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なぜ『モーリタニアン 黒塗りの記録』は前向きな映画なのか ─ 拷問、拘禁、それでもエンタメの力を信じた監督の意志【インタビュー】

モーリタニアン 黒塗りの記録
© 2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED.

ベネディクト・カンバーバッチやジョディ・フォスター、ザッカリー・リーヴァイら豪華キャスト共演でアメリカ衝撃の真実を描く映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』が2021年10月29日より公開となる。

本作は、9.11アメリカ同時多発テロの首謀者の1人として一方的に拘束され、不当な拷問や拘禁を知られた男、モハメドゥ・スラヒが獄中で書いた手記に基づく書籍が原作。ベストセラーとなったこの本は、政府の検閲を受けて数千箇所が黒塗りされたまま出版されて大きな話題を呼んでいた。

この本に衝撃を受けたベネディクト・カンバーバッチが、どうしても映画化したいと権利を獲得。自身の製作会社でプロデューサーに専念するはずが、出来上がった脚本に感銘を受けて出演も志願したという興味深いエピソードを持つ作品だ。

THE RIVERは、この衝撃作の監督を務めたケヴィン・マクドナルド監督に単独インタビュー。『ブラック・セプテンバー/ミュンヘン・テロ事件の真実』(1999)でアカデミー賞長篇ドキュメンタリー賞に輝き、『ラストキング・オブ・スコットランド』(2006)も映画賞を総なめ。代表作の一つに、2009年『消されたヘッドライン』もある。

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『モーリタニアン 黒塗りの記録』ケヴィン・マクドナルド監督 単独インタビュー

──本作のプロデューサー陣は、2015年の時点でこの映画化企画に取り組んでいたと聞きます。オファーを受けた時のことを教えてください。

原作書籍は、モハメドゥがグアンタナモ収容所の獄中で書き溜めていた手記です。UKで出版された時、彼はまだ収容所の中にいて、すごく話題になったんです。日本でもそうだったんでしょうか。

それから2年後の2017年、ベネディクト・カンバーバッチの製作会社がこの本の映画化権を獲得して、私も気になっていました。本を読んで、すごく興味深いと思っていたんですが、どうやって映画化するのかなと。この時代の戦争やテロを題材にした作品は、すでに充分ありますしね。

製作陣からは、一度モハメドゥと話をしてみてほしいと言われました。彼と話したことで、私もこの映画を作りたいという気にさせられたんです。彼を登場人物にした映画を作りたいと。

彼の物語は常軌を逸しています。すごく温かい、赦しの物語だったんです。それから、彼はすごく面白い人でもあって、映画通でもあるんですよ。僕なんかより、よっぽどアメリカ映画にお詳しい。全く予想外でした。アメリカから酷い拷問を受けた方なのに、それでもアメリカ文化を深く愛しているんなんて。アメリカの音楽やカントリーも、西部劇も、クリス・ロックも、『ビッグ・リボウスキ』も、なーんでもご存知で、大好きだって言うんです。でも同時に、アメリカのことを憎んでもいる。そんなところが、非常に興味深いと思いました。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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──劇中では、モハメドゥが酷い拷問を受ける姿が描かれ、辛いものがありました。しかし、最後にはモハメドゥご本人の現在の実際の映像が紹介され、非常に落ち着いた様子で、穏やかで、笑顔を見せています。とても安心させられました。でも、実際にはPTSDを患い、今も苦しんでいることと思います。

その通りです。彼はまだPTSDに苦しんでいますが、前向きな人生を送れるよう、多大な努力をされています。

彼は他人のことを気にかけるタイプの方。人と会って話している時間が、彼にとって一番幸せな時間なのだと思います。彼はこの映画を通じて、自分の物語が世の中に伝わったことを喜ばれています。いろいろな人がTwitterやInstagramを通じて連絡してくれて、話せることを嬉しく思われています。辛い出来事でしたが、そこは彼にとってポジティブなこととなっています。

彼は今、この世界で生きる1人として、自分に起こった最悪の出来事を世に伝え、より良い世の中を作るという使命を感じられています。彼には、あの出来事をアートに、本に、映画に変えられる力がある。確かにPTSDを患い、今も非常に苦しまれています。でも、ポジティブな人間になるべく、かなりの努力もされている方です。今も戦っている彼の姿を見ると、本当に心が動かされます。だからこそ、私もこの映画を作りたいと思ったんです。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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──モハメドゥご本人も、完成した本作を鑑賞したのでしょうか?

映画の序盤や終盤は何度も観ていますが、最初から最後まで通しで観たのは1回だけだと思います。拷問パートが、彼にとってトラウマだからです。

──ご本人もグアンタナモ収容所のセットでの撮影に立ち会ったそうです。しかし、セットがあまりにもリアルに作られていたため、過去のトラウマが蘇ってしまい、その場にいられなくなってしまった。

そうです。グアンタナモ収容所のパートを撮影した南アフリカのロケ地にも来られましたが、収容所のセットに入るやいなや、(拷問されていた瞬間に)戻ったような気になったようです。10分も経たないうちに、「もう失礼します」と。(拷問の)再現は、彼にとって本当に辛かったようです。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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──モハメドゥは、非人道的な拷問を受け続けました。残酷すぎるためにカットせざるを得なかったもあったのでしょうか。

モハメドゥが受けた拷問について、映画に取り入れられなかったものはたくさんあります。たとえば、同じ場所に、同じ姿勢で、何時間も、何日も立ちっぱなしにされるという拷問は、映画では描きにくい。それから身体的に残酷だったものとしては、ボコボコにされたり、無理やり大量に食べることを強要されたり、極寒の部屋に数週間放り込まれてひたすら震えていたり、といったこともありました。映画として、どうしても映像にしにくいものがあって、そういった場面は取り扱わないことにしました。

しかし、映画で見られた、性的暴行や、母親への殺害・強姦予告などは、すべて実際に起こったことです。それはモハメドゥの証言からだけでなく、アメリカ政府側の記録からも事実であることが分かっています。

──この物語は政治、宗教、軍法についてのものですが、かといって本作は「政治映画」「宗教映画」「軍法映画」ではないと思います。この物語の核にあるのは何でしょうか。

私も同じ考えで、これは「政治映画」ではないと思います。「人間性」についての映画であり、それが核だと考えています。人間性が奪われた人物に、人間性をもたらそうと試みました。世間から、悪人扱いされ、酷い人間だと言われ、悪魔だと言われ、理解もしたくないと言われ、テロリスト扱いされたこのムスリム男性ですが、それでも当然ながら人間です。愛すべき人間です。愉快で、とても暖かい人間です。

特にアメリカやイギリスの人にとっては、「テロ容疑を受けた人の映画だけど、この人のことは好きになれる」と感じるのは難しいと思います。それでも、このキャラクターのことを好きになってほしかった。オバマ政権時、彼はさらに7年拘束されることになります。観客は、そのことに恐怖とショックを受けて、同情するはずです。

とはいえ、「この無実のテロリストが善で、アメリカ人はみんな悪」というだけの映画にはしたくなかった。それも事実とは異なるからです。現実はもっと複雑。ナンシー・ホランダーにスチュアート・カウチ中佐、彼らは善人です。正しいことをしました。どの立場の人物も、正しいことをやろうとしたんだということは、理解しておくべきです。誰もが、自分なりの理由を持っている。有名なフランスの映画監督ジャン・ルノワールが、「誰にだって理由がある(Everyone Has His Reasons)」と言ったようにね。

──確かに、どの立場も強調することなく描かれていることに好感を持ちました。

観る人次第で判断ができるようにしたかったんです。それに、それぞれを1人の個人として描きたかった。キャラクターを、ひとつの政治観として単純化しないようにしたんです。

特に今のアメリカ政治には分断がありますからね。「こっちか、そっちか」という感じで、民主党派なら共和党派を嫌うし、共和党派なら民主党派を嫌う(笑)。でも、もちろん両者とも人間ですよね。もしお互いに政治の話さえしなければ、仲良くなれるはずなんです。私たちは同じ人類。そのことを思い出させる、前向きな映画を作りたいと思っています。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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──非常にデリケートな内容の物語ですが、エンターテインメント映画として成立させる必要もあったのではないでしょうか。重苦しくなりすぎないように工夫がされていると思います。

そうです。この題材を既に知っている人だけに向けて映画を作っても仕方がないですから。もっと大衆に観てもらいたい。ベネディクト・カンバーバッチやシャイリーン・ウッドリー、ジョディ・フォスターのファンの方にもね。メインストリームでは扱われにくい題材を用いて、メインストリーム映画として仕上げたかった。それならエンターテインメント要素やスリラー要素、ジョークも必要です。

ですから、今作はアート映画ではありません。一般の観客を目指したメインストリーム映画です。もちろん、今作を通じて人々を啓蒙し、モハメドゥについて知ってほしいという思いはあります。でも、娯楽としての楽しみも与えたかった。

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──あなたはドキュメンタリー映画監督としても知られていますよね。それから、過去作『消されたヘッドライン』も、ひとつの真実を求める者たちの物語でした。
映画製作には、2年や3年といった長い年月がかかるものと思います。この長い製作の間、ひとつの真実を探求し続けるモチベーションはどこから得ているのですか?

それは、若い頃ジャーナリストを志していたからだと思います。(ジャーナリストと)同じ衝動に突き動かされているんでしょう。観客がまだ知らないことを見せたい、観客が理解していなかった形で、世界の動きを伝えたい、という思いです。ジャーナリスト的な考えだと思います。

それと同時に、私は映画の持つエンターテインメントの力を信じているんです。たくさんの人が映画を観るのは、そこにエンターテインメントがあるからです。ですから今作でも、政治の面、人間性の面、そしてエンターテインメントの面のバランス取りには気を使いました。うまくいく時もあれば、うまくできない時もあります。

「映画とは、ごく一部のエリート向けであるべきだ」という考えには同意しません。そういう人たちは、既に自分と同じ考えを持っているはずだからです。もちろんアート映画は素晴らしいですし、私も好きです。でも、そういう作品は、幅広い観客に向けられたものではないですし、それでは人々の考えを変えることができない。映画には、人の考え方を動かす力があると思っています。まず感情を動かすことができる。感情が動けば、きっと新しいことを考え始めるはずです。

──面白いことに、日本ではカンバーバッチ出演作が立て続けに2作公開されることになります。1作はあなたの『モーリタニアン』で、もう1作は『クーリエ 最高機密の運び屋』というスパイ・スリラー。こちらの監督はドミニク・クックで、彼もイギリスの方です。

彼のことは存じ上げていますよ。

──先日ドミニク・クックともお話したのですが、ベネディクト・カンバーバッチがどれだけ献身的であるか、映画製作に情熱を注がれていたかを聞かせてくださいました。あなたもカンバーバッチの姿勢に刺激を受けることはありましたか?今作でカンバーバッチは、もともとプロデューサーだけを務める予定だったところ、脚本に惚れ込んで自ら出演を決めたと聞いています。

そうですね。まず彼が仕上がった脚本を読んで、「この少佐のキャラクターがすごく良い。もし役者がいなかったら、ぜひ僕が演じたい」と言ってくれたんです。なので、アメリカ人の役だけど、あなたさえ良ければ、是非お願いしたいということで。

彼はこの物語のことも、モハメドゥのことも心から信じていました。原作を読んだ時点で映画化を熱望したほどですから。それだけの情熱があれば、ひとつ上のレベルのものが作れると思いました。本当に素晴らしい方です。

モーリタニアン 黒塗りの記録
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──モハメドゥと共に戦う弁護士ナンシー・ホランダー役を、ジョディ・フォスターが演じています。彼女との仕事はいかがでしたか?

もちろん、映画界の生ける伝説と仕事を共にするのは非常にスリルがありました。彼女が演じると、役が神秘的になる。彼女は色々な作品に出まくっているわけではなく、時々出るだけですからね。

それで、この作品にも興味をお持ちいただいて、情熱を注いでくださった。実は彼女、今作ではほぼノーギャラなんです。それほどの信念を持って参加いただいて、ただただ光栄です。

彼女は、ナンシーがちょっと無愛想で、冷たいキャラクターであるところも気に入っていました。あまり人と近づきすぎない、ビジネスに徹したキャラクター。そんなところが自分にちょっと似ているからこそ、演じたいと思われたそうです。

とてもご一緒しやすい方でしたが、彼女はこれまで素晴らしい映画監督たちと共に仕事をしてきた方ですし、ご自身も監督としても優れた方でしたから、圧倒もされました。監督としては、私よりもずっと物知りですからね。でも、いざ撮影になると、監督(である私)に非常に敬意を払ってくださった。まったく指示通りにしてくださるし、それを面白い形で表現されるんです。

それから、ジョディ自身が非常に繊細であるからこそ、役者として素晴らしいんでしょう。人の傷つきやすさをよくご存知です。その傷つきやすさを表に出せるという器の大きさもあります。

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──本作に登場するキャラクターは実在の人物ばかりで、それに今も存命です。彼らを描くことに責任は感じましたか?

非常に感じました。良かった点は、モハメドゥが「映画は大好きです。映画が作り物ということも分かっています」というスタンスだったこと。「だから思うままに作って、いい映画にしましょう」と。

彼が唯一こだわったのは、グアンタナモ収容所を本物そっくりに作ること。独房のサイズだとか、内壁の色とか、照明の感じとか、細かいところのメモやイラストをたくさんくれました。あそこに閉じ込められるとは一体どういうことなのか、彼は観客のみなさんに知ってほしかったんです。「アメリカ政府はグアンタナモ収容所の事実を隠すために何百万ドルも費やしている。だからこそ、僕たちが事実を伝えることが大切なんです」と、彼には言われました。

もちろん映画なので、事実を脚色したり、単純化したりしています。ですから、スチュアート・カウチやナンシー・ホランダーといった実際の方たちには「こういう形で事実を単純化します」ということに同意をしていただいています。物語の順序が実際とは違うところもありますが、そこは映画作りとして脚色をしています。

──ありがとうございました。それでは最後に、日本の観客にメッセージをお願いいたします。

日本の皆さん、ケヴィン・マクドナルドです。ゴルフ発祥の地、スコットランド出身です。この度、『モーリタニアン』という映画を作りました。ジョディ・フォスターやベネディクト・カンバーバッチ、シャイリーン・ウッドリーが出演しています。主演は、素晴らしいフランス人俳優のタハール・ラヒム。ジャック・オーディアール監督の10年前の作品『預言者』にも出ていました。

今作は、グアンタナモ収容所に誤収容された男を描く実話スリラーです。役者陣も私も、モハメドゥという方が経験したこの実話に心を突き動かされて製作しました。エンターテインメント作品でありながら、深遠なメッセージを持つ映画です。ぜひお楽しみください!

映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』は2021年10月29日、TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。