【レビュー】『君の名は。』境界線を想像力で突き抜ける、「出会えない」ボーイ・ミーツ・ガール
映画『君の名は。』が抜群に優れているのは、この作品がいわゆる青春映画やラブストーリーの枠に収まらず、境界の「こちら側」と「あちら側」に関する物語として完成しているところだ。
これまで筆者は、『君の名は。』で原作・脚本・編集・監督を務める新海誠のよい観客ではなかった。脚本は深みに欠け、演出もドラマとしては成熟しておらず、音楽のプロモーションビデオとしてはワンパターンという印象だった。
しかしながらこの映画は非常に優れた作品だ。新海は本作で、未知の世界への想像力を絶やさないことを強く訴えかけている。
「出会えない」ボーイ・ミーツ・ガール
映画『君の名は。』は、1,200年ぶりの彗星接近を間近に控えたある日、東京の男子高生・立花瀧と、岐阜県の田舎町・糸守町に暮らす女子高生・宮水三葉が、お互いに入れ替わってしまう夢を見るところから始まる。戸惑いながらも夢を満喫していたふたりだったが、やがて「入れ替わり」が現実であるという事実に気付き、相手の人生の一部を生きることを受け入れるようになる。瀧と三葉は互いにメモや日記を残しながら、いまだ会ったことのない相手について少しずつ理解していくのだった。
この作品の大きな特徴は、主人公の瀧と三葉が徹底的に出会えないことだ。「入れ替わりもの」の代表例といえば、一緒に階段を転がり落ちたことで中身が入れ替わる『転校生』だが、こちらは顔を合わせたことのない人物同士が入れ替わるのであり、しかもなぜ入れ替わるのかはわからない。
ともあれ瀧と三葉は、「出会ったことがない」にもかかわらず「出会っている」という奇妙なねじれを体験することになる。東京と岐阜という土地間の距離はもちろん、なぜか電話やLINEは通じず、ふたりは相手の人生を生きていくことでしかコミュニケーションを取ることができない。同時に相手の存在は自分が認識する中にしかないのである。もっとも、その認識が揺らぐ瞬間こそ物語のキモになるのだが……。
境界線と想像力のラブストーリー
なんらかのツールを使えば簡単に出会えてしまう現代で、新海は周到に「出会えない」という設定を用意する。すると、そこでは同時にたくさんの境界線の存在があぶり出されるのだ。たとえば自分と他人、男と女、大都市と田舎町、そして以前/以後、など……。
『君の名は。』の前半部分では、瀧と三葉がまるで違う互いの人生をどう理解するのか、そしてどう生きるのか、ということがコメディタッチで描かれる。そこで彼らは、見たことも会ったこともない他者の人生への想像力を少しずつ芽生えさせていくことになるのだ。そして展開が一転する後半部分では、入れ替わりという形で「ただ出会う以上に出会ってしまった」ふたりの間に決定的な断絶=境界線が存在することが判明する。では瀧と三葉は、その決定的な断絶をいかに乗り越えようとするのか? 彼らは互いに育んできた想像力によって、本来到底乗り越えられないはずの境界線を突破しようと試みるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=k4xGqY5IDBE
『君の名は。』は、こうした境界線の向こう側にいる人物に対する想像力を(たとえば「好き」というエネルギーによって)駆使するラブストーリーだ。新海はこの視線を最後まで貫徹することで「想像力が勝利する可能性」を宣言するのである。
前半のハイテンポに対してクライマックス以降がいささか長かったり、脚本の点で説明不足や詰めの甘さは感じられたものの、それはさしたる問題ではない。あくまで儚い青春ラブストーリーを真正面からやりきっていること、またその内側で描かれていることの真摯さに胸を打たれる作品だ。
向こう10年間の「青春アニメの金字塔」
付言しておくと、『君の名は。』は物語以外でも丁寧さが行き届いた作品だ。新海作品の特徴である美しいアニメーションは今回も(豪華アニメーター陣の参加もあいまって)冴え渡っているし、神木隆之介・上白石萌音コンビはフレッシュな魅力で観客を引っ張っていく。脇を固める声優陣もみな世界観にマッチしており、なかでも瀧の憧れの先輩役で登場する長澤まさみには驚かされるだろう。
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