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映画『SING/シング』に隠されたメッセージを読み解く!キーワードは「狂気」、手掛かりは「月」

イルミネーション・エンターテイメント制作のアニメーション映画 『SING/シング』2017317日に日本で封切りされてから早ひと月が経ちます。遅れ馳せながらしっかりと観て参りました。大評判というわけでもないのであまり構えずに鑑賞したのですがこれが結構面白い。

近年の米国アニメ映画に顕著な寓話的な作り込み(『ズートピア』や『ファインディング・ドリーなど』がその好例です)がいささか浅いので一部ファンからは「単なる子供向け」というような声もちらほら聞こえます。しかし寓話的な比喩・擬人化が施されているから映画が重層的であることと、施されていないから気軽に鑑賞できることはある意味裏と表のものなので一概にどちらが優れていると断言することはできません。

テーマ性のない薄味のエンターテイメントだったというような意見さえありますが、僕は決してそうは思いませんでした。『SING/シング』は十分大人が鑑賞するに足る良作です。さて、ではこの物語に隠された真意は一体なんだったのでしょうか?

【注意】

この記事には、『SING/シング』に関するネタバレ内容が一部含まれています。

テーマは一体?キーワードは「月」

シング
(C)Universal Studios.

劇場でバスター・ムーンがたびたび乗っていたのが三日月だったのに対し、ラストシーンでは野外劇場で本物の見事な満月がステージ中央に浮かぶように位置している――という場面があり、これは多くの方が指摘されている通りです。

さりげない演出ですが印象的で映像的にも美しいシーンです。欠けていた月が満月になることでこれまでの困難を円満に収めた、というこの物語全体を比喩的に表していると解釈することも出来ます。月の満ち欠けで時間的経過サイクルを示し、「円」という完結したシンメトリーな図形はハッピーエンドの象徴とも言えます。

しかし、月にはもうひとつ重大な意味が隠されているかもしれません。

 欧米において月は単なる自然物、夜空の主役、だけではなく、別の意味が含まれます。それは「狂気」です。月とは実は「狂気」を連想させるものでもあるのです。

 わかりやすい例を挙げますと「狂気の・精神異常の」という意味の形容詞でlunaticという英語がありますが、この単語の語源は月の女神ルナから由来しています。昔は月が霊的な悪影響をもたらして人間に狂気をもたらしていたと考えていたからです。

他にも 月を見て変身する狼男なんかを思い浮かべれば我々にもわかりやすいかと思います。このように欧米においては月と狂気とは互いに密接した関係にあります。 

ショーに囚われた男

以上を踏まえてここで注目したいのは、コアラの支配人の名前が「バスター・ムーン(Buster Moon) 」であることです。ラストシーンの満月と彼の名がムーンであることは偶然ではないでしょう。さらにバスター(Buster)は「破壊する人」「暴風」などの意味があります。あえて直訳すると「破壊の月」というような具合でしょうか。あんなに可愛らしいキャラクター造形に似合わずおっかない名前ですね。そして上に描いた通りこの月は「狂気」に強く結びつきます。

(C)Universal Studios.

このフィルターを通して映画を振り変えると確かにこの支配人は破壊的で狂気的です。

興行は振るわず銀行からお金は借りっぱなし。賞金がありもしないのに(これだけは彼のせいではありませんが……)他の動物たちを騙し続け、無許可のビラ貼りや盗電などの違法行為を繰り返しなんとかコンテストを成功させようと腐心します。志は素晴らしいですがやっていることは滅茶苦茶です。まさに破壊的です。彼の行動は「諦めないことの大切さ」「チャレンジし続けることの美学」という原理を集約したものだという印象を受けた方もいるかもしれません。しかしそれは観客の外からの美化した意見であり、ムーン自身はそんなことを微塵も意識していないような振る舞いをしています。彼の目的は「諦めないこと」や「チャレンジし続けること」でありません。彼の目的は絶対的に面白いショー。さらにいうなら絶対的に美しい芸術のほかなりません。

物語が始まる以前の時間で劇場の売り上げが悪かったのも、決して彼が手を抜いていたからではありません。なぜなら彼は幾度となく公演を打ち続けていることがさりげなく明らかにされているからです。つまり、ムーンは自分の面白いと信じたものだけを追求し続けているのですが不幸にも誰も彼の世界を理解することができなかった、と考えることができます。

世間にとって理解不能で反社会的な行動を幾度となく繰り返すバスター。素人仕事でセットを作ったのが悪かったのか、ついに劇場そのものが崩壊してしまう(水槽から水が溢れだし、凄まじい波で建物を噛み砕き飲み込んでいきます。予想の範疇を越えるショッキングな画で、時期が時期なら日本公開は間違いなく延期されていたでしょう。)

この悲惨な事故をきっかけにして街は彼を批判するようになりマスコミは ムーンのことを“danger to society”(社会への脅威)という表現で非難します。このあたりで芸術の追及と社会とのギャップが決定的に明確になります。

バスター・ムーンの思考回路・行動原理は「面白ければ何でもいい。何をやってもいいし、何が起ころうとも構わない」ということです。面白いもののためには法を犯すことを気にしないし、ショーのためならプライドを投げうって洗車することすら躊躇しません。洗車のシーンはもちろんギャグなのですが(筆者が鑑賞した時は実際に誰かが声を出して笑っていました)、冷静に考えるとムーンにとって屈辱的な行為ではないでしょうか。裸で泡まみれになって、汚れた人の車を洗う。しかも特別報酬が良いというわけでもなさそうです。

『セッション(原題; Whiplash)』のニーマンや『バクマン。』の川口たろうのごとく、ムーンもまた自らが信じた面白さのためなら他人はもちろん自分の身すらもを平気で犠牲にする男のひとりなのです。まさに「破壊の月」。彼は「バスター・ムーン」であるべくして「バスター・ムーン」という名を授かっているのです。

また、彼は冒頭で自ら「6歳のころにコアラ初の宇宙飛行士になる夢を捨てた」と語っているのも重要です。宇宙飛行士といえば――とりわけアメリカでは――やはり月面着陸のイメージが強いかと思います。子どもの憧れなら野球選手やフットボール選手でもよいわけですから、宇宙飛行士が夢だったという設定は狙いを澄ました設定だったのではないでしょうか?

一石を投じる映画

 最近では「小説を読んでいるからという理由で精神病棟に入れられた女性がいる」という19世紀の資料がTwitter上で注目を集めています。(たとえガセであったとしてもこのようなジョークが存在し、成立すること自体が問題です)

これは一例にすぎませんが、資本主義的社会において「創作」や「芸術」というものは常々理解不能で隅に追いやられてしまうこともしばしばです。お金にならない活動や作品となればなおさらです。そんな社会の中で不幸にも表現者として目覚めてしまった人間たち(動物たちと記するべきでしょうか)の奮闘を描いた映画作品『SING/シング』は良作と言わざるをえません。

エンターテイメントの嘆きをエンターテイメントを通してしっかり伝えようとするイルミネーションの直球勝負の姿勢は素晴らしいとただただ感心するばかりです。

https://theriver.jp/sing-review-2/

(C)Universal Studios.

Writer

けわい

不器用なので若さが武器になりません。西宮市在住。