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映画『ある天文学者の恋文』レビュー 全ては、別次元に旅立ったエドからのサインだったのだろうか

『ある天文学者の恋文』評価・感想

「ニュー・シネマ・パラダイス」の名匠 ジュゼッペ・トルナトーレ監督最新作。
著名な天文学者のエド(ジェレミー・アイアンズ)とスタントマンの仕事をこなしながら大学へと通うエイミー(オルガ・キュリレンコ)は、妻子ある教授と教え子という関係上 周囲には秘密でその愛を育んでいた。
出張中のエドといつものようにメールでやり取りをしていたエイミーは、大学の講義中にエドの訃報を耳にする。
死してなお届くエドからのメール 手紙 動画
二度と逢うことが叶わないはずなのに、まるで今も生きているかのようなエド
その真実に その想いに触れ、エイミーの心が行き着く先とは…
誰しもが到達できるとは限らない究極の愛のカタチを描いた作品だ。

こんな「愛」をぼくは初めて観た。
愛の形は人それぞれだけど、この作品で描かれていた愛の在り方は一種の到達点だ。

相手の良いところも 悪いところもすべて受け入れられる。
自分のことよりも 相手のことを想って行動できる。

言葉にしてしまえばカンタンだが、容易にできることではない。

生半可な想いでは
上辺の愛だけでは
すべてを抛つだけの覚悟がなくては
到底真似などできやしない。

真似しようとしたところで、成し遂げられるはずもない。

たとえその身が朽ち果てようとも生き続ける愛

あんな奇跡のような出来事を起こせる程に人を愛したことが今まであっただろうか。

ぼくにはない。
別にあなたの愛を否定するつもりもないが、殆どの人がないと思う。
もしくは、まだ道の途中なのだと思う。

これまで口にしてきた「愛」は、どれもこれもまやかしだったのかもしれない。
もしくは、入口に立てただけで終わってしまったのかもしれない。

ぼくが思っていた「愛」では、あんなところにまで達することはできない。

真に相手を想っていなければ
相手を理解していなければ
互いに愛し合っていなければ
不可能だ。

死の危険が伴うスタント業を何故やっているのか問われた際、エイミーは冗談交じりで「生を実感するため」と答えていた。

劇中でエイミーが辿る道
それはその言葉通りだったのかもしれない。

知らぬ間に死んでしまったエドの「生」を
胸に抱えた想いを解き放つことで得られる「生」を
エドのいなくなった世界でやっていく「生」を

それらを手にするための道であった。
それらに導くためのエドの死・想いであった。

エドは死のその時をエイミーと迎えることもできたと思う。
そうすることで得られた安らぎが
そうすることで互いに受け入れられた想いがあったはずだ。

だが、エドはそれを選ばなかった。
死してなお彼女に寄り添う手段を
彼女を想い 生き続ける手段を模索していた。
只ひたすらに彼女のことを考え抜いていた。

自らの死さえも愛する者のために差し出し、エイミーの生き方を この先の未来を案じていた。

星に魅せられた二人が繰り広げる会話には、SF的な ファンタジー的な匂いが感じ取れる。

劇中に登場する犬 葉っぱ 鳥など、そのすべては別次元へといってしまったエドからのサインだったのかもしれない。
並行世界に存在する複数のエド達からのサインだったのかもしれない。

それらの要素が、目には見えない「愛」というモノとリンクしていく。

解き明かされることのない宇宙の神秘
それは、真実の愛と等価値であるのかもしれない。

それ程までに「愛」の定義は曖昧で 不鮮明で 漠然としている。
人によって捉え方も異なる。

にも関わらず、この作品はひとつの愛のカタチを魅せてくれた。

あんな風に人を愛せる自分に 相手に巡り逢うことなんてできるのだろうか。

正直 無理な気しかしないけれど、あきらめたくもない。
あんな「愛」を観てしまったのならなおのこと。

哀しくて もどかしくて 切なくて あたたかい
そんなラブストーリーです。

きっとあなたの心にも響くと思います。
ぜひ劇場でご覧ください。

Eyecatch Image:http://www.cinematografo.it/news/la-corrispondenza-di-tornatore/

Writer

ミヤザキタケル
ミヤザキタケル

映画アドバイザー 元俳優 ライター 映画イベントMC。Instagramを中心に最新映画から懐かしの映画まで幅広く紹介。「ファイトクラブ」 「GO」「男はつらいよ」がバイブル。好きな監督はウディ・アレン。お仕事のご依頼はa.safety.pin.storm@gmail.comまでお願い致します。

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