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『タイタニック』最後まで演奏続けた音楽隊の実話 ─ 故郷に残した婚約者からのバイオリン

タイタニック
©Twentieth Century Fox Photographer: Merie W. Wallace 写真:ゼータイメージ

ジェームズ・キャメロン監督・脚本、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット主演の1997年の映画『タイタニック』に名場面は多い。中でも、船が沈みゆく中で最後まで演奏を続けた音楽隊の音色と姿が、特に心に残ったという方も多いだろう。

『タイタニック』後半のクライマックス、沈没までを描くシークエンスでは、いよいよ浸水がデッキまで及び、恐怖感が高まってゆく。船長は操縦室に籠もり、成すすべ無しの表情を浮かべる。

このとき音楽隊のメンバーは、デッキの喧騒の中にいた。はじめは4名で演奏していたが、刻々と身に迫る危険を感じて「ここまでだ」「無事を祈る」との言葉を交わして一度は解散する。しかし、そこに残ったバイオリニストがひとりで演奏を続けると、今しがた解散したはずのメンバーも戻ってきて、アンサンブルに加わっていく。

ここで彼らが奏でているのは、「主よ御許に近づかん(Nearer, My God, to Thee)」という賛美歌。映画ではこの音色にあわせて、ゆっくりと海水に侵され、傾いていく船の様子が映し出された。

操縦室で思いを馳せる船長。沈没した正確な時刻を残しておくためか、時計の分針を修正する設計士トーマス・アンドリューズ。脱出を諦め、ベッドで最後の抱擁を交わす老夫婦。何も知らない幼き我が子に、いつものように幸せな昔話を聞かせて寝かしつける母。「紳士らしく、正装して船と運命を共にする」として救命胴衣を拒みながら、迫りくる浸水を目前にして慄く実業家グッゲンハイム……。美しい演奏とは裏腹に、目前では冷たく黒い海がごうごうと音を立ててタイタニック号を呑み込んでゆく。

飛び交う絶叫、怒号、泣き声。少しでも平穏をもたらそうと、最後の演奏を続ける音楽隊。海水の魔の手がいよいよ彼らの足元にも及ぼうとする頃、音楽もついに止まる。「諸君。今夜、君らと演奏できたことを光栄に思う」。映画は、ここで顔色を一気に恐ろしいものに変える。大勢の乗客と共に沈みゆくタイタニック号を、パニック映画さながら容赦なく映し出していくのだ。

タイタニック 実際に最後まで演奏を続けた音楽隊

この音楽隊が、乗客に落ち着いて救命艇へ移動してもらうため、自身らは最後まで演奏を続け、その運命を船と共にしたのは事実……、というのは、タイタニックの逸話の中でもよく知られた話だ。

このリーダーとなっていたのが、映画でも「君らと演奏できたことを光栄に思う」と発していた、バイオリン奏者のウォレス・ハートリーだ。1878年にイングランドで生まれたハートリーは、父が聖歌隊と教会学校の長を務めていて、そこでバイオリン演奏を学んだ。卒業後もオーケストラで活躍し、やがてタイタニック号のバンドマスターを務めることとなる。プロポーズしたばかりの婚約者マリア・ロビンソンと離れ離れになるため、はじめは悩んだそうだが、この仕事が将来につながるかもしれないと考え、乗船を決意する。

ウォレス・ハートリー

タイタニック号には、ウォレスを含めて8名の音楽家が乗っていた。ピアノのセオドア・ロナルド・ブライリー、チェロのロジャー・マリー・ブリコとパーシー・コーネリアス・テイラーにジョン・ウェスラー・ウッドワード、ベースのジョン・フレデリック・プレストン・クラーク、バイオリンのジョン・ロウ・ヒュームとジョージズ・アレクサンドル・クリンズ。ウォレスは33歳で、ほかは20代が5人、30代が1人、40歳が1人だった。

一座は最後の最後の瞬間まで演奏を続けていたと伝えられており、その全員が犠牲になった。生還した二等船客は次のように証言している。

「あの夜、たくさんの勇敢な出来事があった。でも、船が静かに海に沈みゆく中で、一分一秒演奏を続けていたあの男たちよりも勇敢な者はいなかった。彼らが演奏した音楽は、まるで彼ら自身への不滅の鎮魂歌のようだった。」




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THE RIVER編集部THE RIVER

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