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【徹底考察】『スーサイド・スクワッド』はなぜ賛否両論分かれているのか?タスク・フォースXの描き方から考える

9月10日から大ヒット上映中のDCEUシリーズ第三作『スーサイド・スクワッド』。ファンの間ではすでにはっきりと賛否両論割れてしまっています。私は非常に楽しみながら鑑賞したので本作には肯定的なのですが、たしかに否定派の意見も理解できるのです。そこで今回のレビューではどうして本作の評価がこうもバラバラなのか、その理由を考察し、その上で本作のテーマ、ストーリーの肝を探っていきます。

【注意】

この記事では、映画『スーサイド・スクワッド』のネタバレを含んでいます。

スーサイド・スクワッド
https://www.youtube.com/watch?v=CmRih_VtVAs

思うに、肯定派と批判派で意見が食い違っている理由は主に『スーサイド・スクワッド』の先行イメージと実際の作品の内容のギャップにあるのではないでしょうか。それは大きく上げて3つあります。

「ポップな内容とクラシックなストーリーのギャップ」
「『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』との比較」
「キャラクター理解のミスマッチ」です。

現代的でポップな見た目とは裏腹にクラシックな内容のストーリー

本作を鑑賞して最初に感じたのは、見た目と中身のギャップでした。予告編で印象的だった「ボヘミアン・ラプソディ」の使い方は、『キック・アス』の「バナナ・スピリッツ」や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の「カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ」「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」に代表される最近のアメコミ映画に主流の演出を連想させました。誰もが聴いたことのある音楽とハイテンションな映像を組み合わせることにより、斬新で刺激的なアクションシーンを観客に期待させたわけです。例に挙げた作品を見ればわかる通り、こういう演出を組み込む映画はベタなキャラ設定や展開を嫌って、ほかと異なる方向性を打ち出していこうとする傾向にあります(一般化していいのかわからないけど、あくまで私の中でのイメージです)

しかしながら、実際の『スーサイド・スクワッド』がどんな内容だったかというと、意外にも古典的なものでした。雰囲気としては90年代のアクション映画に近い。殺し屋という職業のせいで娘と距離があるデッドショット、離れ離れの彼氏に執着するハーレイクインの設定はちょっぴり古臭いとも言える。物語の運びもデヴィッド・エアー作品という先行イメージからはズレます。ゴリゴリにハードで血なまぐさいクライムアクションかと思いきや、お話の中心は極めて個人的な問題の解決に終始して、全員それなりに幸せになる。酷く(というかあっけなく)死ぬのはスリップノットだけでした。おそらく多くの人が求めていたであろう意外性やロジックの積み重ねによる盛り上がりというものはほぼありません。案外クラシカルでベタな映画というのが本作を見たファーストインプレッションでした。

『スーサイド・スクワッド』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の違い

また多くの人が指摘しているように『スーサイド・スクワッド』は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を連想させるポイントがいくつかあります。
まず第一に、主人公たちが犯罪者の寄せ集め集団であること。誰も最初からヒーローになりたいとは思っていなかったのに、成り行きで世界を救う戦いに巻き込まれていくという基本的なシナリオはほぼ一緒です。そして第二に、ストーリーを軽快なジョークとポップな音楽で語っていく演出。ジェームズ・ガン監督が『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で採用したSFとポップミュージックのミックスは画期的な発明でした。最近は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のフォロワー的な作品もチラホラ現れているのですが、『スーサイド・スクワッド』はその代表作だといえるでしょう。

しかしながら、以上の二点から両作がまったく同じ方向を向いている映画であると断じてしまうのは気が早い。似通った作品にみえてテーマは結構違うんじゃないかと思います。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は宇宙を旅する荒くれ者たちがひとつの「チーム」として団結し、一緒に困難を乗り越えていく物語。

それに対して『スーサイド・スクワッド』は最後まで「チーム」にはならない作品です。バラバラの犯罪者は強制的にタスクフォースXとして集められ、世界を救う戦いに身を投じますが、「チーム」としての団結力はそれほど芽生えません。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と同様、各キャラクターが自らの過去を清算し、苦しみを克服していくものの、その解決は「チーム」の力によるものではない。みんなそれぞれエンチャントレスとの戦いを通して自分なりに納得する答えを見つけ出していくのです。

詳細は後に回しますが、この違いを混同してしまうと、『スーサイド・スクワッド』に対する評価がゆがんでしまうんじゃないかと思います。つまり、『スーサイド・スクワッド』を観るときは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』とは全く別物であるという態度が大事になるのではないでしょうか。

『スーサイド・スクワッド』は”元”犯罪者集団

本作を見た人々の感想で見かけるのが「キャラクターが思ったより狂っていない」というもの。たしかにそうなんです。ほんとうにアタマのネジが飛んじゃってるのはハーレイクインぐらいでしょう。ディアブロに至っては過去を反省して自分の能力を使うことすらしません。華やかで毒々しさすらある予告編をみてぶっ飛んだクライムアクションを期待していた人にとってはガッカリだったかもしれません。演出とキャラ設定・展開がイマイチかみ合っていないのでこの感想ももっともなのですが、そもそもの前提として覚えておかなければならないことがひとつあります。彼らは”元”犯罪者なのです。
たしかにヤバすぎるから極秘の刑務所にぶち込まれている。けど、ディアボロとかデッドショットなんて犯罪歴や能力のせいで自分も周りの人間も不幸に追い込んでしまっているから、もう悪いことはしないとすら考えています。牢屋で頭を冷やしておとなしくなってるやつらが大半なんですね。あくまで”元”犯罪者です。ここも『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と混同してしまう捉え方と並んで、勘違いしてしまいがちなポイントだと思います。

悪人だって守りたいものがある!

ここからは『スーサイド・スクワッド』のテーマについて掘り下げていきます。先ほども少し触れましたが、タスクフォースXのメンバーはみんな守りたいもの、自分だけの哲学、夢を持っています。
大切なのはメインの4人です。デッドショットは最愛の娘と一緒に暮らすことを望み、ハーレイ・クインはジョーカーを想い、ディアブロは自らの手で殺めてしまったけれど「家族」をいちばんに考えている。フラッグは恋人のジューン博士を常に心配し、苦しみから救おうとします。

彼らの思いに共通しているのは、「愛」とか「家族」とか、犯罪者のイメージからはかけ離れたとても温かみのある感情です。行いは悪人であってもその性質からして邪悪であると断定しないところに優しさ、厳しい言葉を使えばある種の甘さが感じられますね。あえてこじつけるならば、サブキャラのブーメランは刑務所からの脱走、キラークロックは自らにとって最適の居場所と感じられる下水道への帰還が、夢にあたるのでしょうか(この二人は描写が少なかったので解釈が難しいです)。

『スーサイド・スクワッド』は悪者たちが消耗品の兵器として強制的に集められ、エンチャントレスと対峙するうちに自分の中でこの戦いをやりぬく意味を見つけ出し、最後は自らの意志でラストバトルに挑むというのが大まかなあらすじ。最終的に戦いに身を投じる理由となるのが、それぞれの守りたいものや夢なのです。悪人だから当然ですが、結局世界を救おうという正義の心が動機になることはありません。きわめて個人的な動機で動きます。そして途中でジョーカーを失ったハーレイ・クインや、過酷な戦いを前に夫を思い出し涙するカタナなどを見ればわかる通り、戦う意味を見出してやる気スイッチを入れるタイミングはそれぞれのキャラクターで異なります。だから最後までタスクフォースXが真の意味で「チーム」になることはない。とりあえず目の前にいる敵を倒さなければ自分の望むことがかなわないから、命を懸けて戦うわけです。
初めに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を例にあげましたが、こっちはメンバー全員が正義に目覚め、あげくみんなで手をつないでオーブの破壊力を抑え込むのだから、大きな違いがあります。あくまで『スーサイト・スクワッド』は各個人がかかえるトラウマや失敗を乗り越え、希望をもって能動的に力を発揮しようとするお話なのです。だからポップな見た目とは裏腹にストーリーはとても人情味にあふれ、任侠映画のような雰囲気すら漂っています。意外ですが、とてもクラシカルな愛の物語に仕上がっているといえます。

DCEUは今後どのようにヒーローを描いていくか

最後に『スーサイド・スクワッド』から今後のDCEUのアプローチについて少し推察してみたいと思います。先日、MCUはヒーローをヴィジランテとして描き、DCEUはヒーローを神のようにあつかっているという記事を書きました。

そこから論をアップデートさせたいと思います。
本作は超人的な能力を持つ人について描こうとはしていません。スーパーパワーの在り方をメインテーマにはせず、あくまで悪人を一人ひとりの人間として物語っています。
大事なのはこの物語のきっかけです。タスクフォースXは「悪のスーパーマンが現れたときの備え」として結成され、場当たり的ではありますが、エンチャントレスの暴走をうけて運用が開始されます。どうやら『バットマンvsスーパーマン』でのヒーローの活躍はラッキーだったと考えられているようです。ほんとうは国の力で危険を取り除きたいらしい。だから、タスクフォースXのメンバーはあくまで未知の脅威に対する「軍隊」なのです。
すこし論を飛躍させれば、彼らは「兵器」とみなされているといえるんじゃないでしょうか。デヴィッド・エアー監督による戦闘シーンの演出がもろにミリタリー映画だったのも、この論を補強しています。

この一作だけで断じてしまうのは少々危険ですが、DCEUのヒーローを「神」とみなす目線に「兵器」も加わっていくのではないかと私は予想しています。敵が現れたらスイッチを押して発射するミサイルのような存在。そんなイメージを膨らませていくんじゃないでしょうか。だから将来的に結成されるジャスティス・リーグもバットマンを指揮官にした超人たちの「軍隊」になるのだろうと思います。
キッカケはともかくヒーローが勝手に集まって治安維持活動をしていた「ヴィジランテ」のアベンジャーズとは趣が異なるはずです(そもそもアベンジャーズはキャプテンアメリカとアイアンマンのふたりのリーダーが存在しているから、組織としての「軍隊」にはなりえないし、実際にそのせいで空中分解してしまいました)。この推察、というか妄想の結果は来年公開の『ジャスティス・リーグ』でわかるはずです。首を長くして待ちましょう。

Eyecatch Image:http://www.mcm.fr/suicide-squad-karen-fukuhara-parle-de-katana-galerie-2488887-3264803.html

Writer

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トガワ イッペー

和洋様々なジャンルの映画を鑑賞しています。とくにMCUやDCEUなどアメコミ映画が大好き。ライター名は「ウルトラQ」のキャラクターからとりました。「ウルトラQ」は万城目君だけじゃないんです。

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