【考察】MCU、DCEU、X-MEN最新作から浮き彫りになる『ヒーローの在り方』の違い

2016年はアメコミ映画ラッシュの年です。3月末のDCエクステンデット・ユニバース(以下DCEU)第二作『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(以下BvS)に始まり、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)フェーズ3の幕開けとなる『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(以下CW)が大ヒットし、『デッドプール』『X-MEN:アポカリプス』(以下アポカリプス)と立て続けにX-MENユニバースの作品が公開されました。9月には『スーサイド・スクワッド』も待機しており期待大でしょう。

ここまでたくさんアメコミ映画が公開されると混同しそうですが、『BvS』と『スーサイド・スクワッド』はDCEU、『シビルウォー』はMCU、『デッドプール』と『アポカリプス』はX-MENユニバースという形で、それぞれヒーローの活躍する統一のユニバース=世界観を構築しています。そして作品数が蓄積される中で、いよいよ各シリーズで描かれるヒーロー像にも違いが表れてきました。そろそろアタマを整理するためにも、DCEU、MCU、X-MENで描こうとしているヒーローとはなんなのかを分析する時期に来ているのではないでしょうか。というわけでシリーズ全体のコンセプトやクリエイターのクセなどから、私なりに各ユニバースにおけるヒーローのあり方を、主に最新作をもとに分析してみました。

DCEUのヒーローは『神』だ

BvS

http://hdqwalls.com/batman-v-superman-wallpaper

DCEUはこれまで『マン・オブ・スティール』(以下MoS)と『BvS』の2作が公開されています。両作でかなりしつこく描かれているのが『ヒーロー=神』という図式です。クリプトン人の生き残りであるスーパーマンと数百年前から美貌を保ち続ける謎の戦士ワンダーウーマンはその筆頭であり、『BvS』でブルースが発見する極秘映像に登場したフラッシュ、アクアマン、サイボーグもかなり超人的な力を持っていそうです。あえてバットマンは省きました。彼は屈強な肉体と抜群の頭脳で事件を解決する、どちらかというと探偵的存在であり、DCEUヒーローの中では異質と言えます。『BvS』のラストを見るに、彼はむしろ世界に存在する超人たちを結びつける指揮官になるであろうことが予想されます。超人とその他圧倒的多数を占める常人の架け橋となるのではないでしょうか。

『MoS』のラストでスーパーマンはゾッド将軍と死闘を繰り広げます。彼らクリプトン人は太陽の豊富な光を受けると超人的な力を発揮するため、戦いの舞台となったメトロポリスはほぼ壊滅状態となりました。ビルの倒壊や光線の巻き添えを食らって命を落とした犠牲者の数はおびただしいものとなりました。

『BvS』ではそういった未知の脅威に対する反発や恐れが描かれます。スーパーマンに対する世論は真っ二つに割れます。スーパーマンは地球を救った『神』であると崇める立場と、多くの命を奪った『悪魔』であるという立場です。バットマンことブルースも後者のような考えを持つ一人。スーパーマンを恐れる心はやがて大きな力への恨みになっていきました。レックス・ルーサーも『神』の登場に大きな衝撃を受け、その真価を確かめるかの如くスーパーマンに試練を与えます。そして最終的に彼の生み出したドゥームズデイによってスーパーマンは殺される。人類を救おうとしながらも周囲に理解されず、クリプトナイトによって弱ったところでわき腹を刺されて絶命したスーパーマンの姿は、まるで、人類の原罪を背負いロンギヌスの槍で刺されたキリストのようです。そしてラストカットで暗示されるスーパーマンの復活も、キリストの神話にそのまま重なります。ほかにもキリスト教の宗教画をモチーフにした思われる場面が多くあり、物語の構成とビジュアル面の双方でヒーローを『神』と表現していることがうかがえるでしょう。

http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2015/04/18/02/27AF755800000578-3043785-image-a-26_1429321030279.jpg

http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2015/04/18/02/27AF755800000578-3043785-image-a-26_1429321030279.jpg

そして、ヒーローが神に近い存在であるということはすなわち、超能力は基本的に初めから与えられるか、偶発的に得られるものだということ。たとえばスーパーマンもワンダーウーマンも最初から圧倒的な力を有している特別な存在として描かれています。だからこそ、ここに登場するヒーローは世界を管理する”雲の上の存在”なのです。BvSのドゥームズデイ戦は印象的でした。スーパーマンとワンダーウーマンのドラゴンボール的な超能力バトルをバットマンはただ傍で見守るのみ(たまに攻撃してましたが)。言ってしまえば彼らの行っていることは神々の戦いであって、人間の入りこめる隙はないのです。これはのちに紹介するMCUとの比較において興味深い点です。

DCEUがこうしたアプローチを試みた要因としては、すでにアメコミ映画としてMCUやX-MENが人気を博しており、それらとは異なる目線でヒーローを見つめる必要があったことが考えられます。また、DCEUを設計するプロデューサーのザック・スナイダーが映画全体のデザイン性に強いこだわりがあることも挙げられます。彼のフィルモグラフィーをチェックすると、どうやら映像に寓意的なモチーフを登場させることが好きなようなので、単純に『画的なカッコよさ』を追求した結果、キリスト教のイメージが強く意識されるようになったとも取れるのではないでしょうか。

MCUのヒーローは『ヴィジランテ』だ

http://www.thewrap.com/capn-crunch-cereal-war-trailer-captain-america-parody/

http://www.thewrap.com/capn-crunch-cereal-war-trailer-captain-america-parody/

DCEUの描くヒーローが『神』であるのに対し、MCUに登場するヒーローは、国家からは独立した軍事力を持つ『ヴィジランテ』(自警団)として描かれています。この方向性は『アイアンマン2』で米軍がアイアンマンスーツを没収しようとした時点で示され、『アベンジャーズ』のラスト、ヒーローたちがロキ率いるチタウリの侵略に立ち向かう”NY決戦”によって完全に定まりました。チタウリの出現によって全人類が地球外にも未知の脅威が存在することを知り、スーパーヒーローたちが世界経済の中心で縦横無尽に飛び回り、建物や道路を破壊するのを目撃したのです。当然、彼らに対する恐怖と批判の声は高まります。そうはいってもこの頃はまだSHIELDが超人たちを招集、管理することでアベンジャーズは機能していました。機密の多いSHIELDに対する不信感や批判はあっても、そのままアベンジャーズの活動に非難の声が集まることはありませんでした。

しかし『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(以下CA/WS)でキャプテン・アメリカたちの活躍によってじつはSHIELDが腐敗しきった組織であることが判明、この組織は完全に崩壊します。ここまでの事件によってヒーローたちを監視、管理する存在はなくなりました。彼らはその力を自由に使える状態が生まれてしまったわけです。シリーズ冒頭から神レベルの超人たちが暴れまわるDCEUとは異なり、現実と地続きの世界観にヒーローの存在を根付かせ、徐々にその力が肥大化し、影響力が増していくさまを描くのがMCUだといえるでしょう。

『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(以下AoU)では、フリーになってしまったヒーローたちが自分たちだけでアベンジャーズを結成、SHIELD崩壊後の世界秩序を守ろうとするさまが描かれます。しかし、トニー・スタークが作った防衛プログラムのAIが暴走し、最終的に国ひとつが丸ごと消し飛ぶまでの被害をもたらしてしまったことで、ヒーローに対する世間の風当たりは強くなってしまいます。体系的な指揮系統もなく、ただバラバラの能力を持つ超人たちが自分たちの意志だけで行動を起こした結果、地図を変える大事件を起こしてしまうのだから、当然といえば当然です。ここにきてついに『ヒーロー=ヴィジランテ』という図式がはっきりと浮かび上がります。AoUのソコヴィア事件によって加熱したアンチ・ヒーローのムーブメントに強制される形で、国連は、国連主導によるヒーローの管理を目的とするソコヴィア協定が提案されます。これが『CW』の冒頭。そして協定賛成派のアイアンマンサイド(秩序を重んじ、ヒーローは管理されるべきとする立場)と協定反対派のキャプテン・アメリカサイド(自由を尊び、ヒーローはヴィジランテであるべきとする立場)に分かれたヒーロー同士の内戦が始まるのです。

『CA/WS)』以降、MCUは『AoU』『CW』と立て続けにアベンジャーズを登場させており、『ヴィジランテとしてのヒーロー』のあり方を論ずる内容になっています。『ヴィジランテ』ということは、あくまでヒーローの前提は人間なのです。神なのか人間なのか、復活するのかしないのかという、DCEUの神話的なヒーローの捉え方とはベクトルが違います。ヒーローは圧倒的な力を持って人類の上に君臨する『神』ではなく、たとえばいつでも自由に核ミサイルを発射できてしまうようなおっかなさのある、特殊な戦力を有する『ヴィジランテ』でしかないということになります。ヒーローを『神』だと捉えていたら管理なんて発想には至らないでしょう(『BvS』でスーパーマンは連邦の公聴会に呼ばれてつるし上げられますが、あれは魔女裁判に近いもの。あくまで『裁き』であって力の『管理』ではありません)。

したがってMCUのヒーローたちは人間の延長線上にある存在だと言えます。アイアンマンやウォーマシンはあくまで外装は鋼鉄ですが、中身は生身の人間ですし、キャプテン・アメリカも超人血清によって筋肉が非常に発達しているものの、コスチュームを脱げば普通の青年。ホークアイやブラックウィドウにいたっては特殊な訓練を受けた凄腕のエージェント、という以上のものはなにもなくて、これまた普通の人間です(ソーやハルクは少々異質ですが、頻繁に故郷のアスガルドに帰ったり、ことあるごとに行方をくらましたりと、他の超人とは若干距離を置いた描かれ方をしている印象です)。私たち観客とものすごく近い距離で戦っているようなイメージ。また、MCUでは多くのヒーローが最初から力を与えられるのではなく、何らかのきっかけで自ら力を得ていくというのも興味深いでしょう。最初から人間とはかけ離れている”神々の戦い”の領域に踏み込んだDCEUとは大きく違いますね。

X-MENのミュータントは『被差別者』だ

x1

X-MENシリーズはアメコミ映画シリーズの中ではいちばん歴史あるもの。かつてアメコミにあった子供っぽいイメージを脱却し、リアリティを前面に押し出したアメコミ映画ブームに火をつけたのは間違いなくX-MENシリーズです。たとえば、コスチュームは原作のイメージを維持しつつ原色を排したシックなデザインに落ち着かせることで極力現実味のあるものに仕上げているし、ストーリー面でも登場人物の葛藤や苦しみを丁寧に描くことで、単なるアクション映画以上に、ヒューマンドラマとして面白い作品になっています。

そしておそらくもっとも特徴的なのは、そのテーマ性です。X-MENに登場するヒーローたちは突然変異によって様々な能力を手に入れた人類=ミュータントです。人類の進化の系譜に当てはまれば、ミュータントはホモサピエンスのひとつ先を行った”未来の人類”ともいえます。ミュータントたちは世界中のいたるところに存在する。たとえ親がミュータントでなくとも、子どものころは能力がなくとも、突然覚醒して特殊な能力を手に入れる可能性はあるんです。ミュータントは特殊な能力を有し、他の人類と共に社会生活を送っています。しかし、差別されてしまう。本質的には人類と変わりはないのに、差別や偏見のまなざしにさらされることで、周囲から浮いてしまうのです。つまりミュータントは『被差別者』なのです。そこが『神』や『ヴィジランテ』とは異なるところです(MCUではインヒューマンが登場するので何とも言えませんが…)。

また、一部の人類にとってミュータントの存在は脅威になります。彼らが人類の進化の先を行っているのだという劣等感とか、いずれ人類の上に立って支配しようとするのではないかという恐怖感とか、複雑に感情が混じり合って、人類がミュータントに対する差別・偏見をもっているのがX-MENの世界なのです。これはまさしく現実世界の鑑です。人種、宗教、ジェンダー、様々な要因から理不尽にも差別されてしまう人々がいる。X-MENはそういった実際に起こっている出来事をミュータントに例えて描いています。そのうえで、人類との共存を夢見るプロフェッサーXとミュータントの力で人類を支配しようとするマグニートーの対立、ふたりの間で揺れ動くミスティークという人間ドラマが築かれているのです。『アポカリプス』でも人類のミュータントに対する態度に不信感を抱き、地下活動せざるを得ないミスティークや、ミュータントと人類の融和を目指して学園を運営するプロフェッサーXの姿は印象的でした。ミュータントを取り巻く差別や偏見の物語は、現実世界を反映して、これまでもこれからも描かれていくことでしょう。

いかがだったでしょうか。MCUは『ヴィジランテ』、DCEUは『神』、X-MENは『被差別者』という目線からヒーローのあり方をとらえている、というのが私の結論です。これからもたくさんの作品が公開されるアメコミ映画。どのような展開を見せていくのか、今から非常に楽しみです。

About the author

和洋様々なジャンルの映画を鑑賞しています。とくにMCUやDCEUなどアメコミ映画が大好き。ライター名は「ウルトラQ」のキャラクターからとりました。「ウルトラQ」は万城目君だけじゃないんです。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

ポップカルチャーは世界を変える

TwitterでTHE RIVERをフォローしよう!


こちらの記事もオススメ

JOIN THE DISCUSSION

※承認されたコメントのみ掲載されます。