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新作『メッセージ』の前に振り返る「ハードSF」の映画たち―映画はどのように宇宙を描いてきたか

期待の新作『メッセージ』の前に、「ハードSF」を振り返ろう

「ハードSF」とはSF作品の中でも特に科学性の強い、科学的考証が十分になされた作品ジャンルのこと。言葉の生まれは浅いようで意外と古く、1957年にSF作家で評論家でもあったP・スカイラー・ミラーが初めて使ったといわれています。
ハードSF作品を執筆した有名どころの作家としては、映画版も名作と名高い『2001年宇宙の旅』(1968)のアーサー・C・クラーク(1917-2008)、「ロボット工学三原則」の生みの親でボストン大学で教鞭をとった本物の学者でもあるアイザック・アシモフ(1920-1992)などが挙げられます。

ハードSFは『スター・ウォーズ』をはじめとする荒唐無稽なSF作品に比べ絶対数こそ少ないものの、古くは『2001年宇宙の旅』あたりから2017年のアカデミー賞でジャンル的な不利を背負いながら作品賞候補になった『メッセージ』(2016)に至るまで、確実に映画史に足跡を残しています。来る2017年の5月、『メッセージ』が米国より半年遅れで日本公開となります。『メッセージ』はこれまで度々制作されてきた「異星人との交流」を話の軸とした作品です。つまり広義においては「宇宙をテーマにしたSF」と分類できます。

そこで今回は『メッセージ』公開に先駆け、宇宙に関連するハードSF作品をご紹介しましょう。テーマは「科学的に正しい宇宙」「宇宙飛行士という存在」「異星人とのコンタクト」です。

科学的に正しい宇宙

『2001年宇宙の旅』(1968)

『2001年宇宙の旅』は作家のアーサー・C・クラークと名匠スタンリー・キューブリックが共同作業でストーリーを創りあげた、映画史に燦然と輝く傑作です。

原作者のクラークは科学の啓蒙活動にも熱心で、まだコンピュータが一部機関で使われる特別なものだった時代に、既にインターネットの到来を予見していたほどの深い科学的見識の持ち主でした(気になる方はダニー・ボイル監督の『スティーブ・ジョブズ』(2015)をご覧ください。生前のクラークのインタビュー映像が引用されています)。

ところがこの映画、内容は相当難解なので面白いかどうかと言ったらそれは別問題かもしれません。筆者がこの映画を初めて観たのは高校生の時でしたが、眠くて仕方なかったことをここで告白しなければならないでしょう。その理由は、難解な内容や動きを極力排したスローテンポの演出、クラシック音楽をBGMとして使用する(弁明しますが筆者はクラシック音楽自体は大好きです)といったキューブリックの映像的美学が半分。残りの半分は科学的正確さです。

この映画はとにかく静かです。宇宙船が動いても何の音もしないし、ドッキングするときにさえ金属音が発生しません。『スター・ウォーズ』シリーズや『アルマゲドン』(1998)のような、リアリティとは真逆の方向に振れたSF作品を見慣れていると奇怪な感じがするかもしれませんが、あくまでこれは正しいのです。

宇宙を舞台にしたSF映画の多くで見過ごされるところですが宇宙空間は真空です。我々の耳に音が届くのは、音が空気を振動させ、それが空気を媒介して伝わってくるからで、真空である宇宙空間は本来は完全なる無音の世界であるはずです。『スター・ウォーズ』や『アルマゲドン』では宇宙船が飛ぶバックでゴウゴウと轟音がしていますが、あれはフィクションゆえの迫力を出すための演出です。このあたりは最近のハードSF作品では正確に描写されることが多く『ゼロ・グラビティ』(2013)でも『オデッセイ』(2015)でも船外のシーンは無音になっています。

『2001年宇宙の旅』では、それ以外にもキューブリックのこだわりが端々に見られます。
宇宙空間を進む宇宙船内で、客室係が配膳している場面があります。宇宙船内は無重力であるため、足場を安定させるため、お姉さんの歩き方は科学的に正しいしずしずとした歩き方をしています。どうやら客室係の靴は電磁石になっているようで、そのため無重力でも床に足をつけることができるようです。
また宇宙船と地球の本部間で通信を行う場面があるのですが、通信にかかる時間が地球との距離を計算にいれた正確なもので、ここまでやるかと感動を禁じ得ません(宇宙規模の長距離になると、光の速さで通信しても送受信に莫大な時間が必要になります。このあたりは『インターステラー』(2014)でも描かれていました)。

多分に推測を含む話ですが、1960年代は科学考証が重視されるようになり始めた時代なのかもしれません。
『2001年宇宙の旅』が公開される2年前、SFテレビシリーズの金字塔『スター・トレック』シリーズの第一作『宇宙大戦争』(1966-1969)の放送が開始されています。このテレビシリーズは当時としては珍しく度々NASAに科学考証を求めていたそうです。テレビシリーズ『クリミナル・マインド』(2005-)の登場人物であるドクター・リードが「『スター・トレック』の科学描写には実は間違いが少ない。当時の水準からしたら驚き」という発言をしていましたが、『スター・トレック』シリーズの世間的な影響度を考えると、この時代に映像におけるハードSFは始まったのかもしれません。

なお、こうした科学的な正確さをさらに推し進めたのが『ゼロ・グラビティ』です。本作は無重力の描写に徹底的にこだわっています。
サンドラ・ブロック演じる主人公が事故で船外に放り出されたときグルグルと回ってしまう描写がありましたが、無重力状態に慣れていないと体のどこかに重心を作るのは極めて困難です。日本のアニメ作品『プラネテス』(2003-2004)でも新米クルーのヒロインがうまく移動できずにクルクルと回ってしまう描写がありますがこれは科学的には正しい現象です。それゆえに宇宙船内には色々なところに手すりがついています。これを使うことで乗組員は方向転換を行います。また、ジョージ・クルーニー演じるベテランの宇宙飛行士がストローでウォッカを飲んでいる描写がありましたがこれも現実に即しています。無重力状態ではグラスを傾けても液体は落ちてきません。液体を飲もうとする場合はストローを使うのが最適なのです。

宇宙飛行士という存在

『オデッセイ』(2015)

宇宙飛行士になるには多くの資質が求められます。まず、宇宙での船外活動は極めて過酷ですし、宇宙船の打ち上げ時には身体に大きなる負荷がかかるため宇宙飛行士には肉体的資質が不可欠です。NASAは有人宇宙飛行の開拓時代に軍のパイロットたちを候補としていましたが、これは戦闘機乗りに必要とされる、重力に耐える肉体的資質がそのまま宇宙船乗りにも必要な要素だったからです。こうした経緯はトム・ウルフのノンフィクションを原作とした名作『ライトスタッフ』(1983)に描かれています。

また宇宙飛行士には、非常に高い知的水準が求められます。JAXAによる宇宙飛行士募集要項の一部を引用しましょう。

(2) 大学(自然科学系※)卒業以上であること。
※)理学部、工学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部等
(3) 自然科学系分野における研究、設計、開発、製造、運用等に3年以上の実務経験(平成20年6月20日現在)を有すること。
(なお、修士号取得者は1年、博士号取得者は3年の実務経験とみなします。)

『オデッセイ』の主人公マーク・ワトニー(マット・デイモン)は植物学者です。

彼は火星に一人取り残されるという絶望的な状況下にありながら決して諦めず、その場にある限られた資材で電気、水、空気、食料の確保に成功します。さらに以前のミッションで残された古い機材で地球にコンタクトを取ることすらしているのです。
宇宙飛行士はミッションに出る前に数年にわたる訓練を受けますが、これは決してやりすぎではなく、地球外で活動をするにはそのぐらいの準備が必要だからです。実話をベースにした『アポロ13』(1995)ではトム・ハンクス演じるラヴェル船長が的確な判断で窮地を脱するのに一役買っていましたが、これも様々な状況に対応できるよう訓練を受けた成果だといえるでしょう。

異星人とのコンタクト

『コンタクト』(1997)

2017年のアカデミー賞で作品賞候補となった『メッセージ』は、内容を端的に言うと「地球外知的生命体とのコンタクト」を描いた作品です。同様のストーリーの作品に、古くは『地球が制止する日』(1951)や大御所スティーブン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』(1977)が挙げられます。カール・セーガンのハードSF小説を原作とした『コンタクト』もその流れを汲む一本です。

ご存知の方はご存じのことと思いますが、人類は地球外に高度な知的生命体が存在する可能性を考え、地球外から発せられている電波の解析と、地球から宇宙への電磁波の発信を行っています。これらの活動はSETIと総称されます。今のところ宇宙から規則性を伴った電波信号を受信した、或いは地球から発したメッセージに応答があったという例はありません。

ですが、もしも地球外知的生命体からのメッセージが来たらその時人類はどう対応するのでしょうか? その疑問に対する思考実験が映画『コンタクト』なのです。

原作者のカール・セーガンは天文学者であり、テレビ・ドキュメンタリー『コスモス』などで一般への科学の啓蒙活動を行ったことで知られた人物です。この映画は“思考実験”だと記しましたが、それゆえ本作には一般的にSFと聞いて想像されるような派手な場面はほぼ皆無で、登場人物が考えている場面か議論している場面で構成されています。人類は科学、宗教、政治といった様々な側面から議論を繰り広げます。

ジョディ・フォスター演じる主人公はメッセージの解読に成功し、異星人とのコンタクトに成功しますが、そのコンタクトは極めて形而上学的な形で終結し、物証も残らなかったため「妄想」と片づけられて事態は収束しています。異星人とのコンタクトの中で「また会おう」と主人公はメッセージを送られますがこの終わり方は極めて曖昧です。原作者のカール・セーガンは映画公開の前年に亡くなっていますが、答えを提示しないことが原作者ならではのメッセージだったのかもしれません。

偶然だとは思いますが『コンタクト』は『未知との遭遇』の公開の20年後、『メッセージ』は『コンタクト』の約20年後に公開されています。こうした“異星人との交流”を描いた映画は、それぞれ全く違った結末を迎えています。今から20年後に同様の映画が作られるとしたら、その作品はどのようなメッセージを発するのでしょうか。

求められる「リアリティ・ライン」

かつて、SF映画をめぐる状況は牧歌的ですらありました。史上最低の映画と言われているプラン9・フロム・アウタースペース』(1959)はその時代の産物ですが、監督のエド・ウッドは車のホイールキャップを飛ばして「これはUFOだ」とのたまい、簡素なセットにシャワーカーテンを引いて「これはコクピットだ」と主張したそうです。今ではこのような発想では自主映画のコンペすら通りません。かたや『エイリアン・ビキニの侵略』(2011)は、自主映画の有力コンペであるゆうばり国際ファンタスティック映画祭をきっかけに商業ラインに乗ったいわば“自主映画”ですが、その出来は商業作品だった『プラン9・フロム・アウタースペース』とは比べ物になりません。今日、商業作品では科学分野のコンサルタントがつくのは珍しいことではなくなり、作品に求められるリアリティの最低ラインはどんどん高くなっています

これからもハードSF作品は映画界の潮流に乗り続けることでしょう。筆者は、たとえば『パシフィック・リム』(2013)のようなとことん荒唐無稽なSFにも大きな魅力を感じますが、それはまた別の話。今回の記事で挙げたSF作品群が、何らかの形で鑑賞の一助になれば幸いです。

Writer

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ニコ・トスカーニMasamichi Kamiya

フリーエンジニア兼任のウェイブライター。日曜映画脚本家・製作者。 脚本・制作参加作品『11月19日』が2019年5月11日から一週間限定のレイトショーで公開されます(於・池袋シネマロサ) 予告編 → https://www.youtube.com/watch?v=12zc4pRpkaM 映画ホームページ → https://sorekara.wixsite.com/nov19?fbclid=IwAR3Rphij0tKB1-Mzqyeq8ibNcBm-PBN-lP5Pg9LV2wllIFksVo8Qycasyas  何かあれば(何がかわかりませんが)こちらへどうぞ → scriptum8412■gmail.com  (■を@に変えてください)