切登場しない。「冷戦下のソヴィエト」「パトリオット計画」…この大人っぽい耳触りを盾に暴走するヴィランのクラトフは、「バットマン」のベインと「幽☆遊☆白書」の戸愚呂弟を足し、ドン・キホーテで売っているものだけで実現したような粗暴な男で、今にも高血圧で倒れそうな目つきで周囲を睨みつけている。クラトフは「X-MEN」のマグニートーのように兵器を自在に操ってロシアを崩壊に追い込むが、そこに政府や軍は関与してこない。『ガーディアンズ』はあくまでも「アメコミみたいなヒーローを描きたい」のだから、賢い大人たちや組織が登場する幕などないのだ。知識の限界が、創造の限界なのである。

ガーディアンズ
© 2017, Enjoy Movies LLC

まるでインスタント食品のように手早く下準備を終わらせた『ガーディアンズ』は、早速「ぼくのかんがえたさいきょうのヒーローバトル」を豊かに映像化していく。メンバーのひとりである超音速の剣士ハンは、『キャプテン・アメリカ』のウィンター・ソルジャーのパロディ風だが、むしろ日本のニンジャ・アサシンを参照しているようにも見える。半円型の剣を2刀背負ったハンが砂漠地帯で瞑想していると、トラックの荷台にガトリング砲を積んだヤクザ風の集団が襲い掛かってくる。ヤクザの黒いスーツとサングラス姿は、まさに「いかにもな悪の集団」を手近に具現化したような出で立ちで、『マトリックス』(1999)のエージェント・スミスが生み出したテンプレートをそのまま利用しているようでもある。

『ガーディアンズ』にとって善悪の動機はすべて取って付けで、小難しい考証はほとんどない。獣人間のアルススは、熊の姿に変身するたびに人間としての理性を失っていくと悩む科学者だ。『ガーディアン』は「ヒーローも葛藤する」物語が受け入れられるということは知覚しているが、その描写はほとんどどこかで聞いたことがあるような話で済ましている。この映画はそんなドラマ・シークエンスよりも、無垢な少年のようなインスピレーションだけでひた走る。手段と目的の因果関係を脇に追いやり、「こういうのがやりたかった」映像の実現にすべてを捧げている。『ガーディアンズ』に原作コミックは存在しないが、もしもあるとすれば、空想にふけるアメコミ好きの中学二年生が描いたノートブックがそうだ。かつての少年が思い描いた「憧れ」がそうだ。

ロシアの同志から僕達へ

ガーディアンズ
© 2017, Enjoy Movies LLC

「まさに、ロシア版『X-MEN』!」──その『X-MEN』の実写映画が登場してから、早18年になる。『ガーディアンズ』は、我々日本人にとって謎多く感じられる広大なロシアのどこかで、我々に似た同志が、我々と同じ憧れを抱いて大人になったという、ユニバーサルな一体感と安心感に包まれている。ロシア語はさっぱりわからないが、獣人間や念動力、高速の剣士に擬態能力を持つ美女戦士を「カッコいい」と思う純情は言語を問わない。人と人を結びつけるのは、肌の色や言語、信仰や学歴などではなく、何に憧れて育ち、何をカッコいいと思うかの価値観であるのだと気付かせてくれる。劇中では思わずツッコみたくなるポイントが15秒に一度は登場するが、その全てに愛情や友情を込めて許すことができる。サリク・アンドレアシアン監督のことも、出演する俳優たちのこともわからないが、まるでコピーバンドを組んだ友達のライブを応援しているような気持ちにさせられる。演奏も歌も決して上手くないし、ハウリングも酷くてまともに聴けたもんじゃない。それでも、奴がコピーしているバンドの音楽性は大好きだし、何よりステージの上の友人の汗が眩しく、何だかこちらまで笑顔になってしまう。『ガーディアンズ』を例えるなら、そんな作品なのだ(そしてそのステージが、特殊効果満載でやたら豪華)。そんな映画が、ロシアでは興行収入初登場No.1を飾り、日本ではギャガ配給で劇場公開されているんだ。最高じゃないか。

この映画は、アメコミ映画を同じく好む友人と、「どんなもんか」感覚で出かけるのが良いだろう。観終えた後は、笑いながらツッコみたくなるポイントを両腕に抱えきれぬまま劇場を出るはずだ。決して落胆はなく、むしろ清々しい。「日本よ、これがロシア映画だ」と謳うポスターの仰々しさに、こそばゆい笑みが浮かぶ。そしてきっと、あの頃落書きしていたノートのページを、記憶の中でめくることだろう。

映画『ガーディアンズ』は2018年1月20日(土)、新宿ピカデリーほか全国順次ロードショー。

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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