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【レビュー】映画『好きでもないくせに』は最上級のR18恋愛映画だ!

映画『好きでもないくせに』評価・感想

芸能の道を志すも芽が出ず 夜はキャバクラで働いている琴子(璃子)は、相手の頼みを断れない ただひたすら押しに弱い。
聖女と呼ばれるその美貌に群がる男達と 好きでもない相手とSEXをしてしまう。
だが、本当に好きな相手とだけはSEXができない。
好きだからこそSEXができない。
誰かを好きになるその気持ち 目には見えないその想いに宿る純粋さを描いた作品だ。

正直に書こう。
そのタイトルに心惹かれるモノがあった。
それはストーリーのテーマ性や琴子の性質を指す言葉のはずなのに、まるで自分自身に向けられた言葉のような 責め立てられているかのような 咎められているかのような気持ちになってしまう。

道行く異性を見て「かわうぃーなー お付き合いしたいなー」なんて思う時がある。
好きでもないくせに

そんなこと起きやしないんだけど、あわよくばそんな流れにならないかなーなんて思ってしまう時がある。
好きでもないくせに

やりたいなー やれないかなーなんて考えてしまう時がある。
好きでもないくせに

度胸もなく臆病で偽善者なぼくは、結局は何もできやしない。
一番タチの悪い半端者だ。

予告もあらすじもあえて目にはしなかった
する必要が最早なかった
ぼくの卑しい心をチクチクとさせるそのタイトルの引力だけで充分だった。

そして、ぼくの考えは間違っていなかった。

かつてこんなにもSEXシーンで爆笑できる作品はあっただろうか。
最上級の恋愛映画であった。

端から見たら情けなくて みっともなくて 滑稽な恋愛模様
だけど、それはあなたもぼくも通ってきている(若しくは、これから通る)道のはず

それを知っているから 笑えてしまう
それを知っているから 悶えてしまう
それを知っているから 悩んでしまう
それを知っているから あたたかい気持ちにもなれてしまう

あなたやぼくと変わらないありのままの人間を
ありのままの人間の葛藤を
ありのままの人間の恋愛模様をとても丁寧に 見事に描いていた。

琴子のその性質
それは一見ふしだらとも取れるが、同時に清らかさをも合わせ持っているように感じられる。

何を持ってふしだらと判断できるのだろう
何を持って清らかと判断できるのだろう

その境界線はスレスレなんだと思う。

何事にも二面性がある

表と裏
光と影
勝者と敗者
成功と失敗
希望と絶望

どちらもあるから どちらにでも転じる可能性があるからこそ成り立っている。

見る角度次第ではゲスだのビッチだの言われてしまうが、少し角度を変えたのなら それはとても愛おしいモノへと変化する。

身体を求めること
心を求めること
身体も心も求めること

人それぞれに求めることは違う
それが男女による違いだとかは思いたくない
そうあって欲しくない
そうありたくない

どれが正解なのか
こうあるべきだと ありたいと思う気持ちはあっても、やはり明確な答えはないと思う。

だから皆悩む。

劇中の登場人物達は皆、それぞれが真の愛を探し求めている道中だったのだと思う。

琴子のその性質もまた、模索している途中段階故のものだ。
そのラストを観たのなら納得がいくと思う。

この作品を観て「恋がしてぇなぁー」「深夜に女の子と代官山を歩きてぇなぁー」「お家にお邪魔してお茶淹れてぇなぁー」「あんな風にSEXしてぇなぁー」と思った自分もまた、道の途中であることに気が付いた。

ぼくのその想いは、特定の誰かを指してはいない。
あの人とだから恋がしたい
あの人とだから深夜の代官山を歩きたい
あの人とだからお家にお邪魔してお茶を淹れたい
あの人とだからSEXしたい

そんな風に特定の愛しい誰かを想えない今の自分は、30にもなって只恋に恋しているだけのオッサンなのだと自覚した。

R18作品ということもあり、残念ながら池袋で夜の一回のみしか上映していません。

ですが、とても良い作品です。
着飾ることなく カッコつけることなく ありのまま 裸のまま ストレートにぶつかってくる
そんな「好きでもないくせに」のことが、ぼくは大好きです!

ぜひ劇場でご覧ください。

Writer

ミヤザキタケル
ミヤザキタケル

映画アドバイザー 元俳優 ライター 映画イベントMC。Instagramを中心に最新映画から懐かしの映画まで幅広く紹介。「ファイトクラブ」 「GO」「男はつらいよ」がバイブル。好きな監督はウディ・アレン。お仕事のご依頼はa.safety.pin.storm@gmail.comまでお願い致します。

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