映画監督にしてミュージシャン、京都にひそむ孤独の天才・松野泉 アルバム『星屑の国』によせて
京都に留まり続ける才能
松野泉は天才である。
そして、その事実はあまりにも全国的に知られていない。
映画監督として複数の作品を発表し、録音技師として濱口竜介『ハッピーアワー』に参加し、シンガーソングライターとして多くのライブイベントに登場し、その全てで素晴らしい成果を刻んでいるのにもかかわらず。
その理由の一つに、松野が京都在住で、主に関西を拠点に活動している人間だからだ、という点がある。しかし、同時に松野の才能は、京都に留まっていたからこそ、研ぎ澄まされたのだと言うこともできる。6月6日に発売されたファーストアルバム(そのライブキャリアを思うと、ファーストと書くことに些かの驚きがあるのだが)、『星屑の国』で松野はこう歌う。
煙草の自販機を探す振りをして
見慣れた景色をぼんやり眺めてた
公園のベンチで1人頷いた
東京グッドバイ 東京グッドバイ
東京グッドバイ 東京グッドバイ
(「東京グッドバイ」)
多くのリスナーはこの曲を、東京での生活に負けて、帰郷を決意する人間の歌だと解釈するだろう。しかし、自分にはこの曲が、地方在住の主人公が「東京で成功する」という既成の上昇街道を捨てて、オルタナティブな意志に沿いながら地方に留まり続ける決意をしたように聴こえるのだ。
キャリアの歩み、俳優としても得た評価
こうした解釈に共感してもらうには、松野のキャリアを振り返っておく必要があるだろう。1982年生まれの松野は大阪芸術大学入学後から短編映画や映画を制作するようになる。注目されるきっかけとなったのが処女長編『GHOST OF YESTERDAY』だ。自主制作による本作は、声優活動を本格化させる前の寿美菜子(現スフィア)もメインキャストで出演しており、松野の作品で唯一、DVD化もされている。翌年、大阪府からの助成金で『YESTERDAY ONCE MORE』を完成。その後、2008年のぴあフィルムフェスティバルで『GHOST~』が審査員特別賞を受賞するなど、関西インディーズ界に留まらない賞賛を受けるようになる。
また、俳優として2012年、平波亘監督の『労働者階級の悪役』に主演。MOOSIC LAB 2012に出品された本作で、松野は東京“MOOSIC AWARD 2012”のベストミュージシャン賞を獲得する。
その後も、濱口竜介『ハッピーアワー』や安川有果『Dressing UP』といった話題作にスタッフ/音楽参加。いまや引く手あまたの才能として、関西にその名を轟かせている存在だ。
今も尚、クリエイターが東京に拘る必然性はあるか?
と、ここまでくればどうして東京進出をしないのかという疑問が湧いてくるだろう。例えば、大学の先輩、山下敦弘は在学中の作品で注目され、東京進出し、いまやAKB48の(元)センターを主演に起用できるほどの売れっ子となった。映画の才能において、松野は山下に引けを取っていない、と自分は思う。それを全国に証明する機会があまりにも少ないのは残念だが。
関西で確実なリスペクトを集めながら、しかし、全国的にはほぼ無名の存在。そんな松野の立ち位置は、今の日本の映画状況を象徴してもいる。カメラや編集ソフトをはじめとする、映像制作の機材が安価になり、あるいは、専門学校や大学でレンタルできる状況がポピュラーになり、映画制作のハードルは技術的にも経済的にもここ10年でかなり下がった。結果、より個人の才能やアイディアのストックが作品で試される時代となった。
映画とは興行的には、東京に集中している産業である。しかし、制作側に立つと最早必ずしもそうではない。むしろ、コストが安価に抑えられる地方でのロケはメジャー作品でも数多い。地方で開催される映像系ワークショップも増えてきた。つまり、東京に進出しなくても、才能ある映像クリエイターの仕事が確保されるようになりつつある時代、それが現代なのである。松野泉は京都に留まり続けていることでそのクリエイティヴィティーをメジャー映画の持つ政治性や制約から守っているのだと言える。
「孤独」の傑作アルバム『星屑の国』
現在、映画監督としての新作が待機中だと聞く松野だが、それよりも早く我々の元に届いたのがアルバム『星屑の国』だった。「労働」、「拡散」といったライブの定番曲も新曲も収められた本作が、松野の感性に世間が触れるきっかけとなることを願って止まない。
音楽的には遠藤賢治、豊田道倫、前野健太と続く日本のシンガーソングライターの系譜だが、ボブ・ディランの毒々しさとジェフ・バックリィの繊細さを足して2で割ったような松野の歌声は唯一無二である。
そして、アルバムでは徹底して孤独が歌われている。孤独といっても、孤独であることに打ちひしがれ、助けを求ているようなことはない。孤独である自分自身を冷静に見つめ、時にはその状況をユーモラスに自己分析している瞬間すらある(これは松野の映画作品にも共通している感覚だ)。
例えば、ベッドの上で束の間の性戯に夢中な恋人達や(「星屑の国」)、薄幸の女にそれと知っていても欲情してしまう男や(「エビオス嬢」)、初めて恋人と入ったラブホテルで行為をし損ねてしまう男(「私のさかな」)など。そして、これらの登場人物の孤独は、京都という、映画産業的に見ると「地方」に属する場所で、嘆きも怒りもなく淡々と制作に勤しむ才能=松野自身の姿と重なっていく。
「労働」と並んで本作の個人的ベストトラックである「まひる」は、最もダイナミックな曲構成と、「孤独」が押し出された歌詞を持った楽曲である。
一人で生きるのは
寂しいし怖いね
誰にも知られずに輝き続けるのは
そう、松野は京都の地で一人輝き続ける星かもしれない。しかし、
誰もが瞬く星
誰もが孤独な光
でもあるのだ。
松野をはじめとする才能が、見合っただけの知名度を持たずに地方で瞬いていることを、本音を言えば少し寂しいと思う。しかし、その光は、孤独であるが故の美しさであるとも我々は知っている。そして、自分のような地方で生きることを選んだ人間に勇気を与えてくれているのだ。
*尚、本文中の松野泉氏のキャリアについては公式HPを参照させていただきました。
(公式HP http://matsunoizumi.jimdo.com/プロフィール/)