A24『マクベス』はコーエン監督流の緊迫スリラー、シェイクスピア映画の新たなスタンダードとなるか【レビュー】


余談だが、本作に先駆けてイギリスのアルメイダ・シアターで上演された『マクベス(The Tragedy of Macbeth)』では、マクベス夫人を『レディ・バード』(2017)『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)のシアーシャ・ローナンが演じた。本作のフランシス版マクベス夫人は、マクベスがマクダフの妻子を殺そうとすることにも躊躇わないが、同作でシアーシャが演じた若きマクベス夫人はマクダフの妻子を殺すことに抵抗し、自ら妻子を逃がそうとするも止められず、これをきっかけに精神状態を崩していく。基本のストーリーは同じでも、演じる俳優や年齢の違いによって物語に大きな違いが出るところが解釈や脚色の面白味だ。
そして、ジョエル・コーエン版『マクベス』における3人目のキーパーソンは、3人の魔女をひとりで演じたキャサリン・ハンターだ。英国演劇界の重鎮であり、日本の舞台ファンにも野田秀樹作品などで知られる名優である。ジョエルは本作の魔女をカラスとして描いており、これが作品の不気味な性質を際立たせているが、キャサリンは声と身体のパフォーマンスでその役目を文字通り体現。人間の異様な肉体が、マクベスが最初に対峙する未知と恐怖を象徴し、本作のトーンを決定づけた。ちなみにキャサリンはまったく別の役どころでも登場し、魔女とは異なる存在感を発揮している。

ところで、先に「オーソドックスな仕上がり」と記したが、コーエン兄弟の過去作品を思わせる特徴は作品の随所にうかがえる。一種の犯罪映画としての構築はもちろん、ダンカン王の殺害シーンなどに見られるドライだが陰惨な暴力描写(舞台では直接見せないような場面もダイレクトに表現される)、舞台ではカットされることもある門番の登場シーンをあえて残し、作品にユーモアの要素を担保すること。原作では脇役であるロス(アレックス・ハッセル)をマクベスの腹心として、同時に真意の見えない謎の男として丁寧に描き、新たなサスペンスのレイヤーを加えたところも興味深い。
空間とサウンドのデザイン
最後に触れておきたいのが、ジョエルが『マクベス』を映画化するにあたり、あえて演劇的な、舞台と映画の境目を曖昧にする手法を採ったことだ。撮影と演出の鍵を握ったのは、『バスターのバラード』(2018)などのコーエン兄弟作品で撮影監督を務めてきたブリュノ・デルボネルと、本作でジョエルと初タッグを組んだ美術監督のステファン・デシャントである。
もともと『マクベス』の物語は11世紀のスコットランドが舞台だが、本作の美術は当時を再現するのではなく、むしろ高い抽象性と記号性をそなえた“どこでもない空間”として造られている。城や戦場、森など複数のセットが登場するが、それらは現代でも昔でもなく、作品世界やマクベス夫婦の心象風景を浮かび上がらせる場所として現れるのだ。ジャスティン・カーゼル監督版『マクベス』(2015)のようにディテールを突き詰めていくケースもあるが、ジョエルは逆のやり方で『マクベス』に挑んでいる。

美術の主なインスピレーションとなったのは、20世紀前半に活躍した英国の演出家・舞台美術家であるエドワード・ゴードン・クレイグや、同じく20世紀初頭のドイツ表現主義、さらには黒澤明や小林正樹の映画だった。セットはロサンゼルスのスタジオに組まれ、撮影はジョエル史上最短だという35日間で行われている。その一方、デンゼルとフランシスは撮影の1年前から断続的に稽古を行い、出演者全員でも数週間のリハーサルが事前に行われたというから、創作のしかたも映画というより演劇に近かったことがうかがえる。
もっとも、それほど抽象性を高めていながら──もちろん抽象性が高いからとも言えるが──『マクベス』という物語の中におそろしい現在性(アクチュアリティ)が不意に出現するところも見どころだ。マクベスが派遣した暗殺者によってマクダフの妻子が殺される直前、ロスが彼女たちに語りかける言葉や、同じくロスがその事実をマクダフに伝える場面で口にする「1分ごとに何かが起き、1時間前の情報は古い」という時間感覚は、シェイクスピアの原作にある台詞にもかかわらず、現代の政治やSNS社会を鋭く刺す。