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ワンダーウーマンの「カッコよさ」だけについてひたすら考える ─ 映像、音楽、ストーリーの3点から

ワンダーウーマン
©Warner Bros. 写真:ゼータ イメージ

DCエクステンデッドユニバース4作目にして最高の成功を収めている『ワンダーウーマン』。日本でも2017年8月25日に公開され、強豪ひしめく中で初登場3位と健闘。アメコミファンに限らず幅広い層から支持を得ていることをうかがわせます。本作はフェミニズムの観点からスタートしたワンダーウーマンの出自もあってか、様々に政治的な分野からも批評を受けているようです(詳しい議論は専門家にお任せします)。しかし、本作の良さは、その政治的な先進性にとどまりません。これだけの興行成績を叩き出しているのは、なによりヒーロー映画として最高に面白いからでしょう。

というわけで今回の記事では「ワンダーウーマンのカッコよさについて」だけに注目します。なぜワンダーウーマンがカッコいいのか、映像、音楽、ストーリーの3点からひとつずつ考えます。

注意

この記事には、映画『ワンダーウーマン』のネタバレが含まれています。

スローモーションを多用した超人アクション

DCエクステンデッドユニバース最大の特徴といえば、スタイリッシュで重厚なアクションシーンでしょう。これはシリーズ全作でプロデューサーを務め、『マン・オブ・スティール』(2013)と『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)では監督も務めるザック・スナイダーの演出が土台となっています。彼のアクションはコミックの見開きページのようにダイナミックな構図と大胆に緩急をつけた動きが印象的です。様々な点で宗教画をモチーフにしており、『バットマン vs スーパーマン』ではキリスト教の代表的な絵画の構図をトレースした場面もありました。仰々しいとすら言える「ザック風」の演出がDCエクステンデッドユニバースのカッコいい世界観をつくっているのです。

『ワンダーウーマン』はこうした「ザック風」のアクションを人間サイズに落とし込み(『マン・オブ・スティール』は完全に宇宙人同士の戦いでした)、よりカッコいいシーンに仕上げています。印象としては『バットマン vs スーパーマン』のバットマンによるマーサ救出作戦に近いでしょう。セミッシラで展開されるアマゾン族vsドイツ軍の戦いでは、アマゾン族の圧倒的な戦闘力をスローモーションによって丁寧に描いています。彼女たちの素早く華麗な動きは、もはやカッコよさを通り越して美しくすらあります。大味にならず、あくまでプロ集団の鍛え抜かれた繊細なテクニックであるところに、これまでになかった魅力を感じます。

中盤のノーマンズ・ランド戦もすさまじい爽快感です。ここに至るまでのドラマパートでダイアナの思い通りにいかない、彼女にとってはストレスな場面が続きますから、ノーマンズ・ランドで全てのしがらみを跳ね返すかのように前進する彼女の姿がとってもカッコいいのです。ここはストーリーの章で詳しく触れます。

先ほど「人間サイズ」と言いましたが、クライマックスのアレス戦は『マン・オブ・スティール』さながらのスケール感で神々の戦いが描かれています。ワンダーウーマンがこれまで相手にしてきた人間とは格が違います。本当の軍神なのです。ワンダーウーマンとアレスがドイツ軍の基地をまるでミニチュア模型のように軽々しく吹き飛ばしながら、圧倒的な力をぶつけ合う迫力ある映像は、「ザック風」アクションの真骨頂発揮です。神々しさすらある「ザック風」アクションこそDCエクステンデッドユニバースの魅力ですから、予告編にもなかった対アレス戦のサプライズには、多くのファンが喜んだのではないでしょうか。ダイアナが人間の醜さや小ささに苦しむストーリーと、この壮大な神同士の戦いのギャップが上手く作用しており、エモーショナルな印象を残すラストバトルになっていたと思います。カッコいいだけでなく、「エモい」からこそ、DCエクステンデッドユニバース作品のアクションは素晴らしいのです。

余談ですが、DCエクステンデッドユニバースは『バットマン vs スーパーマン』を除いて予告編でラスボスを見せず、ヒーローの活躍だけを切り取って宣伝しています。あらすじの前提知識がほぼないまま本編を鑑賞できるので、非常にうまい演出です。

「おなじみ」のテーマソング

続いては音楽についてです。カッコいいヒーローにはカッコいいテーマソングがつきものです。スパイダーマンやスーパーマンやアベンジャーズあたりは名前を聞くだけで、すぐあの有名なメロディが頭の中を流れるはずです。

ワンダーウーマンも1970年代に放送されたテレビドラマシリーズのテーマソングが大変有名ですが、『バットマン vs スーパーマン』ではそんな常識をひっくり返す最高の新テーマソングがお披露目されました。この曲は単独主演作『ワンダーウーマン』でも引き継がれ、特に中盤のノーマンズランド戦で効果的に使用されています。『バットマン vs スーパーマン』でバットマンのピンチに現れた彼女の姿が目に焼き付いている観客にとって、あの曲は聴けば自然に興奮のスイッチが入ってしまう「おなじみ」のテーマソングになっているわけです。プロレスの入場曲みたいなものですね。ワンダーウーマンの見せ場に流れて燃えないはずがありません。この興奮は彼女の活躍とテーマソングがあらかじめ観客の脳内にインプットされていればこそのものです。ヒーロー映画として、これ以上ない演出だと思います。

強すぎるのに愛おしい、最強のヒロイズム

最後に、ワンダーウーマンのヒロイズムについて考えましょう。

まず、ワンダーウーマンことダイアナは、宣伝でもさんざん言われている通り、女だけの島セミッシラで生まれ育ちました。男や赤ちゃんに関する知識はすべて紙の上のものです。つまり、この島で生まれ育った彼女は性差を前提とした社会を知らないのです。そしてプリンセスとして、それから戦士として、徹底的に悪と戦う正義の心を育んできました。外の世界を知らないので、ほとんどおとぎ話のような神話も信じていますし、だからこそ信念をまっすぐに貫ける純粋さを失わずに生きてきました。

だからこそ、ダイアナが人間の世界に降り立ったとき、まったく外部からやってきた立場ゆえの無謀さとパワーでまっすぐ敵をなぎ倒していく様が痛快なのです。性差を知らないからこそ、男社会の矛盾にはこちらが遠慮してしまいそうなぐらい勢いよくツッコミを入れていきます。彼女にはあぐらをかいているおじさん達を余裕で蹴散らせるだけの知性と腕力がありますから、なおさら爽快です。また、剣と盾をハンドバッグ感覚で持ち歩いてしまうお茶目さや、初めて目にする赤ちゃんやアイスクリームに感激する素直さ、そして何よりプリンセスという高貴な身分ながら誰にでも平等に接する気さくさ、といった人間的魅力も持ち合わせています。社会や人間の矛盾に切り込んでぶっ叩くという行為は、本来攻撃的な営みなのでトゲトゲしくなりがちなのですが、ダイアナは持ち前の人柄と有無を言わさない知性と身体的能力のおかげで、そういった危うさを感じさせません。むしろ日ごろの鬱憤を代わりに晴らしてくれるような感覚です。この親しみやすさと高貴さのバランスが絶妙で、愛さずにいられないヒロイズムを形作っていると思います。

また、そんな彼女のそばに常にいたトレバー大佐にも注目です。彼はダイアナの常識はずれの言動に戸惑いつつも、彼女の信念や戦いを否定することはありません(唯一、ルーデンドルフの正体についての言い合いで、ダイアナの考えを否定しましたが、のちに彼が折れます)。むしろ、トレバーもまたダイアナの純粋な正義の心に魅了され、彼女を支えるかけがえのないパートナーになっていきます。ダイアナが世界を救うヒーローになり得たのも、やはりトレバーがいてこそなのです。素晴らしいバディだったと思います。

しかし、映画をご覧になった方はご存知のように、ダイアナは人間の世界の真実に気づいてしまいます。この世に絶対の悪などなく、一人ひとりが善と悪を背負って生きているのです。そしてトレバーは人類の善の心を信じて、世界中の悪を一手に引き受けるかのように爆弾と共に死んでしまいました。あまりに残酷な現実に一度は我を失い怒り狂うダイアナ。しかし、トレバーの「俺は今日を救う。君は世界を救え」を噛みしめ、そして、邪悪な兵器を開発しながら自身も戦争の被害者であったドクター・マルの哀れな姿を目にして、ダイアナは人類愛に目覚めます。言葉だけ聞くと青臭く響きますが、彼女にとって人類愛とは、自分の愛したひとりの男が命を懸けてでも守る価値があると信じたこの世界を、人類を、自分も愛し守り抜こうと決心した、その結果なのです。彼女がセミッシラで育んだ純粋な心と正義感は、トレバーの愛に包まれ、人間の弱さを受け止めたとき初めて、さらに上のステージへと昇華したのではないでしょうか。ワンダーウーマン=ダイアナは、神のように高貴で絶対的な正義の心を持ちながらも、人間臭く繊細な愛の心も持っています。ここに、強すぎるのに愛おしい、最強のヒロイズムがあるのだと思います。

 

以上、「ワンダーウーマンはなぜカッコいいのか?」について、映像と音楽とストーリーの観点からひたすら考えてきました。バラバラに論じてきましたが、もちろんこの3点がかみ合って初めてこれだけの魅力が発揮されるのですし、そもそもヒーローのカッコよさに理由を求めるのは野暮かもしれません。しかし、このように「神と人間」の間で苦しみ、正しい行いとはなんなのかを考え続けたワンダーウーマンについてじっくり考えてみると、これがDCエクステンデッドユニバースの根本テーマであることが浮かび上がってくるのです。自分の力が必要とされる場面に直面して「正しくあるとはなんなのか」を悩んだのは、ワンダーウーマンだけではありません。スーパーマンも、バットマンも、スーサイドスクワッドのメンバーもそうでした。となると、世界中に散らばっているメタヒューマンたち(フラッシュ、アクアマン、サイボーグ)がどのように「ジャスティス・リーグ」に合流し、世界の危機に立ち向かうのか、おぼろげながらその形が見えてきますし、実際どうなるのか非常に気になってくるのではないでしょうか。とにかく『ジャスティス・リーグ』公開の11月まで待ちきれません。

Writer

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トガワ イッペー

和洋様々なジャンルの映画を鑑賞しています。とくにMCUやDCEUなどアメコミ映画が大好き。ライター名は「ウルトラQ」のキャラクターからとりました。「ウルトラQ」は万城目君だけじゃないんです。

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