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ポストSNS時代を映す、新しいアニメの可能性とは?『21世紀のアニメーションがわかる本』土居伸彰氏インタビュー

『21世紀のアニメーションがわかる本』は訴えかける
いかにこの世界が広いのかを、私たちとこの社会がどういう状態にあるのかを、そして未知なるものや他者と出会うことの豊かさを、あくまでアニメーションについて語ることで訴え、そして読者に突きつけるのだ。

「日本を見れば、世界がわかる。」というキャッチフレーズが印象的な本書は、2016年の日本発長編アニメーション『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』を、日本のみならず世界のアニメーションの文脈から読み解いていく。その歴史や現在、作品解説を読み込んでいくうちに、アニメーションの見方が、そして21世紀のアニメーションが「わかる」ようになるのだ。
この親切丁寧にしてアクロバティックな一冊を著したのは、アニメーションについての研究・執筆のかたわら、新千歳空港国際アニメーション映画祭にてフェスティバル・ディレクターを務め、ご自身の設立した株式会社ニューディアーでアニメーション作品の配給・上映などを手がける土居伸彰氏である。

あらゆるボーダーを軽やかに越えていく土居氏のお仕事にならって、海外ポップカルチャーを日頃の専門とする「THE RIVER」も、少しだけボーダーラインを飛び越えてみることにしよう。
今回は本書の執筆にまつわるお話から、現代社会とアニメーションの関係、さらにこれから期待することまでをたっぷりとうかがうことができた。ふだんはアニメーションにはあまり関心がないという方にも、ぜひここからひるがえって、ご自身の愛するものについて考えるきっかけとなることを願うばかりである。

『21世紀のアニメーションがわかる本』(フィルムアート社刊)

執筆のきっかけ、そして企み

土居氏にとって『21世紀のアニメーションがわかる本』は2冊目の著書だ。1冊目はご自身の専門であるロシアの作家ユーリー・ノルシュテインを扱った『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社刊、以下『個人的なハーモニー』)である。
そもそも土居氏のご専門は海外のアニメーション作家・作品の研究であり、『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』といった日本のアニメーション作品を真正面から扱うことはそう多くないという。では、なぜ今回はそうした作品をあえて中心に置くことに決めたのか……。本書執筆のきっかけからは、その理由と企みが見えてきた。

土居 この本を書いた一番大きなきっかけは、2016年の日本のアニメ、特に劇場用長編アニメーションで世間が大きく盛り上がった『君の名は。』と『この世界の片隅に』でした。この2本に大きな衝撃を受けたのと、もうひとつ『映画 聲の形』という作品がとても重要だと思ったんですね。そこで、この3本を理解するための何かを自分で書きたかったんです。
 僕は2006年ごろからアニメーションについての文章や本を書いているんですが、専門は海外の作家や短編作品の作家、個人やすごく小さなチームで作られているアニメーション作品なんです。海外の映画祭に行ったり、そこの最新の動向を日本に紹介したりという仕事をしてきました。日本のアニメーション事情を扱っている人はたくさんいるので、僕が何か言わなくてもいろんな人が語ってくれると思っていて、そんなに入れ込んでいたわけではなかったんです。
 ただ『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』という3本には、自分がアニメーションに求めているもの、だから自分はアニメーションを見るんだという要素がとてもよく表れていました。そこで、この3本のどういうところがすごいのか、どんな魅力があるのかということについて、これまで海外作品や小規模作品をたくさん取り上げて、その歴史を考えてきた人間だからこそ書けるものがあると思ったんですよね。

また執筆の背景には、前著『個人的なハーモニー』の存在があった。土居氏いわく、同書で展開したアニメーションへの考え方をさらに「応用」したいという思いが、本書『21世紀のアニメーションがわかる本』への大きな動機になっていたという。

土居 『個人的なハーモニー』は大学院の博士論文をもとにした本で、ユーリー・ノルシュテインという作家の作品を、世界の個人アニメーション・シーンの歴史から理解するという内容でした。ノルシュテインは基本的に切り絵の手法を用いて、細かいパーツを使い、細かい作業でもって、とても精密なアニメーションを作る人なんですね。だからアナログ時代、フィルム時代のアニメーションが好きな人には神様みたいに思われていたりするんですが、むしろ僕自身は、ノルシュテインの作品は今を生きる私たちにアピールするところがあると考えていたんです。だから彼の作品とデジタル時代の表現の繋がりを見出したり、彼の生んだアニメーションの歴史が世界にどう広がったのかを捉えようとしたりしました。日本のアニメを例に挙げてもいて。
 それでも、『個人的なハーモニー』はノルシュテインが中心の本だったので、今の時代についてはあまり書くことができなかったんですね。僕は『個人的なハーモニー』で今のアニメーションすべてに有用、有益な見方を提示できたと思ったので、その方向性をさらに推し進めたいと思っていて。しかも2016年は、僕が“アニメーションの真髄”であると考える、「個人的な」世界を描くタイプの作品が大ヒットした年だった。『君の名は。』もまさにその好例です。なので、このように誰もが知っている作品を元にして、僕自身のアニメーションに対する考え方について書きたいとも思ったんです。アニメーション論の読者層は現状あまり広くないこともあり、間口を広げたいという思いもあり、タイトルも『21世紀のアニメーションがわかる本』と、入門書のように平易な形にしました。

『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社刊)

土居氏が語っているように、そして『21世紀のアニメーションがわかる本』という書名から察せられるように、読者は『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』を出発点として、導かれるがまま古今東西さまざまなアニメーションの世界を縦横無尽に探検することになる。そのおともになるのは、巻末にも記されている関連動画のリンク集。各作品の映像を見ながら読み進めることで、より本文を隅々まで楽しみながら、また実感をもって理解することができるはずだ。きっと上記の3本をきっかけに本書を手に取った読者は、その充実した、深遠なる世界に目まいすら覚えることになるだろう……。

土居 この本では『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』について書く一方で、僕がずっと追いかけている海外アニメーション・シーンの新しい動きや、これまで世界で起きた出来事もきちんと紹介したかったんです。『21世紀のアニメーションがわかる本』というタイトルはそういう意味でもあって。
 今の時代、YouTubeやVimeoがあって、ちょっと手を伸ばせば面白いアニメーション作品がインターネットでいくらでも見られますよね。だから、僕自身の専門である短編アニメーション作品を楽しむための道筋も作りたいと思っていました。名前はなかなか知られていないけれども、今を生きている私たちに響くような、絶対に面白い作家たちの作品がネット上にはたくさんあるので。そういった作品の数々を見てみると、『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』の新しい魅力も見えてくる、という本にしたかったんです。アニメーションというものをまるごと楽しんでもらいたくて。

ポスト・インターネット、ポストSNS時代のアニメーション

2016年の日本からめくるめくアニメーションの世界へと漕ぎ出していく本書は、時に作家たちの製作・発表の形態という切り口から、時に作品の形式やテーマ、内容という切り口から、あらゆる作品や現象、アニメーションの傾向を鮮やかに紐解いていく。作品が製作された年代や国、ジャンルといったボーダーをものともしない本書は、やがて現実/虚構という壁すらも食い破りはじめるようですらあるのだ。
キーワードは“「私」から「私たち」へ”。個人からコミュニティへと変化すること、「私」と「私たち」の内部と外部、そして「私たち」を支えているメディアの存在……。アニメーションについて語られる向こう側には、土居氏の現代社会に対する思いがゆらめいている。

土居 僕は2010年代に入ってからアニメーションの上映イベントを企画したり、会社(株式会社ニューディアー)を設立して作品を配給したりしはじめました。この時代は、当然のことながら、広報手段としてSNSが、とりわけTwitterやFacebookがすごく重要になる時代です。アニメーションについていえば、この10年間、YouTubeやVimeoといった動画サイトが市民権を得る動きもあり、インターネットそのものが私たちの時代を、私たち自身のリアリティを変えているなと常に感じていました。
 そんな中で、アニメーションはそういう変化の恩恵をすごく受けてると思ったんです。YouTubeが出てくる以前、短編アニメーションは一般の目に触れるような機会がなくて、一部のプロフェッショナルしか見られないようなものでした。それが今では作品がYouTubeにアップされて、世界中の人たちが見られる状況になってるんですよ。アクセスする人がたくさんいるとは限らないですけど、ポテンシャルとして誰でも見ることができる。もともとアニメーションは観客にすごく依存する表現なので――使っているのが記号としての絵ですから――そういった時代の変化にはきちんと対応しているはずなんです。むしろ、対応せざるをえない。だからアニメーションについてちゃんと書くと、それは私たちが生きている社会についての話になるはずなんですよ。

 私たちの時代は、SNSの発達で世界が大きく変わったり、またYouTubeやAmazonの履歴や「おすすめ」にも象徴されるように、近い趣味を持った人たちが集まって、自分たちの好きなものだけがカスタマイズされて、そこに囲まれて、閉じ込められていくような時代だと思います。20世紀までは「国民的ヒット」みたいなものもあり、みんなが同じものを共有しえた時代でした。だから、短編アニメーションも含むオルタナティブな文化は「みんなとは違うものを見せるんだ」というような、ある種のカウンターとしての立ち位置にあったと思うのですが、そういうものは完全に解体されたなって。今は、よく似た思想や好みを持った人たちのいる集団(それを本書では「私たち」と言っているわけですが)がたくさんあるという感じですよね。
 ただ、そうした変化を悪いものとして書きたくはなかった。この本を書く時には、アニメーションを通じて見える社会の変化や、社会が変えた人間たちの姿を素描した上で、そこにポジティブな意味をいかに見出せるかを重要視していました。僕は映画やアニメーションの分野で活動をするわけですが、ともすると、「映画が好きならこの作家は知っておかなきゃいけない」みたいな、教養ともいうべきものが必要以上に押し付けられてしまうケースというのを多々目撃することもあって。「今の大学生はヒッチコックも知らない」だとか、そうした教養の無さに対し、かなり批判的に語る人たちも多い。でも、そういう「教養」を持たないからこそ、切り開かれていく可能性もあるわけでしょう? 同じ趣味を持った者同士でお互いに勧め合いながら、すごく雑食的にいろんなものを摂取する。音楽も聞けば映画も見るしアニメも見る。そんなふうな雑食性が作り上げるものが確実にある。それぞれの時代にはそれぞれ異なる映画との関わり方が絶対にあるし、そういう文化をもたらす新しい社会や時代のかたちもある。そういったものをこの本で可視化したかった。

ただしそうしたことは、『21世紀のアニメーションがわかる本』では直接的に記されていない。そのかわりに土居氏は、本書の最終章にあたる「おわりに」で、湯浅政明監督による2017年の作品『夜明け告げるルーのうた』『夜は短し歩けよ乙女』を紹介するのだ。

https://youtu.be/7YV54Z5i5Kw https://youtu.be/tmeU9GFJW3I

土居 この2本の作品は、インターネット以後、SNS以後の時代におけるアニメーションの想像力の本当に良い面を体現していると思いました。以前から湯浅さんの作品って、たとえばマイノリティに押し込められがちな人を固定観念から解放されたところで捉えなおしたりだとか、雑食性ゆえに可能になる公平さの作風だと思っていました。今の時代は、伝統や教養に必要以上に縛り付けられず、これまでの差別や先入観みたいなものがなくなったところから、いろんなタイプの人たちが新しい世界を作っていける時代なんじゃないか。湯浅さんの作品にはそんな希望を感じるし、本来は繋がらなかった人たちが繋がり合って新しい時代を作っていくような、まさに“SNS以後”のポジティブな面が表れているように思えたんです。
 2016年のアニメ自体が、そういう新たな時代の「新しさ」を感じさせた。たとえば『君の名は。』の新海(誠)監督は個人制作をしていた人で、自分自身の小さな想像力で、そういうコミュニティに向けて作品を作っていた。僕が取り上げてきたような個人作家に近いところからスタートした人ですね。『この世界の片隅に』の片渕(須直)監督もノルシュテインが好きだったり、ノーマン・マクラレンという作家にオマージュを捧げたりしていて、個人作家の想像力がそのまま作品に入り込んでいる。個人作家の想像力が国民的ヒットになりうる時代へと、アニメーションは突入したのかなと思いましたね。ただ、とてもドメスティックではある。
 一方、湯浅さんはテレビで才能を発揮して、2004年には『マインド・ゲーム』という「伝説の」長編映画を作ってるんですけど、それでも“知る人ぞ知る”みたいな存在だったんです。でも海外の映画祭では神様みたいな扱いを受けていて、若い世代の人には「湯浅が一番好きだ」って人も多かったんですよね。のちに設立したスタジオ(サイエンスSARU)にもいろんな国の人が集まっていて、一時期は湯浅さん以外のスタッフがみんな外国人だったこともある。湯浅さんはそんな環境で、カートゥーン・ネットワークの『アドベンチャー・タイム』という大ヒット作品でゲスト監督を担当するなど国際的に活動されていたんです。本書は日本と世界のアニメーションの状況のパラレルについて語る本ですが、日本のアニメにかつてなかった雑多さと国際性を持った湯浅さんが、2017年に『夜明け告げるルーのうた』『夜は短し歩けよ乙女』という、いろんな想像力を許容する長編アニメーション作品2本を発表したというのは、本書を書く際の大きな後押しになりました。そのこと自体が先ほど言ったような、今のアニメーションが持ちうるポジティブな面の体現者という評価にもつながっていると思いますね。

21世紀、モードの変化と可能性

2010年代を迎え、2016年には『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』が登場、そして2017年には湯浅政明監督による注目作2本が登場した。こうした現在のアニメーションの状況を土居氏は「転換期」だと述べて、20世紀からのモードの変化をこう説明してくれている。

土居 20世紀のアニメーションのモードが「作り手が理想だと考えている世界観を、作り手から受け手への一方的なコミュニケーションによって伝えるもの」だったとすると、2010年代以降のアニメーションは、作品自体が何かを意味していたりメッセージを伝えたりするのではなく、もっと抽象的な立ち位置を保つことで――本の中では「空洞」や「空白」と書いたんですが――そこに観客が自分で意味を見出していくようなあり方に変わってきていると思うんですね。作り手主体から、受け手主体への変化というか。『君の名は。』は観客の情動的な反応が最大化するように作られたと新海誠自身も発言していますし、『アナと雪の女王』(2013)をはじめとする近年のディズニーも、以前のように単独のお姫様の視点にすべてを回収するのではなく、観客が多様な立場の人々で成り立っていることを前提として、もっとファジーになっている。その表現としてのファジーさは、『夜明け告げるルーのうた』と『夜は短し歩けよ乙女』においては、昼と夜、生と死など、大胆で動的な図式の移り変わりによる語りにもつながっている。

もっとも本文で詳しく解説されているように、新しいアニメーションのモードには複数の側面があり、それぞれに功罪がある。なかには観客の思考を止めてしまいかねないような、恐るべき(そしてエンターテインメントとしてのクオリティが非常に高い)作品も存在するのだ。
そんな転換期にあって、現在の土居氏は、今後現れる「21世紀のアニメーション」にどんな期待を抱いているのだろうか?

土居 僕はもっと、ファジーであることを許すアニメーションが増えていってほしいと思っています。「私」から「私たち」になる、ということを本の中で書いていますが、そこには二面性がある。ゾンビ的に動くデジタル・アニメーションがアクチュアリティを持つようになったというのも近年のアニメーションの大きなトピックだと思いますが、それは、私たちの個別性・独自性が消えていきつつあるということを示している。でも、「個人が消える」ということも、見方を変えれば、それは「エゴが消える」ということなのかもしれない。自分はこうあらねばならないとか、自分に対して凝り固まっていたイメージから解放されるきっかけになると思うんです。「私たち」の時代になっても、私やあなたといった個体はやはり存在し続けているわけで、「私」から「私たち」という図式を入れたのは、この「私」の中に、一つではなく複数の(「私たち」の)可能性を宿せるという主張でもあるんです。
 それは自分自身のことでも同じで、僕は研究者に始まって会社経営をしたり本を書いたりといろんなことをやっていますが、「私」から「私たち」になると、今はかなりいろんなことができる時代なんだと思います。

 今のアニメーションは、そうやって時代が変わるとともに、個人という存在のあり方がこれまでとは異なるものに変容し、とても自由になりつつあるということに気づかせてくれる。僕が現在の動向をポジティブに捉えるのには、そういう理由もある。可能性が目の前に拓ける、ということが重要なんです。『映画 聲の形』の山田尚子監督、そして湯浅政明監督は、「私たち」の世代の想像力がプリインストールされた「私たち」の世代ネイティブみたいな存在として僕は捉えているのですが、それらの作品に共通するものがある。『映画 聲の形』は、すごく狭い世界の想像力を持った人たちの物語であると考えられないこともない。でも、最終的に何が描かれるかといえば、そういう「狭い」想像力の人たちの世界が、開けることを描いている。それは湯浅監督の2作でも同じなんです。『夜は短し歩けよ乙女』でも、「先輩」と「乙女」は、夜のあいだにはあれほどまでに自分自身の問題に閉じ込められて、自分自身を懸命に生きるだけだったのに、朝が来て、日の光のなかで向き合ったとき、目の前の相手に対して、いろいろな可能性のきらめきを見出しはじめて、ワクワクする。この人はどんな人なんだろう、どんな体験をしてきたんだろう……と、人と向き合うことにワクワクするんですよ。『夜明け告げるルーのうた』も、言ってしまえば物語は、夜から朝になるだけ。でも明るくなるだけで、いろんなものが見えてくる。世界は何も変わっておらずとも、新しいものが見えてくる。
 世界にはいろんな可能性が眠っているし、「私」も今までの「私」じゃなくていいのかもしれない。そんな体験を、今、アニメーションは与えてくれるんです。

こうした言葉からは、他者と出会い、未知に触れ、「私」が変化しうる可能性への信頼と希望がはっきりと浮かびあがってくる。
それもそのはず、『21世紀のアニメーションがわかる本』という一冊には土居氏のそうした姿勢がとことん貫かれているのだ。さまざまな越境を繰り返しながら読者の出会いを後押しする本文は、『君の名は。』『この世界の片隅に』『映画 聲の形』から入った読者を新しい世界に次々と出会わせ、またそうでない読者にも、時には実写作品やゲームにも言及することで未知との接触や化学反応を促していく。もちろん、そこでひとつのジャンルに自閉することは決してない。それどころか土居氏は、本書についてこんな風にも語っているのだ。

土居 この本では劇場用長編アニメーション作品など「映画」として作られたアニメーションしかほぼ取り上げていないんですが、でも、それを通じて、社会の変化に反応しようとした本でもあるので、きっと違う分野でも、この本に書いたような変化は起きていると思うんです。小説や美術といった別のジャンルでも、今が時代の変わり目だと感じている方には、きっとこの本をヒントにしてもらえるんじゃないかと思います。

なお、土居氏がフェスティバル・ディレクターを務めている「第4回 新千歳空港国際アニメーション映画祭」は2017年11月2日(木)~5日(日)に開催される。最後にその見どころとポイントを、『21世紀のアニメーションがわかる本』に絡めながら教えてもらった。

土居 「新千歳空港国際アニメーション映画祭」は、とにかく面白くて活きが良くて、尖ってて、特色のあるものをたくさん集めるということをモットーとしています。まさにこの本で採用したアプローチそのままに、いろいろな文脈の作品を色眼鏡なしで選ぼうとしている。
 今年は湯浅(政明)さんの特集や『映画 聲の形』の音楽を担当された牛尾憲輔さんのライブ上映など、本書とも関わりの深いプログラムがたくさんあります。この本で紹介したデイヴィッド・オライリーという作家も来ますし、本を持って来てもらえると、ここに書かれていることをまさに体感してもらえるはずです。あらゆる分野で起こっている変化を捉える映画祭ですので、いろんなプログラムをたくさん見ていただきたいなと思います。チケットも安いですので(笑)。

2017年10月12日/京都・恵文社一乗寺店にて


『21世紀のアニメーションがわかる本』
著=土居伸彰 発行=株式会社フィルムアート社
定価=1,800円+税
ISBN=978-4-8459-1644-3
書籍紹介ページAmazon.co.jp商品ページ

『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』
著=土居伸彰 発行=株式会社フィルムアート社
定価=2,800円+税
ISBN=978-4-8459-1628-3
書籍紹介ページAmazon.co.jp商品ページ

◆土居伸彰氏がフェスティバルディレクターを担当!
「第4回 新千歳空港国際アニメーション映画祭」
開催日程=2017年11月2日(木)~5日(日)
会場=新千歳空港ターミナルビル
公式ウェブサイト=http://airport-anifes.jp/

◆土居伸彰氏が作品選定を担当!
「変態アニメーションナイト ザ・ツアー セレブレート」
2017年12月 札幌・京都・東京・福岡
公式ウェブサイト=http://newdeer.net/hentai-tour/

土居伸彰 (どい・のぶあき)
1981年東京生まれ。株式会社ニューディアー代表、新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター。ロシアの作家ユーリー・ノルシュテインを中心とした非商業・インディペンデント作家の研究を行うかたわら、AnimationsやCALFなど作家との共同での活動や、「GEORAMA」をはじめとする各種上映イベントの企画、『WIRED』での連載等の執筆などを通じて、世界のアニメーション作品を広く紹介する活動にも精力的に関わる。2015年にニューディアーを立ち上げ、『父を探して』など海外作品の配給を本格的にスタート。国際アニメーション映画祭での日本アニメーション特集キュレーターや審査員としての経験も多い。2016年12月に初の単著となる『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)を上梓。同書で日本アニメーション学会賞2017を受賞。

(聞き手・構成:稲垣貴俊)

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。