『ダークナイト』の某セリフが『オッペンハイマー』につながってくる?ノーラン監督「最も心に響くセリフだ」

クリストファー・ノーランは『オッペンハイマー』でアカデミー賞作品賞や監督賞をはじめとする数々の章に輝き、いよいよこれをもって、現代映画界の巨匠として名実ともに数えられることとなった。そんなノーランの初期の成功作『ダークナイト』(2008)は、彼の硬派な作風を世界中の映画ファンに知らしめた一作だ。
この劇中のとあるセリフが、およそ15年の時を超えて、『オッペンハイマー』と精神的につながり始めていることについて、ノーラン本人も驚いているらしい。
件のセリフとは、後にトゥーフェイスとなるハービー・デントによるものだ。アーロン・エッカートが演じたこの正義感強い地方検事は、映画の序盤で、ブルース・ウェインやレイチェル・ドーズとともに会食のテーブルを囲む。
彼らの話題の的は、ゴッサムシティの悪と戦う謎のヴィジランテ、バットマンだ。デントはバットマンのような非公式のヒーローが必要だと考えており、「古代ローマでは民主主義より1人の男に国を託した。“英雄”ではなく“公僕”として」と説く。同席したレイチェルから、最後にその座についたのは独裁者シーザーだったと指摘されると、デントは「英雄(ヒーロー)として死ぬか、生き延びて悪に染まった自分を見るか」と返答し、誰かがバットマンの後継者になる必要性があるとの考えを述べる。
ノーランは『オッペンハイマー』キリアン・マーフィーとの米Deadline対談記事の中で、このセリフについて「僕が書いたセリフではないからこそ、悩まされている」と告白。この部分を執筆したのは、共同脚本を手がけたノーラン実弟ジョナサンだったそうだ。
今でこそ「やられたよ。最も心に響くセリフだから」と気に入っている様子のノーランだったが、当時はこのセリフの意味するところについて「理解さえしていなかった」という。「彼の“英雄として死ぬか、生き延びて悪に染まるか”というセリフを草稿で読んだ時、“まあ、一応残しておくけど、どういう意味かわからないな。こういうことが本当にあるんだろうか?”と思っていました。それから、映画が公開されて何年も経った後、このセリフはますます真実めいて感じられるようになったんです」。
つまり、『オッペンハイマー』で描かれたロバート・オッペンハイマーの物語と共鳴するということである。「(『オッペンハイマー』の)このストーリーでは、実にそうなのです。彼らを育て、彼らを引き裂く。それこそが、人に対する我々の接し方なのですよ」。
「ヒーローとして死ぬか、悪(ヴィラン)に染まるか」の意味するところは、『ダークナイト』ではハービー・デントの運命を予言するものである。市民から英雄視されていたデントはその後ジョーカーの凶行によりレイチェルを失い、顔半分が焼け爛れたトゥーフェイスと呼ばれるヴィランと化す。
『オッペンハイマー』では、ロスアラモス国立研究所の所長として、マンハッタン計画の主導者として突き動かされ、トリニティ実験を完遂させた後、戦争を終結させた立役者として称賛されるオッペンハイマーが、原子力委員会によって追い詰められていく栄光と没落が描かれる。ある時までは英雄視され、ある時からは大量殺戮兵器を誕生させた張本人として見られたオッペンハイマー。あらゆる物事には二面(トゥーフェイス)がある。
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Source:Deadline