Menu
(0)

Search

【考察】『SING/シング』に込められた”歌う”ことの意味 ─ キャラクター別、表現行為の観点から

シング

イルミネーション・エンターテイメントの最新作『SING/シングが日本公開されて久しいです。
ネット上ではキュートな動物たちの二次創作が後を絶たず、池袋パルコではSINGカフェなんてものも催されているらしく、かなりの盛り上がりを見せています。

漏れず筆者も鑑賞し、『SING/シング』というアニメ映画には「エンターテイメントを追求する狂気」という裏テーマがあるのではないか?という切り口で以前に記事を書かせていただきました。

https://theriver.jp/sing-review/

 

今回は前回の記事とはまた違った別の視点でこの作品について考えたいと思います。

【注意】

この記事には、『SING/シング』に関するネタバレ内容が含まれています。

世界観の寓意性は薄い?

のっけから出てくる秘書のイグアナのミス・クローリーは斜視です。色とりどりの衣装を纏いきゃりーぱみゅぱみゅを踊るレッサーパンダたちは明らかに日本人ですし(アメリカ的には今やこれが日本のアイコンということなのでしょうか)、公園で太極拳をする集団は中国人を連想させます。バスター・ムーンの挨拶は”Ladies and gentlemen” ではなく”All creatures great and small”. さらに映画の途中でミス・クローリーは斜視ではなく義眼だったということが明らかになります。

身体性や人種の多様性がテーマのアニメ作品なのか?と一瞬身構えをせずにはいられませんでしたが、その予想に反して『SING/シング』はそのような啓蒙的なメッセージは薄く、『ズートピア』などのような露骨なメタファーは特にこれといって込められていなかったような印象があります。(政治的暗喩が隠されていたら隠されていたで「ズートピアの焼き増しだ」というような批判を浴びることになるのかもしれませんが)

それぞれのキャラクターが抱える問題も身体的特徴や人種的な違いに由来するものではなく非常に普遍的な家族関係の摩耗や恋愛関係の歪みです。しかし決して肩透かしを食らったというわけではありませんでした。この映画にはまた別のテーマが設定されています。『SING/シング』は「歌う」という行為をとても丁寧に描いている作品といえます。まさにそのタイトルの通りの良品です。

「歌う」という行為

前回記事では「エンターテイメント・芸術への狂気的な追求」について考察しましたが、そもそも数ある表現手段の中からどうして「歌」が選ばれたのでしょうか?
映画に関わらず、作品のテーマはタイトルに集約されます。それは『SING/シング』とて例外ではないはずです。では、SING ─ 歌うとは何でしょうか?という疑問に目を向けてこの映画を語ろうと思います。

(C)Universal Studios.
(C)Universal Studios.
「歌う」というのは声を介して自分と他人をと繋ぐ非常に身体的な表現行為です。現代では音楽というメディアは歴史も長く文化的な営みなようにも思えます。しかし有史以前、歌は(音楽ではなく歌です)難しいことを考える隙を与えずに感情から滲み出す音声であり、非常に原始的なものでした。機嫌の良いときに何となく漏れだす鼻歌や声をあげて泣く行為などはその良い例と言えます。言葉の扱えない赤ちゃんでも、気分が良いと歌い、食欲が高まったり体に不調を覚えると泣きだしてしまいます。声から発するメロディーをすべて歌とした場合、このように歌は言語よりも早くに発達したコミュニケーション手段・表現手段だといえます。

『SING/シング』は特に表現としての歌─ 歌うために歌う、という表現に対する欲求を讃えた映画です。

人前で歌うことが出来ないミーナに”Do you like to sing? “とムーンが励ますシーンがあるのですが、この場面のこの台詞はかなり象徴的なキラーフレーズのうちのひとつです。『SING/シング』には様々なバックグラウンドで鉛のような不安や針に刺されたような悲しみを抱えたキャラクターたちが登場します。しかし、問題解決の糸口として歌を利用するのではありません。お金のために歌うのではなく、名声のために歌うのでもありません。彼らは歌うために歌っているのです

これだけでは何のことかさっぱりだと思うので以下、キャラクターごとに具体的な例をいくつかあげて説明します。

サブ⑦

バスター・ムーン

彼は一貫してショーを成功させようとひたむきに努力を続けるという基本の軸は終始ぶれていないものの、映画前半部分においては「銀行への返済」そしてそのための「興行収入」という目標がノイズとなっていて根底にあるショーへの欲望が少しぼやけてしまっています。しかし劇場が瓦解しこれらの課題をクリアする必要はなくなるとエンターテイメントそのものだけに集中するようになります。彼の場合は歌うことはありませんが、面白いことを徹底的に追求したいというエンターテイメントショーに対しての狂気的な執着がうかがえます。

Writer

けわい

不器用なので若さが武器になりません。西宮市在住。

Ranking

Daily

Weekly

Monthly