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【インタビュー】『マーティン・エデン』ピエトロ・マルチェッロ監督が語る、小説を映画にすること ─ 「あまりにも原作に忠実な映画です」

マーティン・エデン
©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

無学の男が上級階級の女性に出会い、作家として底辺から高みを目指す。「野性の呼び声」などの世界的作家ジャック・ロンドンによる自伝的小説を、イタリアにて映画化した本格文芸作品『マーティン・エデン』が2020年9月18日(金)に公開された。

青年の切望と激情をじっくりと描いた本作で、主演のルカ・マリネッリは2019年ヴェネツィア国際映画祭《男優賞》に輝いた。THE RIVERでは、この力作を手がけた俊英ピエトロ・マルチェッロ監督に取材。2019年トロント国際映画祭で審査員プラットフォーム賞、2020年イタリア・アカデミー賞で脚色賞を射止めた才能が、「小説を映画にすること」を語る。

このインタビューでは『マーティン・エデン』のテーマについて言及されています。

マーティン・エデン
(c) Kazuko Wakayama

原作には共感しない、しかし忠実に作る

── ジャック・ロンドンによる原作『マーティン・イーデン』(白水社)は非常に長い小説で、約2時間の映画にするのは大変だったのではないかと思います。なぜ、この原作を選ばれたのですか。

原作の小説は、マルリツィオ・ブラウッチ(共同脚本)に勧められて読みました。彼は作家で、昔からの友人ですが、初めて読んでから20年も経ってから映画化したんです。ブラウッチは20年前、僕に「きっと気に入ると思う」と言ったんだけど、その予言が的中したわけですね。

『マーティン・エデン』は、男が独力で成功を手にする物語なので、私自身とは違います。マーティンには非常にネガティブなヒーローのような側面がありますが、そこも完璧に共感できるわけではありません。ただし、文化を通じて自分の求めていたものを手に入れるという物語は誰にでも通じるし、誰にでもそういう可能性はある。文化や美、芸術を通じて自己実現する物語は非常に魅力的だと思ったので、この作品を選びました。

マーティン・エデン
©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

── 小説と映画ではメディアとしての性質がまるで違います。セリフではない言葉を脚本に落とし込んだり、全体の長さを調整したり、工夫も多かったのではないでしょうか。

小説を脚本にする、そのこと自体に問題はありませんでした。ブラウッチと非常にいい仕事ができたのも良かったですしね。ただ、原作が大作なので、やはり映画化は大変でした。脚本の初稿は300ページもの長さになってしまい、さすがにそのまま映画にはできないので、どんどんカットしていきました。私はこの映画でプロデューサーも兼ねているので、そういう意味ではとても苦労しましたね。撮影監督も兼ねていますが、私は現場であれこれ完璧にチェックしたいタイプなので、もうプロデューサーを兼ねるのは最後にしたい。だけど、脚本を書くことは苦労しなかったですね。

── 想像するだけで大変そうだと思ったので驚きました。実際の執筆についても、大変なところはありませんでしたか。

僕は、ある意味で原作に忠実な映画になったと思っていますよ。結末だけ変えていますが、それは原作の終わり方が19世紀的だったから。それに、この映画は原作と似た生まれ方をしています。ジャック・ロンドンが『マーティン・エデン』を発表した当時、彼は「個人主義を批判した」といって大きな批判を受けました。この映画も(個人では作りえないという意味で)同じ経緯をたどっています。ただし一方で、私は文学と映画を比べた時、文学の方がはるかな高みにあって、映画ではとても到達しえないと思っています。文学や詩は純粋な芸術だけれど、映画は集団で作るもので、完璧にはコントロールできないから。そもそも(原作の)純粋な次元に達することはありえないんです。

マーティン・エデン
©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

── 冒頭からアーカイブ映像や記録映像が使われているなど、小説よりも物語を見つめる視線が多いことはよくわかります。このアプローチにはどういう狙いがありましたか。

私は以前からアーカイブ映像をよく使っていて、この映画では、かつて個人的に撮ったものも使用しています。それは、これが歴史の物語だからですし、同時に、マーティン・エデンの内面も示したかったから。もともと、マーティンが20世紀を通り過ぎていくさまを描きたかったんですよ。『マーティン・エデン』という物語は、『ハムレット』や『ファウスト』にも似た、ひとつの原型だと思います。そこで舞台をナポリに移し、設定もイタリア人に変えて、そういう意味では原作から自由に映画化したかったんです。

── 作家を目指すマーティンは、自分の表現を突き詰めながら、同時に自分自身の世界を獲得していきます。ナポリが舞台であることも含め、彼の描き方には監督の経験や記憶も反映されていますか?

先ほども申し上げましたが、個人的にはマーティンに共感できないのです。厳しく切磋琢磨しているところまでは彼の味方をしていられますが、成功してからは、その成功を制御できず、自分自身が言葉にすべきことさえ失っているわけで。

『マーティン・エデン』は自力で自分の目標を実現する、つまり自分自身を信じる物語です。「自分は何かを成し遂げられる」と信じることは確かに素晴らしいこと。だけどマーティンの場合、自分のために生き、自分のために死ぬような生き方をしていますよね。そこに私はあまり共感できないのです。個人主義には、ほんの少しでも社会主義的な発想がなければならない。さもないと野蛮なものになってしまいますから。

私は自分のことを“自由主義的な社会主義者”だと思っていて、個人を信じながらも、社会主義的な考え方を求めています。ここでいう社会主義とは、イデオロギーのことではなく、他者と一緒にいるということ。マーティンも、人々と一緒に考えよう、行動しようとしていた頃は非常に良いものを書いていた。けれど、成功によってそういうことをしなくなってから退廃しますよね。

マーティン・エデン
©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

── マーティン・エデン役を演じたルカ・マリネッリさんとは、そういった根本的な要素から一緒に役を作っていったのでしょうか?

もちろん、このことは深く話し合いました。マーティン・エデンという役柄をルカのものにしてもらうのが大切だったので、何度も、何度も話し合いましたね。やはり、この映画の問題は、あまりにも原作に忠実だったことだと思います(笑)。ジャック・ロンドンが個人主義に批判的だったのと、まるで同じことをしていますから。けれども観る人によっては、そこが曖昧に見えることがあるらしい。だけどマーティン・エデンという人は、左翼にも右翼にも好かれる人物なんですよ。

イタリア・ナポリ。労働者地区で生まれ育った、貧しい船乗りの青年マーティンは、上流階級の娘エレナと恋に落ちて教養に目覚める。時代が激動する中、無学だったマーティンは、運命の出会いに導かれるようにして文学にのめり込んでいった。彼は作家を志し、独学で夢に向かって突き進むが、やがて生活は困窮し、恋人の理解も得られない。ところが、絶望に駆られてすべてを諦めようとした矢先、彼の運命は一変する。その時、彼を待ち受けていたものは希望か、それとも絶望か……。

映画『マーティン・エデン』は2020年9月18日(金)より公開中

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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