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永遠の憧れ?『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』ランコアとマラキリに見る人間と宇宙生物の友情【我が偏愛のSWクリーチャー6】

はじめにタイトルをお読みになって「いやいや、厳密には人間じゃないから。マラキリはコレリアンだから。」というツッコミを入れたくなってしまったSWのヘビーフリークス諸兄。判ってます。判ってますけど話がややこしくなるので、ちょっとだけ御静粛に御願い申し上げます。

1951年に全米公開されたロバート・ワイズ監督作「地球の静止する日」は、宇宙人を扱ったSF映画史上においてとても画期的な作品でした。どの点が「画期的」であったかと言いますと、戦後、ハリウッド映画の潮流となり大量に制作されたSF映画、宇宙人との遭遇を題材とした映画の中でほぼ初めて「友好的な」宇宙人(マイケル・レニーが演じるクラトゥ)が登場したという点です。

劇中、その友好的なアプローチ、友情が報われることはありませんでしたが、この「地球が静止する日」が先鞭をつけた人間と宇宙人との友情をベースとした描写はやがて1966年にスタートしたTVシリーズ「スタートレック」がより発展させお茶の間に浸透、そして1977年の「未知との遭遇」「スターウォーズ」の頃にはフィクションの中に於いては違和感のないものとして受け入れられるようになっていました。

時代背景として、有名な「アポロ計画」に代表される米ソによる宇宙開発競争華やかなりし頃。大衆の宇宙への興味は、2016年現在とは比較にならないものがありました。見果てぬ銀河の果てには、見たこともない知的生物たちが暮らしていて、遠くない未来、それら宇宙人と人類の間で交流が成立することが現実に起こるのかもしれない。SF映画の中の登場人物は、そんな当時の全人類共通の夢を体現していたわけです。

スターウォーズの世界において、「宇宙人と人間の友情」というとどの登場人物の組み合わせを貴方は思い浮かべますか?ハン・ソロとチューイなんかは真っ先に名前が挙がりそうですね。他にもレイアとウィケットとか、ランドとニエン・ナンなどが思い出されますが、筆者的にはなんといっても「エピソード6 ジェダイの帰還」に登場したランコアとマラキリを推したいところです。

ちょっと名前を聞いただけでは分からない方に説明すると、ランコアとはエピソード6の序盤、ジャバの宮殿地下に飼われていた巨大なモンスター、ルークと戦うアイツです。マラキリは、劇中一瞬しか登場しませんが、そのランコアの世話人ですね。禍々しく、憎たらしい、知能のかけらも感じないような巨大生物ランコア、ライトセイバーを持たないルークは非常に苦戦しますが、咄嗟の機転でやっと倒され、観客がみなホッとしているところに、画面に映るのはおじさん(マラキリ)の涙。

観客はハッと我に返ります。
ギャングに捕獲されて地下に幽閉され、日の当たらない場所でのストレスフルな毎日を送って来ただろうランコア。
エサと言えば時々、天井に開いた穴から落ちてくる雑種なエイリアン。量も足りないし栄養バランスも偏りがちです。猛獣ゆえに不遇な扱いを受ける、そんなランコアを不憫に思い毎日懸命にお世話をしてきただろうマラキリ。いつしか一人と一匹の間には絆が生まれ、マラキリはいつかこの不憫な生き物をここから解き放ってやろうなんて考えていたかもしれません。

そんな日々に突然終止符が打たれるランコアの突然の圧死。為すすべもなく、溢れ出るマラキリの涙。残酷すぎる結末と言えましょう。

ちょっと暴走してしまいましたが、このランコアとマラキリの一連のシーン、創造主であるジョージ・ルーカスが色んな場面で行った遊び心いっぱいのこのような演出は、観客が自由に空想の翼を広げて読み解くことができる余白となり、主人公ルークたちと無関係な場所でも、宇宙人たちの暮らしがそれぞれの思惑で動いているのだということを、生き生きと感じとることができる要因となりました。

「なぜスターウォーズは他のSF映画と異なり世界中を巻き込んだ社会現象とまでなりえたのか」

その理由のひとつ、スターウォーズという作品が持つ世界観の広がり豊かさ、その魅力の最たる部分を象徴するシーン、象徴するコンビであったと言えます。

Writer

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アクトンボーイ

1977年生まれ。スターウォーズと同い歳。集めまくったアメトイを死んだ時に一緒に燃やすと嫁に宣告され、1日でもいいから奴より長く生きたいと願う今日この頃。