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『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督の映画と音楽への想い─『セッション』とどう描き分けたのか?

第74回ゴールデングローブ賞では7部門受賞、第89回アカデミー賞では6部門を受賞。大ヒットしている今1番話題を集めている映画『ラ・ラ・ランド』。その監督、脚本を手がけたのがデイミアン・チャゼルだ。

http://www.imdb.com/name/nm3227090/mediaviewer/rm781267456
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1985年生まれ、32歳という若さで『セッション』『ラ・ラ・ランド』と各界から絶賛される映画を世に送り出しているチャゼル監督。この両作品にも共通しているキーワードは”ジャズ”だ。

チャゼル監督は『ラ・ラ・ランド』を、どのような思いをこめて撮ったのであろうか。『セッション』と『ラ・ラ・ランド』の違いとは一体何であろうか。今回は”芸術家”チャゼル監督の映画、音楽に対する思いについて考えていってみよう。

【注意】

この記事には、『ラ・ラ・ランド』に関するネタバレ内容が含まれています。

自分と重ね合わせた、主人公たち

http://www.imdb.com/title/tt2582802/mediaviewer/rm2482816256
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『セッション』の主人公、ニーマンは若きジャズドラマー。『ラ・ラ・ランド』の主人公、セバスチャンはジャズピアニスト。チャゼル監督もかつては、ジャズミュージシャンになる事を夢見ていた。しかしその道は諦めることを決め、映画監督を志した。チャゼル監督はニーマン、セブに自身を重ね合わせ、そして夢を託しているのだ。

http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm2761033472
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『セッション』でのニーマンとフレッチャーの狂気に満ちた形相とその演技からは、チャゼル監督のジャズに対する強い情熱が伝わってくる。『ラ・ラ・ランド』でも、ジャズピアニストを目指すセブの方が、女優を目指すミアよりもその動機や心情が細かく描かれているように感じる。

幼い頃のおばのパリの話、華やかな世界への憧れ。『ラ・ラ・ランド』の冒頭、ミアが働くカフェに女優が訪れる。店員からのサービスを断り、きちんとお金を払い颯爽と去っていく女優。そし物語終盤、同じカフェのシーンがあるがその時の女優はミアだ。まるでミアが最初に現れた女優のコピーのように描かれていることに対し、セブは自分自身の店を出店した。

チャゼル監督は”ミア=映画”よりも”セブ=音楽”の方が、思入れ強く描いているように感じられる。

チャゼル監督は音楽が、ジャズが好きで好きでたまらないのであろう。時に自分を苦しめ、痛めつけ、しかしいつまでも心にある特別な存在なにであろう。

『セッション』 と『ラ・ラ・ランド』の違い

『セッション』から感じ取れるもの。ほとばしりでる汗。痛々しく流れる血。情熱。苦しみ。狂気に満ちた2人に、充分に共感できるかというと難しい。『セッション』では芸術は、狂気から生み出されるものとして描かれている。

http://www.imdb.com/title/tt2582802/mediaviewer/rm1835651328
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しかし『ラ・ラ・ランド』からは狂気は感じ取れない。それは芸術は”愛”から生まれるものと描かれているからだ。 ラブストーリーが主体である『ラ・ラ・ランド』は、『セッション』よりも我々が感情移入しやすく仕上がっている。

ミアとセブは結ばれなかったが、セブが夢を叶えられたのは、自分の店を持つことができたのはミアとの愛があったからだ。自分にとっての芸術、ジャズは”愛” から生まれるものだ。
チャゼル監督のジャズに対する描き方が、『セッション』『ラ・ラ・ランド』の違いだ。しかし両作品とも我々の心を揺さぶるのは、チャゼル監督のジャズに対する深い敬意が根底にあるからだろう。

『ラ・ラ・ランド』最後の10分間の意味とは

女優になりたい。“映画” のミア。ジャズピアニストになりたい。”音楽”のセブが出会い恋に落ちて生まれた物語が”ミュージカル”『ラ・ラ・ランド』だ。
『ラ・ラ・ランド』、最後の10分間。ミアとセブの”もしこうなっていたら”という空想の世界がロマンチックに美しく描かれる。あのシーンが意味するものとは何であろう?

http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm1072968192
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チャゼル監督はジャズミュージシャンへの道は諦めた。しかし映画と出会った。映画の中でなら、ジャズミュージシャンを描ける。自身の経験を描くことができる。映画という永遠に生き続ける、夢のような世界の中で。チャゼル監督にとってあの10分間は、自分にとっての”映画”という存在なのではないだろうか。

夢の中なら、架空の世界でなら、何をすることも可能だ。あのシーンは自らも”音楽”という夢が破れた経験を持つ監督が、これからは別の夢”映画”を作り続けようという、決意なのではないだろうか。

http://www.imdb.com/title/tt3783958/mediaviewer/rm225050624
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しかし『セッション』『ラ・ラ・ランド』どちらも、主人公の恋は破れてしまう。芸術には、夢には、犠牲や喪失はつきものだ。しかし劇中の言葉にもあったように、芸術家でいるためには革命家でいなくてはならないのだ。チャゼル監督はそうやって、自分を奮い立たせているのかもしれない。

自らの夢や経験を描き、私たちに音楽とは、映画とは、芸術家とは何かを教えてくれるデイミアン・チャゼル監督。彼がこれからの作品でジャズをどのように描くのか、どのような美しい物語を編み出すのか、私たちにどんな夢を見せてくれるのか、今から待ちきれないところである。

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Moeka Kotaki

フリーライター(1995生まれ/マグル)

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