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羊の皮を被った狼!大人のための映画『ズートピア』レビュー・評価

世の中には、てっきり子供向けかと思いきや、実は深いメッセージや皮肉が込められた大人向けの内容だった、という映画がいくつかある。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国』は「逆予告編詐欺」として有名で、子供に連れられて仕方なく鑑賞した大人が本気で号泣してしまう作品だったし、『トイ・ストーリー3』は成長したアンディが子供時代の想い出に別れを告げるシーンはもちろん、ウッディやバズらオモチャ達が絶体絶命のピンチにまさかの「死の覚悟」を見せる焼却炉のシーンは、子供向けアニメらしからぬシリアス描写の片鱗にドキリとさせられた。

こういった『羊の皮を被った狼』のような作品においてアニメというフォーマットは非常に便利で、単なる子供の付き合いや、はたまた息抜きや童心に還った気持ちにさせてから、何の気構え無しに観客を引き込む事ができる。いざ蓋を開けてみれば、子供には到底理解できないエグ味が、可愛らしいキャラクター達の瞳の中に巧妙に隠しこまれているのだ。

ディズニー最新映画『ズートピア』は、まさにこういった類の映画であった。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー

「こんな映画がなぜ誕生したのか? 動物たちが主人公なので子ども向けかと思ったら大間違い。この作品は、資本主義の果てに、どういう社会が生まれるのかを暗示している。ディズニー映画の中でもずば抜けた傑作です!」

「宮崎吾郎と一緒に観たんだけれど、彼も物語の内容や表現力にびっくりしていました。僕も観たあとすぐに宮崎駿のところに行き、『すごいの観ちゃった!』と報告しました」

シネマカフェ

と評している事からも、今作が「ただのディズニーアニメ」ではない事は明らかだ。

人間は一切登場しない『ズートピア』は、表情豊かで可愛らしい動物達が奮闘するといった、子供が夢中になれる映画だが、そこに隠れたメッセージは主に「罪なき差別が招く悲劇」であると感じられた。
今回は、そんなズートピアのレビューを書く。なお、記事の後半はネタバレを含むため、鑑賞が未だの方は、観終えてから後半を読み進めて頂ければと思う。

映画『ズートピア』のテーマは「努力」ではない

物語の舞台は、「人種のるつぼ」「ヘルズキッチン」ニューヨークをモデルにしたような大都市、ズートピア。動物達は進化を遂げ、肉食動物が草食動物を狩り、喰らう事はなくなり、ライオンもシマウマも、巨大なサイも小さなハムスターも皆仲良く暮らしている。

我々がニューヨークに描くイメージと同じように、ズートピアも様々な人種(動物種?)が尊重され、本人の努力次第で何にでもなれる、夢が叶う巨大な街として描かれている。
しかし、平等社会に近づいたように見えるズートピアの世界だが、やはり種族ごとに対するイメージというか偏見は完全には拭いされていない。
ウサギのジュディ・ホップスは今作の主人公で、幼いころから警察官になる事を夢見るが、周囲からは「ウサギが警察官になれっこない」と馬鹿にされ、両親からは「我々ウサギはせいぜいニンジンを売ってるのがお似合いなんだ」と、警察官の夢を諦めるよう促される始末。

ズートピアが面白いのは、まるで制作者の「もうわかるよね?」という声が感じられるほどに、主人公が『夢』へ挑戦する物語が端に追いやられている所だ。「ウサギが警察官なんて無理」と言われたホップスは警察学校に入学するが、なるほど同期のみんな屈強そうなライオンや体の大きなサイなどばかり。この圧倒的ハンデを負った状態から小さなホップスは 人一倍努力して、小さな体を逆に駆使して見事主席で卒業する。
この『諦めなければ夢は叶う』とか『ハンデは乗り越えられる』といった手垢の付きすぎたテーマが、映画開始わずか数分で綺麗に完了する。しかも、「挫折→努力→夢実現!」の過程はほとんどダイジェスト映像のように、チャチャっと済まされてしまう。

観客はこのわずか数分の間で、「この作品は”夢を叶えるための努力”の尊さを訴えるものではなく、これから何か全く別のテーマが待っているんだな」という事実を直感的に学習する事になる。ズートピアは、さっさと観客をメインテーマへ招待したかったのだ。

そして観客は、お気に入りの曲をiPod nanoで聴きながら電車に乗って、意気揚々とズートピアに向かうジュディ・ホップスと共に、この作品のコア部分へ立ち向かう事になる…。

【注意】

ここから以下は映画のネタバレとなる内容を含んでいます。
まだ『ズートピア』を鑑賞されていない方は、観終えてからお読みください。

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野生化状態の動物たちのリアル

ホップスは詐欺師のキツネ、ニックと出会い、2人で協力して行方不明事件の真相を追う。そこで判明したのは、何らかの要因で肉食動物が凶暴化し、野生の状態に戻ってしまっているという事実だ。

この野生化の描き方にも感心させられた。物語のラスト、ニックが『夜の遠吠え』の銃弾を受けたと見せかけてホップスに襲いかかるシーンでは、先に描写されていた野生化状態の動物らとは違い、“アニメの目”をしていた。(だから観客は、これは”フリ”をしているんだな、と読み取る事ができた。)
そう、野生化状態の動物らが”アニメの目”をしていないのだ。子供向けのアニメであれば、”野生化のフリ”をしていたニックのように、ただ目つきを悪くして「ガルルル」とか「ガオー」とか叫ばせておくだけでも良かった。ところが、野生化して凶暴になった肉食動物の目はアニメ的でなくリアルなものであったし、動きも機敏かつ凶暴で、「動物って本当はこんな風に怖いよなぁ」と思い出させるようなリアリスティックだった。

アニメという、極限までデフォルメされたいわば現実逃避的な安全地帯に、突如としてリアルな恐怖描写がサブリミナル的に挟み込まれる。まるでトイ・ストーリー3の焼却炉のシーンのように、「え?マジか?」とハっとさせられるのだ。

『罪なき差別』と『見えざる脅威』

ホップスとニックは、野生化した肉食動物たちが収容された施設を突き止め、報道会見で公表する。
手柄を遂げて上機嫌のホップスだったが、彼女の発言がきっかけとなりズートピアは大混乱に陥る。
ここで象徴的に描かれていたのはマスメディアの偏屈報道の有様だ。ホップスは慎重に言葉を選びながら、肉食動物が凶暴化した原因を探っていきたい、有事の場合は警察が市民を守る、という旨の発言をしたが、その内容はマスメディアに端的に歪められ、「肉食動物は危険だと警察が公表!」といった形で世間に流れてしまう。

結果としてズートピアでは、肉食動物に対する差別・偏見が蔓延する事になる。僕はこの差別の描き方が何とも巧妙だと思った。何故なら、単なる偏見から来る差別とは少々異なり、肉食動物を恐れる草食動物の気持ちは合理的だからだ。
かつて草食動物たちが肉食動物に襲われていたのは事実だし、その肉食動物が今、謎の現象によって再び凶暴化している事態が発生しているのもまた事実。草食動物にとって、「心配ない、恐れるな」という方が難しい。

印象的だったのは電車のシーンで、羊の親子の隣に体の大きなトラが座る。トラは一人楽しそうに、タブレット端末を操作している。それに気付いた羊の親が、そっと我が子をトラから避けるように、自分の方へ引き寄せる。
ここで悲しいのは、まず、トラも羊の子も、羊親の行動に一切気づいていない点。
そして、羊親の行動も、我が子をいかなるリスクからも遠ざけたいという親心から来るもので、あながち責めきる事ができない点だ。
こういった「罪なき差別」は、「見えざる脅威」の形で現実社会にも広く蔓延しているし、何がいけないのか、誰が悪いのか、間違った事なのかと問われれば、僕らは堂々と答える事ができない。
こういった僕らが触れたくないデリケートな部分を、ズートピアは子供向けアニメの皮を被ってグサグサと突いてくる。

真の悪役は誰か

先述したようにズートピアは、『諦めなければ、夢は叶う』といったものがテーマではない。そして、小さな動物達が協力して巨悪に立ち向かって勝利する、というような勧善懲悪モノでもない。なぜなら、ズートピアの最大の悪役は、実態のない差別という『見えざる脅威』だからだ。

プライドランドを支配するスカーの打倒を目指すシンバのような旧来型ディズニーヒーローとは違い、ホップスらは、誰も憎むことができない。幼い頃ホップスを傷つけた、乱暴でイジメっ子のガキ大将キツネと大人になって再会するシーンでそのやりきれなさは描かれている。『因果応報』がテーマなら、大人になってもガキ大将キツネが嫌な奴で、警察官として訓練を受け強くなったホップスにぎゃふんと言わされるようなシーンを用意すればいい。
ところが、大人になったガキ大将キツネは登場するや否やホップスに「ずっと謝りたかった、あの時僕は本当に酷いことをしてしまった」と謝罪するのだ。あまりにもすんなり謝るもんだから、謝罪したと見せかけて後からイタズラをするのではないかと思って観ていたが、そうでもない。ガチで反省した上での懺悔だったのだ。ガキ大将キツネの気持ちはスッキリしたかもしれないが、ホップスはやりきれない。

結局、行方不明事件と肉食動物凶暴化事件はすべてベルウェザー副市長が裏でテグスを引く陰謀だった。
ベルウェザーも羊で、おっとりとした可愛らしいキャラクターだ。更に副市長という信頼できる役職についている。実はそんな彼女が黒幕だった、という展開は衝撃といえば衝撃だが、そんなパルパティーン的展開は今やそこまで珍しくない。

もちろんベルウェザー副市長はズートピアにおける悪役だが、それよりも恐ろしいのが動物達の差別である。
ベルウェザー副市長が言っていたように、ズートピアにおける肉食動物の割合は10%。つまり90%の草食動物達がみな差別の目を備えてしまった事になる。映画ではそこまで描かれていなかったが、90%のマジョリティが10%のマイノリティを避け、または排除するようにはたらこうとしていた実態は想像するだけでも恐ろしい。騒動以前だって、肉食動物は先代の横暴が由来となる、いわれのない差別の目を気にして生活していた。ホップスのキツネ避けスプレーをニックが「初めて会った時から気付いていた」と警戒し、恐れていたように。

ズートピア最大の悲劇は、主人公ホップスにではなく、一夜にして社会的弱者、または社会的脅威に転落した肉食動物に振りかかる。そして最大の悪は、市の90%を占めるマジョリティによる「罪なき差別」だ。ベルウェザー副市長は、もともとはらんでいた差別の概念を噴出させるトリガーに過ぎなかったのではないだろうか。

ズートピアに根付く闇は深い。片岡鶴太郎氏が動物に置き換えて実は、我々人間社会を、自然界を痛烈に描いて居ります。見終えて、暫く身動き出来なかった!映画とは?絵空事では在るものの、其処には真実が潜んで居る!」評しているように、この映画は、メルヘンな顔して人間社会にグサリとナイフを突き刺し、グリグリとかき回すような意欲作である。子供向け映画だと思ったら大間違いだ。

余談だが、上戸彩の吹き替えは素晴らしかったが、シャキーラが歌を務めた歌手のキャラクター、ガゼルの吹き替え(E-Girlsの金髪)は酷かった。エンディングでガゼルのMCとして「みんな歌って!かもーん!」とか言っていたけど、本声の歌パートと違いすぎて、誰のセリフなのか理解するまで時間がかかった。

シビルウォーのEXILE主題歌といい、WDJは一度本気で色々考えたほうが良いのではないだろうか。

Eyecatch Image:http://www.disney.co.jp/movie/zootopia.html

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。