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【インタビュー】「glee/グリー」サム役コード・オーバーストリートが語るミュージシャンとしての成長と価値観 ─ 「日本が大好きなのでツアーに行きたい」

Chord Overstreet コード・オーバーストリート

アメリカ有数の音楽都市であるテネシー州ナッシュビル出身のシンガー・ソングライター、コード・オーバーストリートが、自ら率いるオルタナティブ・ポップ・バンドプロジェクトOVERSTREETを携えて、念願の日本デビューを飾った。近年、音楽活動に精力的な力を注ぐコードだが、彼のことを海外人気ドラマ「glee/グリー」(2009-2015)のサム・エヴァンス役で記憶している方も多いのではないだろうか。ブロンドの転校生役でシーズン2から登場したコードは、その甘いマスクと肉体美、そして何より柔らかな歌声で瞬く間に人気キャラクターの1人として存在感を示した。

「glee/グリー」放送終了後、コードは映画やドラマの出演オファーを断って音楽活動に腰を据えて取り組んでいる。2017年には「glee/グリー」で共演し、私生活でも良き友人であった故コリー・モンティスに捧げた楽曲「Hold On」をリリースして2億1,600万回のストリーミング再生回数を記録する大ヒットを獲得。以降、シングル曲を自ら制作しており、いまや現代のオルタナティブ・ポップシーンを代表するアーティストへと成長している。

THE RIVERでは、コード・オーバーストリートの記念すべき日本デビューに合わせて、Zoomを通じて独占インタビューを行った。取材が行われた2020年5月29日、アメリカでは新型コロナウイルスの影響を受けてロックダウン(都市封鎖)が行われており、コードはロサンゼルスの自宅からインタビューに応えてくれた。頭にバンダナを巻き、薄手のデニムシャツというカジュアルな格好で現れたコードは、「glee/グリー」での爽やかな姿に加えて、渋さを漂わせた1人のミュージシャンとしてのオーラを放っていた。インタビュー中、時にギターを鳴らし、生の歌声までも披露してくれたコード。本インタビューでは、新たな門出を迎えたアーティストとしてのコードの持つ価値観や今後の展望を余すところ無くお伝えしよう。もちろん「glee/グリー」ファン必見のエピソードもたくさんあるので、是非お楽しみ頂きたい。

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自宅待機中には、曲作りから瞑想、料理、日本のゲームも

──「glee /グリー」からの大ファンなんです。世界が大変な状況にある中、お時間をいただき、ありがとうございます。今日は、日本のファンの皆さんにもっとあなたのことを知ってもらえるように、40分のインタビュー時間でいろんなことを聞いていきたいと思います。今はご自宅ですか?

最高ですね。今はカリフォリニアの自宅にいます。

──そちらでの状況はいかがでしょうか?日本ではロックダウン(都市封鎖)は行われなくて、法的な制限も無かったんです。なので、アメリカとは状況が少し違うとは思いますが、状況が良くなることを日本からも祈っています。

こっちでは何もかもがロックダウンされていて、自宅のスタジオで曲を書いたり、レコーディングしたりするか、友達の家に行って、お互いに3メートルくらい離れて過ごしています。皆が安全でちゃんと距離を保ちながら健康でいることを願っています。クレイジーでおかしな時ですよ。

──自宅隔離期間はいかがお過ごしでしょうか?

出来るだけ仕事するようにはしてます。物語を作るために外に出て何かを経験することが出来ない時に、クリエイティブになることは難しいと思いますけどね。けど、家で瞑想したり、料理したり、曲を書いたりするようにしています。料理は本当に大好きで…。あと最近は好きなポッドキャストを聴いてますよ。人気のゲームもやってます。

──ちなみに何のゲームをやってるんですか?

『アサシン クリード』にめちゃくちゃハマってます。あとは、FIFAのゲームとかNintendo Switchとか、「モノポリー for Nintendo Switch」、『マリオパーティ』、『マリオカート』とかですね。外に出られない時にはこういうことに限りますね。

その時の環境で作り上げる独自の作曲スタイル

──それでは、音楽のことについてお話していきたいと思います。コロナの影響で曲作りに変化はありましたか?実際にソーシャルディスタンスの間に「What You Need」を制作していましたが、何か音楽のスタイルの変化を感じていますか?

僕が作るものは、常にその時の環境から生まれていると思うんです。僕の今の環境は家ですよね。今、僕は自分自身の為に音楽を作るのではなくて、皆さんが安らげるために聴きたい曲は何か、考えています。今起きているこの状況を助けることのように。皆さんが経験している苦しみを僕も経験するというような感じです。それが今、僕が一番に考えていることですね。

──日常的には、どうやって曲を作っていますか?曲作りの頻度もお聞きしたいです。

全てが上手くいくわけじゃないですけど、1日1曲くらいですかね。今座ってる(自宅の)スタジオで毎日曲を書くわけじゃないですけど、無計画で仕事を始めて、適当に(ギターを持って即興で歌いながら)こんな感じで歌ってみて、何か思い浮かべば良いかなって感じで取り組んでいます。音楽って不思議なもので、“今日はこれをやるぞ”とか“これを書くぞ”っていう風には出来なくて、何も無いところから出てくるものなんです。だから、1日に1回スタジオに来て、何か浮かぶか確かめるようにはしてます。

──ところで、あなたの後ろにたくさんギターが見えますが、何本くらい持ってるんですか?

(実際に立ち上がって数えながら)ここにあるだけで、15本くらい持ってますよ。

──たくさん持ってるんですね。

でしょ?どのギターも出す音色が様々だから集め始めたんですよ。それで夢中になってしまって。いろんなギターの音で個性的なものを生み出せるかどうか試してます。

──家の中にスタジオがあるんですね。

そうなんです。ただの部屋ですけど、目の前のコンピューターとインターフェース、スピーカー、マイクを使ってレコーディングしてます。今は家で何でもやっていますね。けど、いつもはプロデューサーとか作詞家の人たちと一緒に誰かの家で仕事をしてます。ここ(家)からでも何でもできちゃいますよ!

──アイデアが浮かぶタイミングはどんな時ですか?

ランダムに浮かんできます。だからスマホを持って、まずタイトルを書き留めるかな。最近書いた「What You Need」という曲は、実際にセッションする一週間くらい前にタイトルをスマホの中にメモしていて、他にも良いやつとかバカげたやつとかもたくさんあって。めちゃくちゃ悪いやつもありました。そんな感じで曲作りを進めていて、“これは好きだわ”とか、”曲全体のメッセージが良いね”という風に思いながら、それから自分の実体験を、最初から終わりまでを伝えるにはどうしようかと考えています。何気なくハミングしたり、歌ったりして(曲に)物語を加えるようにしています。

──ネガティブな曲を書いている時、感情を抑え切れなかったりした時はどうしているんでしょうか?

胸が張り裂けそうな曲や悲しい曲に取り組んでいる時は、向かう場所はいくつかあります。自分を傷つけたりエモーショナルな気持ちにさせたりする物語を引き出せる場所に行って、そこで当時に戻るんです。悲しくなってきたらスタジオで今の自分の感情を弾いたり、歌ったりすることで(アイデアを)引き出すみたいな。ちょっとネガティブなセラピーみたいですけど。少し落ち込んだ時に曲を書き始めて音楽にするみたいなことはありますね。

──あなたが発表する曲のタイトルには、あなた自身の想いが詰まってるように感じられますが、どうやってタイトル決めをしているのでしょうか?

「Homeland」(2016年発表のファーストシングル)は、ホームシックになっていたある日に曲を書いてたら浮かんできたんです。自分が育ってきた場所とか、7歳か8歳の頃に父親がトラックの乗り方を教えてくれた時の事とかを思い出していて。クリスマスに(街に)帰ってきた時に、僕が生まれた時から何からまでが全部思い出されて、すごく新鮮に感じられたんです。昔のゴーストタウンみたいで。(街に対する)感謝の気持ちとかもまだ持っていたんですけど、何だか不思議なノスタルジーみたいなのがあって、何もかもが儚く感じられたんです。僕が生まれて育った頃は、全く新しい街だったのに、今じゃ何も残っていなくて。それで、何かを創り上げるより、曲を書く方が簡単だなと思ったんです。何か個人的な繋がりがあれば、何も無いところから生まれてくるんです。

「Man On the Moon」は、ある時、僕が恋していた女性との関係を続けていた頃の曲です。彼女は、“私も同じ気持ちを持ってるよ”と言ってくれて、僕を同じような気持ちにさせてくれたんです。それで、僕が彼女に会いに行ったら彼女はどこにもいなくて。“僕たちは違う星にいるんだ”と感じたんです。その時に「Man on the Moon」が浮かんできました。

「What You Need」も似たようなもので。ある人に何もかも尽くしたいと思っていた時がありました。けど、不健全で依存しているような関係にある時は、何をしてもどんなに自分を犠牲にしても、その人を満足させることは出来ないんです。この曲は、“どんなにその人が僕を傷つけても、幸せにするためなら僕は何でもする”という、誰もが経験するような依存関係を歌った曲なんです。

──ご自身の実体験に基づいて曲を作っているんですね。

そうするようにしてます。(実体験に基づいた)曲は僕にとって日記を書くみたいに、感情を抱いてた当時の事とか場所へ連れて行ってくれるんです。僕も、タイムカプセルみたいに“この時に戻るぞ”という風に曲を書いていたので、嫌にならないんです。ただただ書くために作った曲よりも、こういう曲を聴いている時は背景にある感情がとても分かりやすいんです。

──作る曲それぞれが違ったテイストに感じられますが、実験的なアプローチで曲作りしているのでしょうか?

その通りです。僕の場合、曲を作り終わるまでどうなるか分からないんです。最初は、“これ良い感じ”とか“この音良いね”という風に始めて、そういう感情や感覚で音楽的に理解できるような物語があるか考えます。大体は上手くいかないんですけどね。上手くいった時は、音楽と曲のエネルギーを得られるんです。僕は予測出来ないようないろんなことをするのが大好きで、自分でもどうなるか分からないですし、何でも出来ちゃうから音楽のエンターテインメント性が大好きなんです。

偉大なミュージシャンたちや故郷、家族から影響を受けた音楽スタイル

──音楽の聖地テネシー州ナッシュビルで生まれ育ったことや音楽一家の環境は、少なからず影響はあったのでしょうか?

その通りですね。ナッシュビルという音楽都市で育って、友人のお父さんから自分の父親、父親の友人まで、みんな音楽をやっていました。だから、もしギターの選び方や弾き方が分からなかったりしたら、仲間外れみたいなもので。幼い頃から、父親が音楽をやっているのを近くで見ていたことを今になって考えると、“これが自分の知っていることだし、大好きなことだから、僕も将来やることになるんだ”と思うのも納得でした。多くの子ども達は親から才能や性格特性、エネルギーなど、多くのことを学ぶんです。特にエネルギーって母親や父親からしか得ることの出来ないものです。自分はこういう人間なので、それを否定することは結構きついですね。もし医者や弁護士の両親の家庭で育っていたらそういう風に育っていたでしょうし、それしか知らなかったと思いますよ。

──“コード(Chord)”というお名前は音楽に関係する意味を持っていますよね。お父様もそれにちなんで名付けたのでしょうか?

そうなんです。“ハーモニー”っていう名前の妹もいて。僕は3番目に生まれて、主要三和音(スリーコード)にちなんで、“コード”と名付けられました。妹のハーモニーは4番目に生まれて、四部合唱(4つの音色を持つハーモニー)にちなんで、そう名付けられたんです。

──ミュージシャンになるべくして生まれてきたんですね。

そうですね。それか、前から決められていたのかも。もし僕が医者になってたら、意味が無かったでしょうね。あ、でも「ドクター・コード」ってバンド名はかなりイカしてるかもしれないです(笑)。

──ボブ・ディランやエルヴィス・プレスリー、ザ・ビーチ・ボーイズなどに影響を受けたと聞きましたが、彼らのどのようなところにインスパイアされたのでしょう?

ボブ・ディランは偉大な語り手です。彼は誰もが経験する似たような事について、誰よりも具体的で違ったレンズを通して物語を伝えてくれるんです。彼は、まるでこれまでに出くわしたことのないような、初めて体験したのような物語に塗り替えてしまうんです。

エルヴィスは、子どもの頃に夢中になった最初のアーティストなんです。だって、彼は根っからのエンターテイナーだったから。彼は自分で曲を書かなかったけど、最高の曲を歌って、自分らしいことをして世界中の人を魅了したんです。とてもカッコいいです。

ビーチ・ボーイズは、音楽を学びに大学に通うようなものですね。ブライアン・ウィルソンはクリエイティブで素晴らしい作曲家の1人ですし、彼らの奏でるハーモニーは素晴らしくて、全てが最高な音に感じましたね。ビーチ・ボーイズがやることは全部が実験的で、他の人が挑戦するずっと前から変わったことに挑戦していました。彼らの持ってる精神みたいなものは、今でも唯一無二です。

オルタナティブ・ポップアーティストとして「日本でまた歌いたい」

──あなたが今取り組んでいるオルタナティブ・ポッププロジェクトOVERSTREETについて話しましょう。オルタナティブ・ポップというジャンルを意識することはありますか?それとも、自然と浮かんだアイデアをそのまま作ったら、そのようなジャンルになったんですか?

それとはまたちょっと違うんです。僕はある事に対して感情的になる段階を通って、そこにあるネガティブなエネルギーとか感情だとかを取り除いて、楽しいことや良いことだけに集中したいと思う瞬間があるんです。ダンスとかドライブとか、すぐに自分が幸せになれるものとかですね。そういうものが、オルタナティブ・ポップの世界にぴったりなエネルギーを持っているんです。

──いよいよ日本で公式のデビューを迎えますね。おめでとうございます。(コードも画面越しに拍手)

遂にですよ。日本に戻る準備は出来ています。待ち遠しいです。

──最後に日本を訪れたのはいつですか?

2017年11月です。2年半前ですね。その時は大阪、名古屋、東京に行きました。京都にも行きたかったんですけど行けなくて。日本は大好きです。僕の兄と、義理の兄弟が一緒にいて、僕の親友も後から来ました。なんとその親友は富士山で彼女にプロポーズしたんです。

──え!?成功したんですか?

「イエス」と答えてましたよ。富士山のおかげで上手くいったみたいです(笑)。

──それはめでたいですね。ところで、デビュー曲「Summertime」についてお聞きしたいのですが、この曲は1980年代のテイストを帯びていますが、80年代とは何か特別な思い入れがあるんでしょうか?

もちろんです。僕は80年代に生まれましたし、マレットヘアーとかジージャンが大好きでした。僕が小さい頃、両親は昔の曲しか流さなかったので、1950年代から80年代の曲を聴いて育ちました。確かちょうどそれくらいの時代にエレクトロニックが持ち込まれたので、これまで聴いたことのない音で実験できるようになって。これも僕が80年代が大好きな理由なんです。当時の人は自分の感覚やピアノで(音楽に)手を加えて、微調整して(曲を)作っていて、何もかもが合成されてるみたいでした。歌い方についてもみんな実験的で、まさに新しいタイプの音楽って感じでしたね。だから80年代が大好きなんです。

──公開されている「Summertime」のビジュアライザーを拝見しましたが、昔の映像がとても80年代っぽかったです。若い頃のブラッド・ピットもいましたし。ブラッド・ピットは日本人にとってもイメージしやすいと思いました。この昔の映像を使うというアイデアはあなたが考えたのでしょうか?

ブラッド・ピッドはイメージを沸かせるのに簡単ですよね。これは僕が考えました。ちょうど自主隔離が始まったくらいの時でしたから。(ビデオを)ヴィンテージっぽくしたくて、そしたらYouTubeに「Eight minutes abs」っていう昔の80年代の映像があったんです。ローラースケートの映像とかも見ていました。本当はビーチに行って、ローラースケートで追いかけっこみたいなこととか、夏にするようなことをやりたかったんですけど、曲を出した時にちょうどロックダウンになっちゃって。撮影も出来なくなってしまったので、やりたかったことと同じエネルギーとかバイブスを持つような映像を使ったんです。

──もし自主隔離が無かったらミュージックビデオを撮ることになっていたんですね。

そうなんです。もし無かったら、ビーチでクレイジーなパーティを開いて皆で飲んで、楽しい時間を過ごしていたでしょうね。

──あなたが主催した自主隔離中のセッション動画を拝見しました。とても心温まるもので元気が出ました。これはどういう経緯で始まったのでしょうか?

僕たちは何もすることが出来ない状況で家にいなきゃいけませんでした。だから特に皆が塞ぎ込んだ気持ちの時に、今の自分に出来ることって言ったら、人を笑顔にしたり、元気づけたりすることだと思ったんですよ。音楽の本質って人にシェアすることですし。なので、皆さんの気分が沈んでいる時に、今起きていることをちょっとでも忘れさせてあげられたらと思いました。

──これからも続けるつもりですか?

外出するくらい勇敢なカメラマンを探せたらですかね(笑)。

──そうですね(笑)。6月にはロサンゼルスとナッシュビルでコンサートを予定していましたよね?これはどうなりましたか?

今の状況もあってキャンセルになってしまったんです。

──そうなんですね…。今は大変な時期ですが、今後アメリカだけじゃなく、日本とか他の国でのツアーを考えていますか?

もし日本でツアーが出来るんだったら、日本に引っ越してフルタイムでやりたいですよ(笑)。

──ぜひ、お待ちしてます。

日本が大好きなので実現できたら楽しいでしょうね。日本に行って1ヶ月ぶっ通しでツアー出来たら最高です。

俳優としてのコード・オーバーストリート、「glee/グリー」から学んだこと

難しい質問ですね。両方で成功している人は多くないですから。ジャレッド・レトは成功した1人ですね。マライア・キャリーとかも華々しく成功したと思います(笑)。僕は、俳優だったらロバート・デュヴァルとかブラッド・ピットが大好きでしたね。ミュージシャンについてはさっき話したような影響を受けました。両方を上手にできる人ってめったにいないんでね。ドワイト・ヨアカムをご存知ですか?彼はカントリー歌手なんですけど、素晴らしい俳優でもあって。これは珍しい例ですよ。ケビン・コスナーとか『フォレスト・ガンプ/一期一会』でダン中尉を演じたゲイリー・シニーズもバンドをしてますね。(ミュージシャンと俳優を)両方やるのは結構珍しいことですよ。

──俳優の仕事に戻ってきたいですか?

もちろんです。出来る限りやりたいです。去年(2019年)の秋にルーク・ウィルソンと一緒にジャマイカで映画の撮影をしましたよ。確か夏に公開されると思うんですけど。あちこちいくつかでやってるんですけど、何かが出てきて自分の目を引くまでは音楽をやりますよ。両方好きなんでどちらかを選ぶのは難しいです。

※『The Swing of Things(原題)』

──「glee/グリー」放送終了から5年が経ちますが、それから現在までに心境の変化などはありましたか? 

この5年で人間として大きく変わりました。プロデューサーとか共演者のみんなとは、“あの時に戻ったら何してるだろうね”とか、“グリーの登場人物たちは今頃どうなってるかな”って、いつも冗談を言い合いながら楽しく話してますよ。当時を振り返ってみると、アプローチにもよりますけどもっと違う風に出来たこととか、多くのことがありますね。正直に言うと、歌とか演技、作詞、あとは自分自身についても「glee/グリー」でたくさん学びました。大学のような感覚で学ぶことが出来て、自分の考えが大きく変わる経験でしたね。

──「glee/グリー」のメンバーとはまだ連絡を取り合ってるんですか?

もちろんです。自主隔離が始まってからは、毎週金曜日にZoomで集まってビデオ電話してますよ。

──この前、YouTubeでグリーのメンバーが再集合する企画がありましたね。日本からも視聴出来たのですが、多くの人がその動画を観たと思います。あなたはその場にいませんでしたが…。

ダレン(ブレイン役)とかマシュー(シュー先生役)とか、半分くらいのメンバーが集合したやつですよね。そのこと(出演できなかったこと)で、今もダレンを責めてますよ(笑)。それについては連絡が来なかったんです。

──これは個人的な興味になってしまうんですけど、グリーで(サムが)やってたようにモノマネはしますか?マシュー・マコノヒーのとか。もし良ければ是非ともお聞かせいただきたいのですが…

(快く引き受けてくれながらしばしモノマネタイム)

──うわ、本物だ…。ありがとうございます…!

もちろんですよ。オーライ、オーライ、オーライ。(予期せぬ二度目)

──そろそろ時間がなくなってきましたね。すでにそうだと思いますが、OVERSTREETとしての名は今後日本にどんどん広まっていくと思います。何か日本のファンにメッセージを頂けますでしょうか?

ありがとうございます。僕は日本がかなり大好きで最初に訪れたのは2017年でした。それ以来、すっかり虜になっていて、また日本に戻って素晴らしい方々に会って皆さんと素敵な時間を過ごしたいです。日本での経験はこれまでの自分にとっても大切なものでした。かなり最高でしたよ。

──ありがとうございます。あなたの歌声を日本で聞ける日を楽しみにしています。

ぜひ、それやりましょう!必ず日本に行きます!

Summertime

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SawadyYOSHINORI SAWADA

THE RIVER編集部。宇宙、アウトドア、ダンスと多趣味ですが、一番はやはり映画。 "Old is New"という言葉の表すような新鮮且つ謙虚な姿勢を心構えに物書きをしています。 宜しくお願い致します。ご連絡はsawada@riverch.jpまで。

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