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『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』後任監督J.J.エイブラムス起用を考える ─ ファン賛否、反対派は署名活動開始

スター・ウォーズ/エピソード9

2017年9月12日(現地時間)ルーカスフィルムは、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を降板したコリン・トレボロウ監督に代わってJ.J.エイブラムス監督が指揮を執ると発表した。既に『フォースの覚醒』(2015)を手がけているJ.J.の起用は妥当とする声が強かった一方で、この人選を不服とするファンも少なくない。反対派のファンによって、J.J.起用の撤廃を求めるキャンペーンも登場した。

果たして、J.J.の再起用をどう捉えるか。不安や恐れを感じる?気をつけた方がいい、その感情はダークサイドに通じる。

ヨーダの元に相談に出かけてみても、「心を鍛えて、失うことへの恐れを捨てよ」なんて答えになっていないアドバイスをされるだけだ。そこでこの記事では、賛成と反対、両側の観点から考えてみたい。

賛成

J.J.エイブラムスはTVや映画業界、とりわけSFジャンルにおいて長いキャリアと経験を持つ。
10代後半から8ミリを使って映画制作を行っていたJ.J.(その自己投影は『SUPER 8 / スーパーエイト』(2011)に現れる)は、マイケル・ベイ監督の『アルマゲドン』で脚本制作に加わった1998年、TVドラマ『フェリシティの青春』を4シーズンに渡って手がけた。2001年には根強い人気を誇るTVドラマ『LOST』と『エイリアス』を制作。『エイリアス』の大ファンだというトム・クルーズから直々に『M:i:Ⅲ』(2006)の監督に招かれ、念願の映画監督デビューも果たした。

『スタートレック』(2009)のリブートを成功させた功績もあり、SFファンから「J.J.先生」とも崇められるJ.J.は、バランス感覚に富んだクリエイティブ・センスに恵まれている。映画監督であり、脚本家であり、またドラマプロデューサーでもあり、ドラマ『フェリシティの青春』『エイリアス』『LOST』』『FRINGE/フリンジ』では作曲も手がける。

『クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008)では2,500万ドルの低予算カイジュウ・ディザスター・ムービーで1.7億ドルを稼ぎ出し、『スター・トレック』(2009)は続編『スター・トレック イントゥ・ダークネス』(2013)と共にファンから高評価を得た(Rotten Tomatoesでは94%と84%のスコア)。おまけに、既に『スター・ウォーズ』の監督も経験していると来た。これ以上の監督は世界中を探し回っても見つけられないはずだ。

常に「余白」を残すスター・ウォーズの神秘性と、あえて核心を謎に包ませるJ.J.の手法は、まるでハン・ソロとチューバッカ、C-3POとR2-D2のように互いに馴染んだ。2009年のJ.J.は、WIRED誌へこう寄せている。

「ところで『LOST』の結末はどうなるのかとよく訊かれるが、(中略)ぼくが教えたらどうなるのか。さしあたり「へぇ」と思うかもしれないが、コンテクストがない。なんせ最終回は1年も先なのだから。

つまり、体験──ジョークのオチにいたる前段階、マジックの盛り上がりまでの展開── においては、結果と同じくらいその過程のスリルが重要なのだ。旅の途中の発見と驚きは、その終わりを充実したものにするだけでなく、いろいろな意味でそれを際立たせる。」

J.J.は、『スター・ウォーズ』のファンが『フォースの覚醒』に始まり『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に終わる過程で陥るささやかなカオスの重要性を、この上なく理解している映画監督の1人である。『フォースの覚醒』は、様々な形をしたミステリーの塊を、涼しい顔をしながらポロポロとポケットからこぼし落とすような作品だった。一般の観客が真面目に取り合わない些細な塊も、ファンは興味深げに拾い上げ、仲間内で見せ合いながら協議することを楽しむ。そのカルチャーをよく理解しているJ.J.は、『フォースの覚醒』ジャクーでタイ・ファイターに追われるミレニアム・ファルコンがパーツを落とした瞬間、すぐに拾いに駆け寄るスカベンジャーも描いてみせた。

また、同作は『新たなる希望』(1977)のオマージュに溢れる作品だったと指摘される。ハン・ソロやミレニアム・ファルコン、そして最大の隠し玉ルーク・スカイウォーカーは往年のファンを泣かせながら最大の見せ場として効果的に登場する。ドロイドやクリーチャー、宇宙船にジャクーの砂漠やマズ・カナタの酒場は、「見たことがあるのに、見たことがない」という奇妙なマジックをもたらした。J.J.は語る。

「西部劇であれば必ず出てくる要素といえば、荒野、町の酒場、黒ずくめの悪党、そして馬や駅馬車といったものだ。西部劇に必要不可欠なもののリストは、きっと誰もがぱっと思いつく。同じようにスター・ウォーズにも、これは絶対欠かせない、みんなが絶対に観たいと思うものがあって、それをちゃんと出していくことに問題はないし、それはやるべきだ。」

これに昔懐かしさや心地よさを感じるファンもいれば、「それにしてもやりすぎだった」と非難するファンもいる。こうした引用をひとつひとつ指摘することについてJ.J.は「一向に構わない」としながら、「ぼくに言わせれば、この映画で大事なのは、画面の中でさまざまな体験をする登場人物の隣で、観客も一緒になってそれを体験しているような気持ちになること」だと語る。「大切なのは要素そのものではなくて、やっぱり背後にいる人間なんだ」と、制作の早い段階で気づいたという。

レイ、フィン、そしてカイロ・レンは、人種的ダイバーシティも、現代的な精神状態も投影したバラエティに富んだ登場人物だ。J.J.はこうした新たなキャラクターを礎としながら、あくまで共感できるストーリー・テリングを試みた。従来のファン、新たなファン、そしてルーカスフィルムの意図にも繊細に気を払いながらの芸当だった。結果として、『フォースの覚醒』は全世界興行収入20億ドル、同シリーズ最高の興行収入という大成功をもたらした。

反対

J.J.のクリエイティブは正しかっただろうか。そして、偉大なるサーガを締めくくる『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に値するだろうか。

ルーカスフィルムに対し、「これはお前の探している監督ではない」と手をひらめかせるのが、熱心なファンのマット・ヴェラ氏だ。マット氏はオンライン署名サイトchange.orgで、J.J.エイブラムスの『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』起用の中止を求める署名活動をスタートした。マット氏はこのように賛同者を募っている。

「スター・ウォーズのファンたちは、J.J.エイブラムスが『フォースの覚醒』を手掛けたことに動揺していました。興行収入には反映されませんが、ほとんどのファンは『フォースの覚醒』におけるJ.J.のヴィ
ジョンが『新たなる希望』の二番煎じに終わっていたと考えています。そこに創造性はなく、安易な選択でした。このような安牌は、新トリロジーに相応しくありません。つまるところ、スター・ウォーズは興行収入という物差しで測るべきではないのです。ルーカスフィルムとディズニーはファンの批評の声を聞くべきです。スター・ウォーズのファンに耳を傾けるべきなのです。

『フォースの覚醒』でスター・ウォーズが新たなトリロジーを迎えた時、ルーカスフィルムとディズニーは各作品で新たなビジョンを取り入れると約束していました。『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』にJ.J.を起用したということは、ルーカスフィルムとディズニーの両者はこの約束を破ったことになります。

以上のことから、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が再びオリジナル三部作(特に『ジェダイの帰還』)の猿真似になることを防ぐべく、また、スター・ウォーズというブランドのために、我々はキャスリーン・ケネディ(編註:ルーカスフィルム社長)に対し、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』監督からJ.J.エイブラムスを交代させることを要求します。」

この主張は、根拠と論理性に欠けた少々子供じみたものだろう。マット氏はただ『フォースの覚醒』が気に入らなかっただけであり、ルーカスフィルムに一言を挟みたいだけのように感じられる。「新たなビジョン」の定義が人によって異なる以上、「約束を破った」と言われても為す術はない。J.J.の交代を求めるとは言いながら、その後の代替案も欠落したこの呼びかけには、現時点(2017年9月16日)で322人の賛同が集まっている。

しかし、マット氏の意見に頷ける部分もある。
そもそものコリン・トレボロウ降板劇は、スター・ウォーズの制作舞台裏に潜むクリエーターとキャスリーン・ケネディ率いるルーカスフィルムとの不和を象徴している。スピンオフ『ハン・ソロ』でも同じように監督が降板しており、また『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)では内容の大半を直前になって再撮影したと報じられ、ファンの不安を煽っていた。

これは、製作上の最終的な実権を握る人物のひとりであるキャスリーン・ケネディの意向によるものとされる。業界に内通した映画プロデューサーは「もしもキャスリーン・ケネディのご機嫌を損ねたら、事情が何であれ、終了。追い出されます」とも明かしている。「新たなビジョン」を胸に飛び込んだフィル・ロードとクリス・ミラーも、結局はキャスリーンと意見を違いにして『ハン・ソロ』から追い出されてしまった。主導力の強いキャスリーンらルーカスフィルムが、最終作『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』で野心たぎる監督を暴れ馬にさせてしまうより、馴染みのJ.J.監督を乗りこなしたいという保守派の考えに至ったプロセスは想像がしやすい。

さらに、この配役を「安牌」と捉えるのも、わからなくもない。確かに、J.J.エイブラムスの『フォースの覚醒』を観れば「あっ、置きにきたな」と感じられることもある。従来のファン、新しいファン、そしてルーカスフィルムらに気を使ったようなこの作品は、言わば八方美人だった。
サーガは、ライアン・ジョンソン監督による次回作『最後のジェダイ』で明かされるという「史上最大の衝撃」をどう収束させ、フォースにバランスをもたらすのか。その偉大なる業務は、J.J.監督の肩に耐えられるのか。スター・ウォーズが「無難」に終わってしまうなんて、ファンは想像したくもないのだ。

監督交代を経て、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は公開予定を2019年12月20日に延期。J.J.否定派のファンは、「あんたが憎い!」と叫びながら、または「もう救ってくれた…お前が正しかった…」と囁きながら、そのどちらかの想いと共に2020年を迎えることになるのだろう。

Source:https://www.change.org/p/kathleen-kennedy-lucasfilm-remove-j-j-abrams-as-director-of-star-wars-episode-ix
http://www.vulture.com/2017/09/star-wars-episode-8-colin-trevorrow-firing-explanation.html
『WIRED vol.18』 2015年10月1日 コンデナスト・ジャパン

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。