【考察】『パーソナル・ショッパー』における観客とモウリーンの共犯関係はいかに生まれ、いかに破綻したのか

フランスの鬼才、オリヴィエ・アサイヤス監督最新作にして、前作『アクトレス~女たちの舞台~』での好演が印象に残る、クリステン・スチュワートを主役に迎えた映画『パーソナル・ショッパー』

パーソナル・ショッパーとは、セレブである忙しいクライアントの要望に合わせ、あちこちから服やアクセサリーを買い付ける仕事だ。クライアントから自宅の鍵を渡され、買い付けた品々を届けるために、自由に出入りすることも許される。

【注意】

この記事には、映画『パーソナル・ショッパー』のネタバレが含まれています。

聞こえること、見えること

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

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寒々とした空気の中を、クリステン・スチュワート演じるモウリーンは、枯れた落ち葉を踏みしめて登場する。彼女は、踏みしめ鳴らす音によって、あたかも自身の存在を表明するかのようであるが、その乾いた音にはどこか脆さも感じられる。それは、3ヶ月前に亡くなった彼女の双子の兄・ルイスが、かつて住んでいた屋敷内においても同じようなことがいえる。彼女は屋敷の床を踏みしめることで、軋む音を響かせ、その存在を表明しながらも、今にも消えてしまいそうに感じてしまう。
昼夜を問わず薄暗い屋敷内で、彼女は何度もその暗闇に沈み、そして微かな外光に照らされ浮かび上がる。ふとした動作で彼女の姿は消え入りそうになりながら、かと思えば、またスッと観客の目の前に姿を見せてくれる。
本作では、“聞こえるのか、聞こえないのか”、“見えるのか、見えないのか”が非常に重要だといえる。彼女自身による存在の表明は、その主張が強くはなくとも、私たち観客はその音を聞き、その姿を見て、彼女の存在を確信することができる。

彼女がパリに居続ける理由は、亡くなったルイスからのサインを受け取るためだ。
彼女はパーソナル・ショッパーとしてクライアントのため、あちこち駆け回っているが、霊媒師でもあるという。彼女の身は、いくつもの怪奇現象に見舞われる。それらはあくまでも、“現象”と呼んだ方が良さそうな、態度や振る舞いで登場する。例えば水道の水がいきなり勢いよく流れ出したり、どこからともなく妙な音が何度も聞こえたり、テーブルに大きなキズが突然できたり、はたまた、“それっぽい奴”(幽霊?!)が出てきたりするものの、その輪郭は曖昧だ。ここでも先述したように、“聞こえるのか、聞こえないのか”、“見えるのか、見えないのか”が重要で、それはモウリーンにとっても、観客にとっても同じことである。

本作には、モウリーンの主観ショットというものは登場しない。つまり観客は、彼女の視点を通して、“世界”や、“怪奇現象”などを目にするのではなく、彼女が耳にし、目にしているであろうものを、観客も耳にし、目にするのである。彼女の視点を通していない以上、観客が耳にし、目にしたものを、彼女も同じように感じているのかどうかは疑わしい。が、彼女と観客の反応する対象が同じであることは間違いない。

観客とモウリーンの間に生まれる共犯関係

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

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モウリーンは仕事上、あちこちのハイエンドなショップでその品々を慣れた手つきで物色する日々だが、見ていれば、「おや?」と思ってしまうような手つきであったりもする。手にしたベルトやブレスレットは、必要以上に力強く握り締められ、金色に輝くネックレスの数々は、何か八つ当たりのように乱雑に揺すられ、ラックに掛けられた服たちに関しては、目ぼしい物を探しているというよりも、服と服の間から、その先の“何か”を忙しなく探しているようにも見えてしまう。
彼女はその手にした美しい品々に憧れを抱きながらも、それは叶わぬ夢なのだ。クライアントとの約束に「試着は禁止」というものがあり、彼女はそれを守ろうと努めている。
彼女は、「煌びやかなファッションに身を包みたい」、「今の自分とは違う自分になりたい」という欲望を持ちながらも、その抑圧に踏み止まっている。留守中のクライアント宅を訪れた時に必ず鳴る防犯アラームは、聞いていれば防犯というよりも、彼女自身に向けられたもののように思えてくる。それに対して彼女は、「はいはい分かってますよ~やりませんよ~試着しませんよ~」とばかりに、慣れた手つきで止め、自身の欲望にフタをする。
だがそれを、もう一歩、欲望に向かって踏み込ませようとするのが、彼女の携帯電話に届く、謎のメッセージである。

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

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メッセージの送り主は、自らの正体を明かすことなく、モウリーンの心をかき乱す。彼女が今どこにいるのか、何をしているのか、それは恐らくこの世界で彼女自身しか知らぬであろう情報を、的確にその送り主は言い当てる。彼女は送り主のことを、「ルイスでは?」と考えるも、この送り主に関しては彼女も観客も、その姿を見ることはできない。見ることが出来るのは、携帯電話の画面に表示される文字と音、そしてそれに対する彼女のリアクションだけである。
しかし彼女は、その送り主の姿を見ることはできずとも、ハッキリと思い浮かべることができているのかもしれない。

彼女は送り主に導かれ(というより煽られ)、ついにクライアントの服を試着するという禁忌を犯す。クライアントからモウリーンに対し、どのような厳しい抑圧があったか知ることはできないが、彼女自身の抑圧からの解放、禁忌を犯すことによる極度の緊張、それらに身を浸す彼女を見ているうちに、同じものを耳にし、同じものを目にしてきた観客たちは、それがひとつの共犯関係だったことに気づくことになるだろう。

共犯関係の破綻

オリヴィエ・アサイヤスという人は、いつも溜め息の出るほど美しいロングショットを見せてくれるが、本作においては、例えば大自然にキャメラを向けたような、画としての美しさを湛えたロングショットというのは一つも出てこない。
あったとしても、“ロング気味”止まりで、それは美しさを目指したものではなく、単に演出上“キャメラを引いた”に過ぎない。この事実は、連続する画の中で、クリステン・スチュワート演じるモウリーンの美しさをより際立たせることにもつながるだろう。
しかしモウリーンの美しさに気を取られ過ぎていると、気付けば生まれていた彼女と観客の共犯関係が、今度はいつの間にか崩壊していることを見落としかねない。

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

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この映画の中で、彼女は2度、キャメラに向かって正対してくる。つまり彼女と観客が向かい合う形になるわけであり、さらに言えば、同じものを聞くことはできても、同じものを見ることは、この世界において不可能となるわけである。この構図ができた時点で、共犯関係は揺らぎ始める。
1度目の共犯関係の揺らぎは、兄ルイスの元恋人でもある友人宅の中庭で、彼女がゆったりと椅子に腰掛けている時だ。キャメラは長い時間彼女の姿を凝視し続けるのだが、その背後に、うっすらと、しかし確実に、誰だか知れない男の姿が見える。モウリーンはこちらを向き、男に対して背を向けているため、見ていない。男は彼女の背後の奥を画面の左の方へ向かうが、浮遊感を伴った移動に足音は聞こえず、人ならざる佇まいに観客誰しもが、幽霊(!)と思わずにはいられないだろう。ここでまず、観客とモウリーンの、同じものを耳にし、同じものを目にすることで生まれる共犯関係が崩れていることが分かる。その男こそ、もしかするとルイスかもしれないが、観客はルイスの顔も背格好も、何もかも知らないのだ。

2度目の共犯関係の揺らぎは、モウリーンが恋人を追いかけていった旅先で、またもや怪奇現象に見舞われるラストシーンである。
先述したように、彼女はここでもキャメラに向かって正対してくる。「ドーン、ドーン」と重低音を伴い、彼女のいる建物は震え、それに対し彼女は「ルイスからのサインでは?」と考え、何度もその名を呼ぶ。
彼女は、向けられたキャメラに対し、その先を見つめている。つまり観客には見えないところだ。再びつくられたこの共犯関係の揺らぐ構図で、1度目とは、観客とモウリーンの立場が逆になっている。彼女が何かを見ているのか、何も見ていないのか、それを観客は知る由もないが、彼女の瞳が微かに潤み、表情が少しずつ変化していく様に気づくのではないか。その小さな変化が、どういった種類の変化なのかは分からない。そこにルイスが姿を現したのかもしれない。だが観客は、彼女の視線の先を見ることはできず、ここで再び共犯関係が崩れたことが分かるだろう。

しかし、観客とモウリーンの目の前に、ルイスがいるにしろ、いないにしろ、彼女はその姿を容易に思い浮かべることができるだろうが、観客はルイスの姿を全く知らない。仮にルイスが、観客に対してその存在を、認識できる形で現れたとしても、それをルイスだと断言することはできないはずだ。
思い返してみれば、モウリーンの携帯電話に何度も送られてきたメッセージが、本当にルイスからのサインだったとしたら、彼女は実感を伴い鮮明にルイスを思い浮かべることができるはずだが、観客の場合それは単なる、ルイスのイメージでしかない。これに思い至ると、共犯関係どころか、観客とモウリーンの、同じものを耳にし、同じものを目にする、という関係がそもそも破綻していたことに気づくだろう。ルイスを見たことがあるのか、ないのか、その違いは大きい。
このラストシーンでのモウリーンの小さな変化を目にした観客は、ようやく、彼女に対して置いてきぼりを食い続けていた自分に気がつく。エンドロール開始による彼女の退場後も、しばらくの間、彼女と耳にし、目にした、怪奇現象を思い出し、そして何より彼女の姿をハッキリと思い浮かべることになるだろう。

映画『パーソナル・ショッパー』は2017年5月12日より公開中。

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About the author

『映画と。』『リアルサウンド映画部』などに寄稿。
好きな監督はキェシロフスキと、増村保造。

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