あなたは本当に恋人を愛している?映画『ロブスター』が問いかける愛のかたち
ある映画を観た。今年公開された『ロブスター』だ。劇場で見たかったのだが、タイミングが合わずDVDでの鑑賞となってしまった。コリン・ファレル、レイチェル・ワイズ、レア・セドゥ、ベン・ウィショーと豪華な俳優を迎えた今作は、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している。
タイトルの『ロブスター』は主人公が、もし自分にパートナーが出来なかった場合になるつもりの動物だ。100年以上生き、半永久的に生殖機能がある、そして海が好きだから、という理由。私なら、ワニを選ぶな。
絶対的にカップルにならなければいけない、(さもなくば動物にされてしまう)という世界を描いた設定を面白く感じていた。何故なら、そういった強制的な恋愛を強いられる状況であるほど、真の愛の在り方が問われるものだったりするからだ。
時代はいつなのかわからない。だが、その世界にはルールがあった。
- 45日以内にパートナーを見つけること
- 独身は罪
- 捕まれば動物になる
その世界では独身は許されず、誰かとパートナーといるべきという事。そして、独身の人間は相手を見つけるためにホテルに収容され、ある期間のうちにカップルになる事ができなければ、動物になってしまう。

この映画で描かれているものの一つは、独身を異端とみなし、抹消していく世界だ。リアリスティックに欠ける設定かもしれないが、果たしてそうなのだろうか?
現在、我々の生活には至るところに“出会い”が設けられている。お見合い、合コン、マッチングアプリ、SNS……。『結婚できない男』というドラマがはやってから、お一人様というワードが出てきて、今では晩婚化の世の中。しかし、それにしては急速的に出会いの場が増えてきている。
本当に独り身を良しとされているのか、いささか疑問ではないだろうか。

とはいえ、この作品の素晴らしいと思った点は、観る人次第であらゆる解釈やテーマ性を見いだせる事ができる点だ。
そこで、作品において私が着眼した“愛”というものに関してお話したい。
本当に好きな人と一緒にいる?

ホテルに収容された主人公は動物になるのが嫌で、好きでもない女とカップルになる。しかし、血も涙もないその女に、連れていた犬となった兄を撲殺され、平然を保っていられなかった事から気持ちの嘘がバレてしまう。
それをきっかけに、主人公は独身者が身を隠している森に逃亡した。
好きでもない人と、カップルを繕うことは難しいのだ。それは、好きな人にその恋心を隠すことより難しい。
強制から逃れた主人公は、独身の者らを統率しているグループリーダーに迎えられ、一員となる。そこにもまた、ホテルと同様ルールがあった。絶対独り身でいること。キスやセックス等は御法度で、イチャイチャしているところを見られた者は、唇を切られるなどの罰を与えられる。

だが、彼はここで本当にある女性を愛してしまう。彼女の事が好きになったきっかけは、彼女が自分と同じ近視だったという事だ。二人は、この二人がもつ共通点を大事にしていた。
やはり、同じ境遇や軌跡、或は特徴など、共通点が愛のはじまりとなるようだ。
しかし、我々はそれを信じているからこそ無理をする事がある。ホテル内で友人になった男は、ある美しい女の子を捕まえたかった。彼女はよく鼻血を出す子で、気に入られたくて彼もよく鼻血を出すと嘘をついた。本当は、その度にどこかにぶつけていたのに。
さて、ある晩、独身グループがホテルを襲撃する。彼らは銃をもち、自分の担当する部屋に向かっていく。主人公はこの時、上で紹介した鼻血を出す子と友人のもとへ向かった。
一方グループリーダーはホテルの支配人夫婦のもとへ。そこで銃を突きつけながら、妻を縄でしばる。夫に対して、妻をどのくらい愛しているか問うた後、自分は彼女を失った後でも一人で生きていく事が可能か聞く。

殺されたくない一心の彼は、自分は一人で生きて行けるが彼女は無理だと、彼女を売るのだ。そこで、銃を彼に握らせ、妻を打たせる。彼は実際に打ったのだが、空砲だった。
それだけ見ると満足したリーダーはそのまま何もせず、部屋を後にする。
残されたのは、話し合いが必要なカップル、というわけだ。
主人公もまた、友人カップルの所に行き、彼の鼻血の癖は嘘だという事だけを告げる。この襲撃には、暴かれるべきものを暴く意味があった。
彼らは、偽りのカップルを欺いたのだ。つまり、これら一連の事は、今カップルとして付き合っている、側にいる相手を、あなたが本当に好きでいるかという事を問いかけている。
共通点を失うことは、愛を失うことなのか

さて、主人公の恋は日に日に熱くなっていく。彼女も彼の事を非常に愛していたので、二人はついに森から街に逃げることを決めた。しかし、お互いの気持ちを交換していたノートをリーダーに見つけられ、彼女は盲目にさせられてしまう。
彼女は盲目になった事を彼に悟られたくなくて、一瞬見えているふりをするのだが、すぐに「あなたに嘘をついても仕方ない」と言って、盲目にされた事を話す。
本当に愛する人間の前では、嘘や繕うことは意味をなさないのだ。
しかし彼はショックを受け、少し考えてしまう。近視、という共通点がなくなってしまい、彼は新たな共通点があるか、「ブルーベリーは好きか」「ドイツ語は話せるか」など質問していく。ついには、彼女が明日の朝また会おうという提案に、「どうだろう」と口を濁してしまった。
あれだけ愛してあっていたものが、こうも簡単に冷めてしまうのだろうか。
もうダメなんだろうか、と思っていたある日の事、彼は彼女のもとに向かう。そこで、暗号を話した。それは、一緒に街に逃げようという内容だったのだ。
彼は既に、好きでもない人といる事の苦痛と不可能さを知っている。つまり、彼は彼女の事を心底愛していたと言えるだろう。彼は愚かにも共通点を失ったことで、彼女を愛する自信さえ失っていたが、やはり愛しているので駆け落ちする決心をしたのだ。不安や怯えを克服した彼を嬉しく思う。
次の日、リーダーを陥れた彼は彼女の腕をとり、街に向かう。

無事に街についた彼らはダイナーに向かい合って座っている。そして、彼は彼女に横顔や肘などを見せるように言うのだ。まるで、目の奥に焼き付けるように。彼は、ウェイターにステーキナイフを持ってこさせ、それを持ってトイレにたつ。
自分も彼女と同じように、盲目という共通点を得ようとするのだ。
戸惑いながら、痛みをこらえるために口にティッシュを詰めて、鏡を見る彼。その彼を、ソワソワしながらもジッと待つ彼女。映画はそこで終わってしまう。
共通点は、その恋をはじめるきっかけになる。それは間違いない。
しかし、例えその共通点を失ったとしても、その愛はなくなってしまうのだろうか。それは恐らく、本当にあなたがその人を愛しているかという問題に変わってくるに違いない。
彼は、彼女の事を本気で愛していたばかりに、自分が何を失っても良いと思ってしまったのだろう。そして、やはりまた共通点というものを持つことで、安心して側にいられると考えたのかもしれない。これは、先ほどの鼻血を偽る男友達と同じ心理だと思う。
一方で、もし彼女が彼を本当に愛していたのなら、自分が盲目になって不幸に感じた事を、彼にさせないだろう。だが、彼女は目を潰しにいく彼を静止することなく、「私も側にいようか?」と問いかけた。彼を愛した故に盲目になった自分が、今更彼を手放すことなんて出来ないのでは。
いや、もしかしたら彼女は彼を愛しているからこそ「盲目になってまで自分といる事を幸せ」とする男を、幸せにさせたかったのかもしれない。

誰も、一人にはなりたくない。何故なら、皆、動物になるのが怖いから。
色々な問題を提起された上で、考えさせられる。なかなか、素晴らしい映画だった。
ぜひ、独りでいることに怯えきった彼らから、あなたも是非あなたなりに感じるものを感じてみて。
Eyecatch:http://taylorholmes.com/2016/08/31/the-lobster-movie-ending-explained/