1971年から2010年代へ、映画監督クリント・イーストウッドの深化 ― 当たり前のことを、世界最高のレベルで

クリント・イーストウッド監督の新作、『15時17分、パリ行き』の日本公開が2018年の3月1日に決定したとの報が入ってきました。2015年に突如起こったタリス銃乱射事件を題材にとった同作は、実際に事件現場にいた3人を本人役として起用するという大胆な試みで注目を集めています。
各アカデミー賞予想サイトでは第90回アカデミー賞の有力候補ともみられていた同作ですが、単純に完成が遅れたのか、何らかの思惑が働いて公開延期になったのかは不明ですが、アメリカ本国の公開は2月と、アカデミー賞を争うには少々条件の悪い公開日の設定となりました。しかしながら、イーストウッドは現代を代表する巨匠であり、彼の新作というだけでも期待は否応に高まります。
イーストウッドの映画監督としての功績は多大であり、彼を「巨匠」と呼ぶことに違和感を感じる映画ファンは存在しないと思います。ですが、古今東西存在する、確固たる作家性を持った「巨匠」と呼ばれる監督たちの中でも、彼ほど特徴らしき特徴を指摘するのを難しい監督はいません。それでも監督イーストウッドの凄さは、その一見すると何でも無さそうなスタイルにこそ潜んでいると私は思います。
映画監督クリント・イーストウッド、枯淡の極致
「枯淡」とは、「俗っぽさがぬけ、あっさりとした中に趣があること」という意味です。
イーストウッド監督の演出を一言でいうと「大人の演出」です。慌てず騒がず、急がず。当たり前のことを当たり前にやる、成熟しきった演出なのです。あえて例えるならば、一度通っただけでは良さがよくわからず、何度か通ううちに良さがわかるレストラン、のようなものでしょうか。70歳を過ぎたスコセッシが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)のような先鋭的な映画を撮るのも凄まじいですが、イーストウッドの凄さは年を重ねたからこそできる深みだと思います。
実際、彼の映画監督としてのキャリアは非常に長く、最初の監督作品は、壮年だった40代の頃に手がけた『恐怖のメロディ』(1971)まで遡ります。同作は大成功とまではいかずともそれなりの成功を収め、以降イーストウッドはスター俳優でありながら映画監督としてもコンスタントに作品を発表することになります。
それからしばらくの間、イーストウッドは「そこそこ」の監督でした。批評家からは概ね好評をもって迎えられるものの、アカデミー賞や三大映画祭などに絡むことはなく、爆発的な興行収入をあげることもない。そういう評価に落ち着いていた監督だったのです。
しかし、イーストウッドは1980年代に伝説的なジャズ・サックス奏者チャーリー・パーカーの伝記映画『バード』(1988)でゴールデングローブ賞の監督賞を受賞。1990年代に入ると『許されざる者』(1992)が爆発的な好評をもって迎えられます。同作はアカデミー賞で作品賞と監督賞を受賞し、今もって名作として高い評価を受けている作品です。
イーストウッド監督の特徴は基本的に監督初期から変わっていません。彼は教科書のような演出をする監督です。
映画のシナリオは、シーンの変わり目が「柱」と呼ばれる形で区切られ、柱の間に登場人物のセリフとト書きが書き込まれています。このシナリオを、そのままシナリオ通りに演出したらどうなるか……。おそらく、そのイメージの平均値に最も近いのがイーストウッドの演出でしょう。
ここで『許されざる者』のクライマックス、イーストウッド演じる老いた伝説のアウトローがジーン・ハックマン演じる強権的な保安官たちのいる酒場を襲撃する場面を見てみましょう。
ここでイーストウッドは、「全体の位置関係がわかるカット」「話している人物の切り返し」「それを見ている取り巻きのリアクションショット」という、シナリオに書かれていることを視覚化するために必要最低限と思われるものだけで画面を構成しています。BGMは一切なく、スピーカーから響くのは弾着効果や降りしきる雨の音など本当に「その場に存在するもの」しかありません。派手なギミックは一切なく、まるで映画学校で習うセオリーをそのまま実行したような教科書的なやり方です。
これだけ書くと何やら退屈な代物のように感じてしまいますが、この映画では、その「教科書のような」当たり前のことが恐ろしく高いレベルで成立しています。
イーストウッドの特徴を指摘するのは難しいと記しましたが、それでもあえて指摘するのであれば、その特徴は「無駄の無さ」という言葉に集約されるでしょう。『許されざる者』には、「これ以上必要なものも余計なものも何一つ存在しない」という簡潔さがあります。上記の酒場の場面は、BGMも無ければ移動撮影も殆ど無い、限りなく地味な作りですが、しかし非常に密度の高い場面です。恐らく、この場面にこれ以上何かを足せば過剰になるし、これ以上何かを引くと説明不足になります。
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