【レビュー】『ハクソー・リッジ』戦場の最前線を駆け回る、“純真無垢な天使”としてのアンドリュー・ガーフィールドを追う

「——真実の物語」の一文に続き観客の目の前に広がる光景は、あらゆる戦争映画から、観客の記憶に蓄積され続けてきた凄惨な光景の数々を、一度に思い起こさせることだろう。それほどに酷いのだ。
焼けて、ただれて、血にまみれて、横たわる人々。苛烈を極めた戦火の中で、生きることを強制的に終了させられた人々は、すでに人ならざる姿で、モノとなり、戦場である「ハクソー・リッジ」のロケーションの一部と化している。あまりにも唐突で、あまりにも酷たらしい、目をそむけたくなるようなシーンの連続に慄然としてしまう。
そして誰もがこう思うに違いない。「わたしたちのアンドリュー・ガーフィールドはどこだ!」と。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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ハクソー・リッジとは、第二次世界大戦の激戦地として多くの死者を出した、沖縄の前田高地のことである。ハクソーとはのこぎりのことで、リッジとは崖のこと。150メートルの断崖絶壁の崖が、のこぎりのように険しいこの戦場で苦戦を強いられたアメリカ軍が、ハクソー・リッジと呼んだ。この激戦地でたった1人、何ひとつ武器を持たずに駆け回り、75人もの命を救った男がいた。それがデズモンド・ドスである。

荘厳な音楽と銃声、爆撃音にガーフィールドの優しいナレーションが重なり(思わずホッとする)、物語はその16年前から始まる―――と、順を追って、デズモンド・ドスという人物に迫ろうとすることはやめておこう。自ら陸軍に志願しながらも、絶対に武器に触らないと誓うデズモンド・ドスの、なぜそのような人格形成がなされたのか、幼少期からの彼の姿を通して観客は知っていくことになるが、ここではあくまで、『ハクソー・リッジ』という映画におけるアンドリュー・ガーフィールドの佇まい、立ち振る舞いについてみていきたい。

【注意】

この記事には、映画『ハクソー・リッジ』のネタバレが含まれています。

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純真無垢なロマンチスト

教会で女性たちのうたう聖歌の響きの中、ステンドグラスから溢れる光を浴びて、アンドリュー・ガーフィールド演じるデズモンド・ドスは登場する。彼の愛嬌ある笑顔から発される、女性たちへの軽いジョーク、そこから生まれるほんのひとときの和やかな時間。ところが外から叫び声が聞こえたことで、事態は変わり、デズモンドが誰かを救う瞬間を、観客は初めて目撃することになる。

助けを求める声を耳にしてすぐさま駆け出すデズモンドは、車の修理中に潰されたのであろう男をアッという間に救い出し、病院へ。あまりにもスピーディーかつスムーズな(気持ちの良いほど!)ショットの繋ぎ、シーンの連続による展開、そしてデズモンドの軽やか過ぎる身のこなしに思わず驚いてしまう。この後病院では、生涯の伴侶となる美しきドロシー(テリーサ・パーマー)との出会いが待っているのだが、その出会いを早くも予感しているかのようだ。そう、周囲の陽気なムードも相まって、どこかウキウキしているように思えてならないのだ。
いよいよ病院へ、美しきドロシーとの出会いの場面である。

病院内では、多くの患者、看護師、医師たちが慌ただしく動き回っているものの、人々の身につけた衣類の白さ、壁の白さが印象強く、この“白”による清さ際立ついささか現実離れした(ある意味カオスな)空間は、純真無垢な好青年デズモンドと美しきドロシーの出会いの場として申し分ない。人々の中を、ドロシーに向かって真っ直ぐに歩むデズモンドの表情は、初々しくも、もうすでに決意を湛えているかのようだ。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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案の定、彼は精一杯のオシャレで家を飛び出し、母にキスをし、玄関先の家族の前で「ドロシーって娘と結婚する!」と高らかに宣言する。映画デートの場面では、口づけ合い、ポップコーンをもぐもぐ頬張る人々の中、ドロシー相手に慣れない会話をする姿は見ていて微笑ましいが、映画が始まり、スクリーン内でナチスの旗がはためき爆撃音が劇場内に響き渡ると、彼の表情が少しずつ険しさを募らせていくさまを見逃してはならない。

デズモンドはかつて幼少期に兄弟で、そしてドロシーめがけて1人で駆け抜けた森を、今度はドロシーと2人で駆け抜けるのだ。緑生い茂る木漏れ日の中を、愉快にはしゃいで沢を越える。岩を登るのを手伝って欲しいという彼女に対し、褒美にキスを要求するイタズラっぽく愛らしい彼の表情と、ガッチリ繋ぎ合う互いの手、そして青空をバックに2人が口づけ合うこの一連から溢れる多幸感は、冒頭の酷たらしい一連のシーンとは対極にあるだろう。観客の脳裏に焼き付いたはずの苦しみは、もうほとんど忘れられているはずだ。
そしてデズモンドはドロシーにプロポーズし、父の反対を押しきって、ドロシーの聖書と写真、愛の言葉を手に入隊し、「ハクソー・リッジ」へと向かっていくのだ。

快晴と一粒の涙から生まれる信念

どこかから聞こえてくる「整列!」の一声に、観客の誰もがハッとなるだろう。ドロシーとの甘いひと時から離れ、本作の冒頭で目の当たりにした惨劇に、デズモンドが飛び込んで行く時が刻一刻と迫っていることを知っているからだ。
「ハクソー・リッジ」の恐ろしさをまだ知らぬ個性あふれる面々は、陽気に自己紹介・他己紹介し合い、厳しい軍曹の態度さえ、オモシロオカシク見てしまう。ここで感じる陽気さは、冒頭の惨劇を除き一貫して、彼らを鼓舞するかのように劇中では快晴が続いていることも大きな理由のひとつだろう。
前線を想定した訓練も、銃に触れようとしないデズモンドが皆から「臆病者」とレッテルを貼られて始まるイジメも、それがいかに過酷なものか、彼の顔や身体の生々しい傷跡を見れば一目瞭然だろう。だがそれらは、武器を持たずに前線へ向かうという常軌を逸した選択をするデズモンドに対し、通過儀礼のように当然のこととして淡々と流れていく。デズモンドは、自身の主張を突き通そうとする時、その眼差しは力強く、どこかにこやか(これは俳優アンドリュー・ガーフィールドの“顔”という素材における大きな特徴の一つだろう)だ。自分は何もおかしなことは言っていない、とでもいうかのように。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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「ハッスルだ!」との軍曹の声に共鳴するかのように、デズモンドは大自然の中で培った身体能力を発揮し、後に登場する「ハクソー・リッジ」と比べれば、アスレチック同然とも思える戦場に見立てられた障害物を、難なく越えていく。
しかし「良心的兵役拒否者」であり銃に触れようとしない彼は、除隊を迫られ、やがて命令を拒否したとして独房に入れられ、軍法会議にかけられることになる。事情を知り駆けつけたドロシーは、デズモンドと向かい合い、互いに自分の考えを主張し合う。この場面では2人の顔がそれぞれ画面いっぱいに大きく捉えられ、ほとんど均等な切り返しショットの連続で展開されていく。ここから生まれるのは、愛する人の助言以上に「信念を曲げたら生きていけない」というデズモンド自身の気づきだろう。この信念に、やがて仲間たちの誰もが心打たれるのだ。
彼の主張を尊重しようとするドロシーの、大きな瞳から一粒の涙がこぼれ、可愛い小鼻を伝うのを目にした瞬間、わたしたちは改めて「この2人を応援しなくては!」と奮い立つのだ。このドロシーの一粒の涙は、今まで多くの女優が愛する人のために流してきた涙と同じように、尊く美しいものとしていつまでもわたしたちの記憶の中に残り続けることだろう。

人々がモノへと変わりゆく中で……

1945年5月、沖縄。
勇ましく戦場へやってきた彼らの前を、前線から撤退してきた人々がトラックに詰め込まれて(文字通り“詰め込まれて”いるのだ)流れていく。生きているものでさえ、もはや廃人同然で、彼らの虚ろな瞳と呼応し合うように、デズモンドたちの瞳には不安と怯えが見てとれる。ここでもまた観客たちはすでに物語の冒頭で見た、前線の恐ろしい惨劇に思い当たり、緊張をよりいっそう強めることだろう

いよいよ前線「ハクソー・リッジ」を前にして、肝心の、わたしたちのアンドリュー・ガーフィールドはどうか。
入隊後の訓練時から観客の誰もが思っていたことだろうが、彼のほっそりとした(ソフトマッチョとでもいうのだろうか)体つきや、今にもズリ落ちそうなヘルメットを支える小顔(誰も異論はないだろう!)は、他の兵士たちに比べるとどうにも頼りなさげに見え、頭上で誇らしげな主張を放つ赤十字も、彼にはあまりにも大きな存在に感じてしまう。

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

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艦隊から「ハクソー・リッジ」への徹底的な爆撃を皮切りに、至近距離での白兵戦が始まる。
息つく間もなく右へ左へと人々の身体は飛び、彼らの雄叫びは次から次へと悲鳴に変わり、それらは一瞬にして銃声にかき消される。つまりそれは銃によって声を上げられない状態になるということであり、もちろん死を意味するだろう。入隊時から時を共にしていくことで垣間見えた人々の個性は、その輝きを失い、感傷など生まれる余地もなく、匿名的なモノへと変わっていく。

助けを求める者が口にする、「衛生兵」「神様」という言葉が同義のように響く白煙の中を、デズモンドは駆け回る。打ち捨てられた人々の輝きを、ひとつ、またひとつ、と拾い上げていくのだ。
彼が幼少期や、訓練時から見せていた身体能力の高さは、この戦場において結実する。自分より一回りも大きい仲間を担ぎ上げ「ハクソー・リッジ」から救い出し、敵兵の放った手榴弾に対しては、その掌で打ち返し、オーバーヘッド(!)よろしく蹴り飛ばすのだ。
どこにいるのか分からない敵の狙撃兵に狙われた軍曹を救い出す場面では、デズモンドがヘルメットを囮として放り投げ、相手にそれを狙撃させることによって位置を確認し、軍曹が狙撃するのである。“銃を持たない”デズモンドと“銃を持つ”軍曹の「それぞれの役割」を担った連携プレーとして印象的だ。
信念を貫くため、その拳で独房の扉を激しく何度も叩き続けたように、彼は何度でも立ち上がる——。

なぜここまで、生々しく残酷な描写を重ねるのか。なぜここまで、スペクタクル性(見世物らしさ)の溢れる瞬間を盛り込むのか。
それらは、戦争が、戦場が、一瞬で人々を匿名的な死へと至らしめ、モノへと変えてしまう事実の上で、デズモンド・ドスの行動がどれほど正気の沙汰とは思えない勇気あるものだったのかを際立たせる。きっと誰もが胸を打たれることだろう。

そしてわたしたちのアンドリュー・ガーフィールドは、安らかな音楽に包まれ、夕暮れ前の陽光に燦爛として輝いて、「ハクソー・リッジ」から愛するドロシーの元へと、まるで純真無垢な天使のように、ロマンチックに宙を舞い降りていくのだ。

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About the author

『映画と。』『リアルサウンド映画部』などに寄稿。
好きな監督はキェシロフスキと、増村保造。

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