【インタビュー】『デッド・ドント・ダイ』巨匠ジム・ジャームッシュ「このままでは世界は終わる」 ─ ゾンビ映画でメッセージを語る理由


──ティルダ・スウィントン演じる葬儀屋のゼルダが日本刀で戦うという設定に、日本の映画ファンはとても喜んでいます。そもそも、なぜティルダに日本刀を持たせようと思われたのですか?
脚本を書いている時に出てきたアイデアでした。僕が武芸(マーシャルアーツ)のファンだからだと思います。僕の哲学の先生は、ニューヨークの少林寺にいらっしゃる釈延明(スー・イエン・ミン)師父で、彼には太極拳なども教えてもらいました。この映画には、そういう要素を取り入れたかったんです。
僕は(この映画で)ティルダの役が一番わかりやすいと思います。多くは言いませんが、彼女はこの小さな町に特別な興味を持っている(笑)、よそ者なのです。そこで、彼女には自分なりのきちんとした規律があるんじゃないかと思った。彼女はゾンビと戦う役だから、それが脚本にも役立ちました。だから、なぜそうしようと思ったのかはわからないですね。ただ、彼女が刀を持って演じるのを見るのは最高でしたよ。彼女は一生懸命やってくれて、撮影前に別の映画の準備をしていたところを、ずいぶんと訓練してもらいました。だから撮影中、彼女のトレーナーは現場にいなかったけれど、彼女はすごくよかったですよ。おかげで彼女の撮影は楽勝だったな。

──今回、作品のテーマやメッセージのようなものを劇中で言葉にされたことに大変驚きました。監督の作品では珍しいように感じましたが、どんな理由や背景があったのでしょうか。
ええ、僕にしてはちょっと直接的ですよね。どう答えていいかわからないし、なぜなのかもわからないけれども、僕が思うに、今まで作った映画とは正反対だからでしょう。『パターソン』は非常に内面的な、どのようにお互いを理解し合うのかという、日常のディテールを描く映画。特別なことはまったくありません。けれど『デッド・ドント・ダイ』は笑えるほど真逆の、ぶっ飛んだゾンビ映画です。だから直感的に、説教臭くならず、ダイレクトなメッセージを語れると思ったんじゃないかな。だって、始まりのメタファーがすごくわかりやすいから。ゾンビたちが、無思慮な習慣や、そのまま大人になった人たちのメタファーであることは明らかですよね。
どういうわけか、僕は新しいものを作りたいと思い、映画の中に警告めいたものを入れることを自分に許しました。それはたぶん、気候変動や企業の強欲、政治の暴力、そういうものを非常に悲しく思っているから。僕は他者に共感することが、人々がバラバラになるのではなく連帯することが大切だと思っています。だから、この世界のありかたが怖くなっているところがあって。僕は、人々が欲望や残虐を信じているとは考えていません。しかし権力を持っている人たちは──彼らが何から力を得て、何を大切にしているかはわからないけれど──すべてをコントロールしたがっている。情報を、すべてをです。終わりなき消費主義は、自分たちで「これは間違いだ」と気づかないかぎり、世界を終わらせることになる。すべてをぶち壊してしまう、未来の子どもたちから水を奪うというだけで済むものではありません。すべてが利益のために動いている、そのことを止めなければこの世界は終わりです。
『デッド・ドント・ダイ』

物語の舞台はアメリカの田舎町センターヴィル。たった3人だけの警察署で働くロバートソン署長とピーターソン巡査は、ダイナーでの変死事件を皮切りに思わぬ事態に巻き込まれていく。墓場から死者たちが次々と蘇り、町に溢れはじめたのだ。どうやら、彼らは生前の活動に引き寄せられているよう。救世主のごとく現れた葬儀屋ゼルダとともに、増殖しつづけるゾンビたちに立ち向かうが、最後に待っているのは希望か、それとも絶望か……。