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マーティン・スコセッシ「マーベル作品は映画じゃない」発言ふたたび ─ 「侵されてはならない」とのコメントが物議、その背景と真意は

マーティン・スコセッシ
Photo by THE RIVER

『タクシードライバー』(1976)や『レイジング・ブル』(1980)、『ディパーテッド』(2006)などの名作を手がけてきた巨匠マーティン・スコセッシが、マーベル映画について「映画ではない、最も近いのはテーマパーク」と発言したことが物議を醸している。この件は、ロバート・ダウニー・Jr.やサミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・ガン監督といったマーベル映画の関係者が相次いでコメントする事態ともなっていた。

そんな中、ロンドン映画祭にてスコセッシは再び同様の発言に及んでいる。ただし今回の発言は、先日のコメントよりもニュアンスが伝わりやすく、発言の真意を汲み取りやすいものだった。もちろん発言の賛否は分かれるだろうが、ひとまずはスコセッシのコメントを整理していきたい。


「マーベル作品は映画じゃない」?

スコセッシがマーベル映画について発言したとして、業界内やファンの間で大きな話題を呼んだのは、英Empireに掲載されたコメントだった。スコセッシはマーベル映画について「あれは映画じゃない」と発言したと伝えられたのだ。「最も近いのは、良くできたテーマパーク」「人間が他者の感情や心に訴えかけようとする映画ではありません」。この時、スコセッシ自身はマーベル映画を観ていないと発言したこともファンなどからの批判を浴びる大きな要因となった。

2019年10月12日(現地時間)、スコセッシは最新作『アイリッシュマン』を引っさげてロンドン映画祭の記者会見に登場。壇上にて、再びマーベル映画を「テーマパーク」と形容した。

「マーベル映画のようなテーマパーク映画は、また別物の体験です。前にも言いましたが、あれは映画ではなく別物。好きかどうかにかかわらず、別物だし、我々はそちらに侵されてはいけない。これは大きな問題です。劇場主は、物語を語る映画の上映を強化すべきです。」

ただし米The Hollywood Reporterでは、この記者会見にて、スコセッシが以下のような言葉を口にしたことも伝えている。使われている言葉のインパクトこそあれど、スコセッシは、自身の言う「テーマパーク映画」にも一定の価値を認めているようなのだ。

「映画館がアミューズメントパークになりつつあります。それは素敵なことだし、良いことだと思いますが、すべてが飲み込まれてしまってはいけない。あの手の映画を楽しむ人々にとっては良いことですし、彼らの仕事はすごいと思います。ただ、単純に私の仕事ではない。(マーベル映画は)“映画とはああいうものだ”と観客に思わせる体験を生み出していますよね。」

ここでスコセッシは、自分の考える「映画」の価値観にマーベル映画が一致しないことを示唆しつつ、マーベル映画の意義を認め、その一方で、映画館が“テーマパーク映画”一色に染まることへの懸念を表明している。しかし、本当にマーベル映画が「物語を語る映画」でないのかという論点に立てば、そこはスコセッシへの反論が大いになされるところであろう。

もっとも、スコセッシがマーベル映画を「テーマパーク」と呼んだことには、それ相応の背景があったことも押さえなければならない。この会見では、スコセッシ自らが『アイリッシュマン』完成までの厳しい経緯を率直に明かしていたのだ。最新作である『アイリッシュマン』はなぜNetflix作品となったのか、なぜ大々的な劇場公開を選択しなかったのか。そこには、映画業界の厳しい現状があったようである。

「観客と一緒に映画を観るのが非常に大切であることは間違いありません。しかし、そこには問題もあります。つまり、我々は映画を作らなければならないのです。ある意味、すでに私たちには(映画界に)十分な居場所がありません。あらゆる理由から、この映画を作る余地はなかったんです。それでも、作品に干渉しない、作りたい作品を作っていいという企業が支援してくれました。ただしその代わり、ストリーミング配信になり、それに先がけて劇場公開をすることになる。今回のプロジェクトの場合、これはチャンスだと判断しました。」

つまり現在のハリウッドでは、スコセッシという巨匠監督でさえ、『アイリッシュマン』のような映画をスタジオ製作の劇場公開作として作れなくなっているのだと理解すべきだろう。しかし一方で、映画館では、スコセッシの考える「映画」とは異なる「テーマパーク映画」が多数上映されている。これまで自分が取り組んできたような作品が劇場で上映されなくなりつつある危機感を踏まえ、スコセッシは映画館主に警鐘を鳴らし、映画の多様性をキープするよう訴えたのだ。マーベル映画を「映画ではない」「テーマパーク」と呼びこそすれ、スコセッシの真意はマーベル映画批判ではなく、むしろ業界や映画館の傾向を批判することにあったとみられる。

ちなみに、こうして考えると、スコセッシがDC映画『ジョーカー』のプロデューサーを務める計画があったことにも筋が通りそうだ。『ジョーカー』のトッド・フィリップス監督は、スコセッシによる『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』(1982)に絶大なる敬意を表しており、70~80年代に製作されていたような人物描写主体の映画を再び作りたいとの意図で、コミック映画のフォーマットをある種利用したと話している。これは推測にすぎないが、きっと、スコセッシは『ジョーカー』の企みにいたく共感したのではないだろうか。

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Sources: BFI, ComicBook.com, THR, The Guardian

Writer

稲垣 貴俊
稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

THE RIVER編集部。「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。国内舞台作品の執筆・創作にも携わっています。ビリー・アイリッシュのライブに行きたい。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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