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【解説】『ROMA/ローマ』スピルバーグの危惧は、「映画館vs配信」の議論に何をもたらしたか

Steven Spielberg スティーブン・スピルバーグ
Photo by Romain DUBOIS https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Steven_Spielberg_Masterclass_Cin%C3%A9math%C3%A8que_Fran%C3%A7aise_2.jpg

巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が「Netflix作品をアカデミー賞候補から外すよう働きかけている」というニュースの真偽はうやむやになった。ソースである米メディアIndieWireの誤報だった疑いが出てきたため、現時点では、スピルバーグが映画業界に圧力をかけているかどうかは判断できない。それでも、2018年3月時点でスピルバーグが以下のように発言していたのは紛れもない事実だ。

「テレビのフォーマットに作品を委ねたら、それはテレビ映画です。優れた番組はエミー賞には値しますが、オスカーにはふさわしくない。いくつかの映画館で1週間未満の上映をして、形だけの資格を得た映画が、アカデミー賞のノミネートに適しているとは思いません。」

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そして、IndieWireの「勇み足」が発端となり、ベン・アフレックやクリストファー・ノーランといった発言力のある映画人が、配信サイトや映画館について自分の意見を述べるようになった。日本でも、多くのネットユーザーがSNS上でリアクションを示し、議論は活性化している。ただ、スピルバーグ発言の真意はどこにあって何が問題なのかを考えないと、感情論に流されてしまうのではないか。

スピルバーグ発言のポイント整理

改めて、スピルバーグの発言のポイントを整理しておこう。

  1. アカデミー賞にノミネートする作品は長期間映画館で上映したものに限る。
  2. Netflixなどのネット配信やテレビ作品はアカデミー賞に相応しくない。

この2点が賛否を呼んでいる状況だ。1については、ネットの配信限定作品がアカデミー賞のノミネート資格を満たすため、短期間だけ劇場公開することへの批判である。2は文字通りだ。「劇場映画」ではない作品はアカデミー賞から外すべきだとスピルバーグは主張する。

あくまで筆者のSNSのタイムラインに限った印象では、おおむねスピルバーグ発言への否定的意見が多いようだ。その背景として、自分でもNetflixなどの配信サイトを利用している映画ファンが増えていることが挙げられるだろう。もはや、配信限定で映画作品を発表するなど、珍しくもなんともない。そして、テレビ界におけるエミー賞のような、配信作品を対象とした権威ある賞が生まれていない以上、アカデミー賞候補になる資格は十分にあるという論調だ。いや、仮に配信作品限定の賞が設立されたとしても、アカデミー賞候補から外す決定的根拠にはなりえない。世間にそう思わせるきっかけとなったのがアルフォンソ・キュアロン監督『ROMA/ローマ』(2018)だった。

大絶賛の配信作品『ROMA/ローマ』

『ゼロ・グラビティ』(2013)などのヒットメイカーになっていたキュアロンは、メキシコで過ごした幼年期の思い出を映画にしたいと考えていた。ところが、大手スタジオは企画に乗ってきてくれない。あまりにも個人的すぎる内容に、予算を割く勇気がなかったのだ。頓挫しかけた企画を救ったのがNetflixだった。配信作品として制作された『ROMA/ローマ』は、世界中で大絶賛を集める。各地の映画祭で結果を残し、アカデミー賞も無視できなくなった。そして、第91回アカデミー賞では監督賞、撮影賞、外国語映画賞の3部門を受賞する。映画界が見捨てかけた傑作が、ネット配信によって世に出たのは衝撃的な展開だった。

『ROMA/ローマ』は先のスピルバーグ発言に照らし合わせるなら「テレビ映画」である。しかし、見事な撮影に音響、余白を活かした演出などは高度な映画の表現としかいいようがない。上映や配信といったフォーマットは、『ROMA/ローマ』の価値と無関係だ。実際、アカデミー会員の多くは『ROMA/ローマ』を配信で視聴したはずである。Netflixは作家性の強い映画に光を当てた場所として、批評家や映画ファンから評価された。

アルフォンソ・キュアロン
アルフォンソ・キュアロン監督。Photo by Gage Skidmore ( https://www.flickr.com/photos/22007612@N05/9354462505/ )

つまり、スピルバーグ発言が批判を集めてしまったのは、業界が映画製作の新しい形に興奮しているところで、旧時代的な価値観が水を差してきたように思えたからだろう。また、スピルバーグが常にオタク的な感性を守り続けてきたクリエイターだったのも、政治的発言との「ギャップ」を生み出したといえる。

筆者の意見では、アカデミー賞に限らず、発表フォーマットで作品をカテゴライズしていくことが難しい時代に突入したのだと思う。時代に逆行しているスピルバーグが世間の足を引っ張っているように見えるのは仕方ないし、それなりの批判を受けるのも予想できた。

映画館の抗議活動の背景にあった現実

ただ、気になるのは「映画館」側の意見である。今年3月、英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)は映画館チェーンのシネワールドとビューから激しい抗議を受けた。英国アカデミー賞で『ROMA ローマ』が作品賞など、4部門を受賞していたからだ。シネワールドは直後にBAFTAを脱会している。彼らは短期間の劇場公開を行っただけの配信作品『ROMA/ローマ』が「映画」として扱われることに我慢ならなかったのだ。

シネワールドらの動きは間違いなく圧力であり、褒められたものではない。事実、その行動には多くの批判も寄せられている。それでも現実問題として、配信サイトの台頭により映画館興行が苦しくなっているのは否定のしようがない。アメリカではすでに5,000万人以上がNetflixに登録しているとのデータもある。一方で、2013年あたりから世界的な映画館人口は停滞中だ。映画館文化が盛んなインドでさえ、2007年から2017年の10年間で、年間動員数が3分の2程度に減ってしまった。

生存を目指す映画館にとって、観客数の推移は楽観視できるものではない。映画館側からすれば、自分たちを支援するべきアカデミーが、むしろ衰退へと加担したように見えたのだろう。『ROMA/ローマ』への抗議運動では、映画館が「悪役になるしかない」ほど切羽詰まっている現状がある。

批判して解決する問題ではない

発言では「配信作品をアカデミー賞にノミネートしていいのかどうか」という部分にのみ注目が集まった。しかし、スピルバーグがどこまで意図していたかは別として、問題はもっと根深い。アカデミー賞という権威が映画人や映画館から「映画館文化を守るつもりがあるのかどうか」という2択を迫られているのだ。映画館はいわば、絶滅危惧種である。しかも、多くの人が保護の必要を感じていない。「せめて賞だけは」と映画館側が望むのは保守的だが、理不尽な発想ではない。

筆者には、映画館勤務をしていた過去がある。当時から、「映画は配信の時代になる」「タブレットで簡単に映画が見られる」といった文言を聞くたび、モヤモヤした気分になった。世の中が変わっていくことには抗いようがない。それでも、自分の居場所を遠回しに「時代遅れ」「消えていく存在」と言われているようで、冷静ではいられなかった。そんな映画館びいきの筆者には、スピルバーグ発言や『ROMA/ローマ』問題は、旧体制を批判して終わらせられないテーマなのだ。

『ROMA/ローマ』周辺では、文化の過渡期ゆえのトラブルも起きている。本作は2018年5月、カンヌ国際映画祭コンペ部門への出品が決まっていた。だが、「フランス国内での上映」と「同国内でその後3年はストリーミング配信できない」という映画祭側のルールを受け入れられず、Netflixが出品を取り下げたのだ。今後、才能ある映画作家たちの配信作品が量産されていくとして、映画祭はどのような対応をするべきなのか、考えさせられる出来事だった。

映画業界が配信から学ぶべき姿勢とは

映画館と配信が揃ってサバイブしていくために──。配信作品を取り巻く一連の騒動は、映画を愛する人々が改めて配給や上映環境と向き合うきっかけになった。筆者に関していえば、「劇場至上主義」を一旦封印して、未来の映画のあり方を考えるようになった。まず、スピルバーグやシネワールドなどの映画館、そして筆者も陥った「映画館vs配信」という構図が間違っているのではないだろうか。映画館と配信は敵対するものではない。お互いの領域に敬意を払い、補完しあうことで映画文化は進歩していくと信じたい。

たとえば、『ROMA/ローマ』は日本でも3月9日からイオンシネマ48館で上映を開始し、劇場数は次々に拡大中だ。アカデミー賞効果はあるものの、Netflixユーザーが「やはり大画面で見たい」と思ったのも大きいだろう。優れた作品はテレビやタブレットの画面だけでは物足りなくなるものだ。それに、現代の映画マーケティングは「確認」によって成り立っているとの言説もある。観客はネットやテレビで「いい作品の情報」を得てから、確認のために映画館へと向かう。クオリティを手軽に「確認」できる映画配信が、映画館の興行収入にもつながる可能性は見逃せない。

『ROMA/ローマ』は劇場でも公開された

また、賞レースで『ROMA/ローマ』がかもしている物議は、そもそも映画業界がキュアロンの企画を相手にしなかったことに端を発している。確かに、『ROMA/ローマ』は大ヒット映画の条件からは程遠い、ストイックで静かな作品だ。しかし、いい作品はチャンスさえ与えれば広がっていくのも真理である。映画業界が『ROMA/ローマ』という大きな魚を逃した点については、アカデミー賞を批判する前に反省するべきではないだろうか。そして、才能ある映画作家の挑戦的な企画に耳を傾けるだけの余裕を持ってほしい。

もちろん、商業は大切だ。『ROMA/ローマ』さえも普通に劇場公開していたら、商業的に失敗していた可能性はおおいにある。だからこそ、映画業界と配信には手を取り合うことが望まれる。創造性を担保しながらも多くの人々に作品が広まり、しかも大きなスクリーンでの上映も可能になる―。筆者は、配信サイトを「映画の未来」とまで語る論調は過剰だと思うが、映画館と本格的に連動できるなら動向を好意的に見守っていきたい。

「人気スター」に「デートムービーとしての要素」、「タイアップ」…。『ROMA/ローマ』は映画業界が長年、常識として捉えてきた要素がなくても面白い映画が作れることを証明した。しかし、それは本当に「Netflixだから」実現したことなのか?映画業界に求められているのは配信との乖離を進める姿勢ではなく、シンプルに「いい作品」とは何なのかを見直す謙虚さだろう。スクリーンで見る価値のある作品が増えれば、映画館文化は絶対になくならない。そのとき、映画業界からも配信サイトが脅威ではなく、同士に思えるはずだ。

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Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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