日本で祓魔式を行う本物の神父さんに『ヴァチカンのエクソシスト』を観てもらって、感想を聞いてみた ─ 現実の悪魔祓い儀式はどう行われる?

悪魔祓いが必要とされる事例において、田中神父はほとんどが精神疾患に起因するものだと思う、と認める。映画『ヴァチカンのエクソシスト』では、“悪魔は心の傷から入り込んでくる”といったセリフが登場する。これは、かつては精神医学と悪魔憑きが渾然一体としていた歴史を示唆するようだ。
「科学や医学が発展した現在だからこそわかることも多いですが、中世、ましてやもっと前の時代では、今のように精神的な診断もできなければ、寛解に向けた治療薬もなかったでしょう」と田中神父。精神的な病を抱えた側にとって、儀式に頼らざるを得ない領域もあるのだ。つまり、“これが悪魔のせいなら、どれだけ楽か”ということである。
「極度の鬱、精神的に非常に苦しい状況になっていらっしゃる方が、“自分は本当に悪魔に苦しめられているんだ”と信じて、一縷の望みとして悪魔祓いを頼ってこられる方も、実際にいらっしゃいます。クリスチャンの方もいれば、そうでない方、洗礼を受けていない方もいるんです。ただ悪霊から解放されたい一心で教会を訪ねてこられる方も、中にはいらっしゃる。
人間が行う悪……、例えば虐待であったりだとか、そういった出来事による心の傷の方が、よっぽど癒すことが難しい。聖職者たちがお祈りをしたり、聖水をかければ、その人の心を穏やかにしてあげられるというのなら、私はいくらでも施してあげたいと思うんです。」
田中神父が実際に使用する儀式書。重要なページにはいくつも付箋が貼られていた。
儀式書の外観。右側は、祈りに使う十字架と、聖水入れ。
田中神父自身は、本当に悪魔が憑依したような超常的な事案には立ち会った経験がないといい、「日本において司教から許可を受けてエクソシズムを執行した事例は、私の知る限りではこの150年のうちほんの僅か」という。「『ヴァチカンのエクソシスト』では、98%対2%と語られます。私は、2%とは言いませんが、やはり1%は必ず何かあると思うんです。教会としては、その1%を担保している。精神的な本当の苦しみから人々を解放するための一つのツールであったり、本当に悪魔のような、人間が抗えない超常的な力から、人や物、場所を解放できるという可能性も担保しているということだと思います」と語る田中神父は、こんな不思議な話も聞かせてくれた。
「私が日本に帰ってきた時にお世話になったスペイン人の神父がいるのですが……。彼がまだ神学生だった頃、研修でインドに赴いた。ある時、悪魔に取り憑かれたという人が教会に運び込まれてきた。彼が相手をすると、突然その人物が、神父の出身地であるスペインの田舎の、非常に珍しい方言で喋り始めたというんですよ。その方言は、本当にその地の出身者か、言語学者でないと知り得ないような言葉だというのにです。
しかもその人物は、神父の出身地や出自、神学を学んでいる動機など、知るはずのないことを、次々と喋り出したそうなんです。それ以来、彼はすっかり悪魔祓いを恐れるようになってしまって(笑)。怖がる彼に代理を頼まれて、私が悪魔祓いを試みたことがあるくらいですよ。」
そんな田中神父に、“映画におけるエクソシズム”について聞いてみた。実際の聖職者の目線から、悪魔祓いの描写がリアルだと感じた作品は?
「やはり『エクソシスト』(1973)はよく出来ていますね。心理的な恐怖描写のうまさは、今でも支持される金字塔と言われるだけのことはある。今回の『ヴァチカンのエクソシスト』ではエンターテインメントに寄っていましたが、『エクソシスト』はより現実的でしたよね。
それから、アンソニー・ホプキンス主演の『ザ・ライト -エクソシストの真実-』(2011)も、儀式の様子はリアルでした。かなり取材されたのだろうなと。『ヴァチカンのエクソシスト』は、教会の“あるある”や、アモルト神父の人物描写は興味深く、一方でエンタメ映画としてとても楽しく鑑賞できましたね。」
舞台は、1987年7月──サン・セバスチャン修道院。アモルト神父はローマ教皇から直接依頼を受け、憑依されたある少年の《悪魔祓い》(エクソシズム)に向かう――。変わり果てた姿。絶対に知りえないアモルト自身の過去を話す少年を見て、これは病気ではなく“悪魔”の仕業だと確信。若き相棒のトマース神父とともに本格的な調査に乗り出したアモルトは、ある古い記録に辿り着く。中世ヨーロッパでカトリック教会が異端者の摘発と処罰のために行っていた宗教裁判。その修道院の地下に眠る邪悪な魂──。全てが一つに繋がった時、ヴァチカンの命運を握る、凄惨なエクソシズムが始まる──。
映画『ヴァチカンのエクソシスト』は絶賛公開中。