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『アイアンマン』シリーズは、いかにして観客の思考力も成長させたのか ─ 『名作映画は何が名作なのか』その2

シリーズものの映画にありがちな設定の無理やりさ

シリーズものの映画を見ていると、第二作以降にかなりの確率で大きな違和感を抱く瞬間があります。たとえば、シルヴェスター・スタローン主演の『ロッキー』(1976)という作品が傑作であるのは間違いありません。ボクシング映画の最高峰であるばかりではなく、あらゆる年代、職業の人々に「自分も熱く生きたい」と思わせるだけの力を持っている奇跡的な一本です。特にあまりにも有名なラストシーン、無名のボクサーであるロッキーが、無敵のチャンピオン、アポロ相手に最終ラウンドまで戦い続けた後の咆哮は何度見ても泣いてしまいます。

しかし、続編の『ロッキー2』には首を傾げざるをえませんでした。ロッキーもアポロも最大の敬意を込めて「もう二度と戦いたくない」と言い合ったはずなのに、アポロは嘘のようにロッキーへ再戦を求めます。執拗なアポロの要求にロッキーも折れて、ついに両者は二度目の対決を果たします。

ただ、彼らのファイトは前作の感動に遠く及びません。前作、アポロ相手に戦い通したことでロッキーは、勝利以上の誇りをつかんでいるからです。ロッキーにはもうアポロと戦う意味がありません。それなのにロッキーがアポロの要求を飲むのは、単に「続編を作るため」でしかないのです。

オリジナル以降の『ロッキー』シリーズでは、老齢を迎えたスタローンの心境が反映された『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)、ロッキーがアポロの息子のトレーナーとして次世代にバトンを託す『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)などの近作のほうが優れています。いずれもロッキーが年齢相応の悩みを抱えながら、人生と戦う姿にオリジナルと変わらないスピリットが宿っています。

長く続く映画シリーズでは、お金儲けのためだけに無理な設定を繰り返すパターンが少なくありません。しかし、ときには登場人物が作品を重ねるごとに成長して、ドラマに深みを持たせているシリーズもあります。マーベル・シネマティック・ユニバースと呼ばれるアメコミ映画シリーズは、長期的視野を持ってラインナップを構成しているため、登場人物の行動や思考にほとんど矛盾がありません(あくまでも「ほとんど」ですが…)。そして、時間の経過と共に人間的成長を見せるキャラクターもいます。ここでは、アイアンマンことトニー・スタークを例にとって、映画シリーズが一人の人間を「ヒーロー」に変えていく過程を追ってみましょう。

『アイアンマン』解説

ヒーロー映画であってもヒーローではない『アイアンマン』

シネマティック・ユニバース作品の第一弾となった『アイアンマン』(2008)は、身も蓋もない言い方をすると、一人の実業家が経営方針を変えるまでの物語です。「スターク・インダストリーズ」社長で大富豪のトニー・スタークは、武器開発で大儲けをしていました。しかし、アフガニスタンを訪問した際にテロリストに拉致され、自分の販売していた武器がテロリストの手に渡っている事実を知るのです。

即席のパワードスーツを製造して脱出したスタークですが、間接的にテロを支援していた後ろめたさから武器の販売を止めようと決意します。そして、パワードスーツをまとった「アイアンマン」としてテロリストたちを征伐し始めます。

『アイアンマン』原作のコミックはいわゆる「ヒーローもの」です。では、映画版の『アイアンマン』もヒーローと呼べるのでしょうか?私は本作がジャンルとしての「ヒーロー映画」ではあっても、スタークはまだヒーローの域に達していないと思います。なぜなら、スタークが戦っている武装テロリストは、「自分で蒔いた種」でしかないからです。もちろん、自分で蒔いた種すら気にしない、ステイン副社長のような冷血漢と比べればスタークはマシな人間でしょう。しかし、本作でのスタークを突き動かしているのは罪悪感です。自分の罪を拭うために戦うスタークは純粋なヒーローとは異なります。

ここで、「だからスタークは駄目な人間だ」と言いたいのではありません。ただ、スタークのような独善的で自惚れが強い人間が、ある日突然秩序の番人になっても説得力はないでしょう。だから、本作でのスタークはまずできることから彼自身を変えていこうと試みます。彼の会社の経営を変え、これ以上武器がテロリストに渡らないようにするのです。そのため、本作の最大の敵はテロリストではなく、軍事産業を押し進めたいステイン副社長に設定されています。 

命と会社のために戦う『アイアンマン2』

『アイアンマン2』(2010)のスタークもまだ、ヒーローとは呼べないでしょう。前作から半年後、「パラジウム」の副作用により余命が短いと悟ったスタークは、父親のハワードが40年前に開催した一大イベント「スターク・エキスポ」を復活させ、自分の名を後世に残そうとしています。天才科学者で敏腕実業家でありながら、自己顕示欲の強いスタークの集大成とでも言うべき事業です。

しかしエキスポ中、カーレースを楽しんでいたスタークの前に、謎の男イワンが乱入してきます。イワンの父はハワードによってロシアに強制送還された元物理学者でした。父の無念を晴らすべく、イワンは科学兵器を使ってスタークを殺そうとします。一度は破れたイワンでしたが、スタークのライバル、ハマー社長に救われて復讐のための兵器を生み出します。

スタークとイワンのパワードスーツ対決は文句なしに面白く、『アベンジャーズ』(2012)への伏線も張り巡らされている本作ですが、いまだスタークは自分のために戦っています。大勢の人を巻き込んでいるとはいえ、イワンはいわば、スタークの身に降りかかる火の粉でしかありません。また、スターク最大の関心はいかにして延命するかということと、パワードスーツを政府に譲り渡せという要求にどう対処するかという二点です。事実、イワンは驚くほどあっけなくスターク(とウォーマシンこと中佐)に敗北します。

前作で「造反者」を倒したスタークは、本作で「ライバル会社」を蹴落とします。パートナーのペッパーを除き、スタークはいまだ自分以外の誰かのために命を懸けていません。 

『アベンジャーズ』から『アイアンマン3』で見せるトニーの成長

『アベンジャーズ』(2012)でのチタウリとの戦いでようやく、スタークは見知らぬ誰かのために命がけの行動に出ます。しかし、ヒーローに相応しいだけの精神力が備わってい
なかったスタークは、それがきっかけで強いトラウマを植えつけられ、パニック発作を患います。『アイアンマン3』(2013)は、そんなスタークが爆破テロ組織と戦う物語です。組織のリーダーはスタークと浅からぬ因縁を持つ科学者、キリアンでした。しかし、キリアンはステインやイワンのような「私的な敵」ではありません。キリアンの悪行は全米に及び、私怨の域を超えています。事実、キリアンはスタークへの憎しみが原動力ではあっても、テロ行為と復讐は別物だと語ります。

キリアンとの戦いを通して、スタークは自分の心とも戦います。スタークはチタウリ戦のトラウマからパワードスーツが手放せなくなってしまいました。しかし、正義に目覚め、誰かのために戦うことを覚えたスタークは、ラストで量産したパワードスーツを破壊します。パワードスーツがなくてもスタークは「私がアイアンマンだ」と宣言するのです。これは第一作と同じ最後の台詞ですが、意味が全く異なります。そう、ヒーローに必要なのは正義を思う心であり、武器やコスチュームは道具の一部でしかないのです。

『アイアンマン2』でS.H.I.E.L.D.長官のフューリーはスタークのアベンジャーズ加入を拒絶しました。それは、スタークに正義の心が芽生えていないと判断したからです。しかし、スタークはその後、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)では平和維持と武力の関係について葛藤するまでに成長します。

『アイアンマン3』でスタークを導いてくれたのはいじめられっ子の少年でした。『スパイダーマン:ホームカミング』(2017)でも、冴えない高校生のピーター・パーカーを、スタークは父親のように厳しく見守ります。武器もコスチュームもない状態で敵に挑むパーカーに、スタークはありったけの賞賛を贈りましたが、それはかつての自分に欠けていた心を見たからではないでしょうか。

スパイダーマン:ホームカミング
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『アイアンマン』から始まったシネティック・ユニバースも今年で10年目を迎えました。それでもなお、我々を魅了してやまないのは登場人物と一緒に観客が成長できる喜びを体験させてくれるからでしょう。『シビル・ウォー』で提示されている、「平和をかき乱す敵は侵略者だけではなく、思想を違えた同胞でもある」というテーマは、『アイアンマン』第一作の頃からは考えられないほど複雑になっています。登場人物とともに観客が思考力を高め、読解力を養ったからこそ映像化できたといえます。

スタークの人間的成長は、ヒーローにしてはあまりにも遅いスピードです。しかし、だからこそ説得力があり、今の彼が発する言葉の重みを獲得できたのです。そして、彼の言葉に耳を傾けられるほど、観客も成長したのでしょう。そこに自分はシリーズものの理想的な形を見ています。

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。