「パクリ批判」の虚しさ ─ 『ベイビー・ドライバー』で来日決定、エドガー・ライト監督が教えてくれるもの

2017年8月19日に『ベイビー・ドライバー』(2017)が日本公開になります。
それに伴い監督のエドガー・ライトの約6年ぶりとなる来日も決定したとの報も入りました。

デビュー作の『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)は劇場未公開、『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(2007)は単館上映と決して日本での知名度が高いとは言えない彼ですが、発表したすべての長編作品がイギリス本国および北米で高い評価を受けている現代最高クラスの映画監督です。

彼の芸風は極めて特徴的です。それは多大な過去作品の引用が誰が見てもそれとわかる形で多用されていることです。
いわば彼の作品は「パクリ」のパッチワークと表現できますが、それと同時にオリジナリティーの面でも非常に優れた映像作家です。

先ごろディスクがリリースされた『君の名は。』(2016)が一部で「パクリ」だとの批判を受けてるようです。
こういった批判は極めて非生産的かつ作り手への敬意を欠く、卑しくも批評をやっている人間が決して口にしてはいけない程度の低い見解だと思います。
今回はともすると「パクリ」と言われかねない引用まみれのエドガー・ライトの芸風から「パクリ」批判の虚しさ、「パクリ」をすることの意味合いについて書いていきたいと思います。

引用元から引用先へ シリアスからコミカルへ

エドガー・ライトの作品は今のところすべてコメディーですが、引用元となっている映画は多くがシリアスです。
でありながら、エドガー・ライトの監督作はコメディとして何の不自然さもなく成立しています。
シリアスな映画に使われていた映像言語をコメディに持ち込めば不自然な表現になるのではないかと直感的には思われるでしょう。そう感じさせないのが彼の巧さで、それは「シリアスなコメディ」と表現できる彼の稀有な個性へと帰結しています。

このスタイルはすでにデビュー作の『ショーン・オブ・ザ・デッド』で確立されています。
タイトルから容易に想像がつくと思いますが、同作はゾンビ映画です。タイトルはジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(原題: Dawn of the Dead,1979)の露骨なまでのもじりで、ロメロが確立したゾンビ映画のお約束が露骨なまでにはっきりと引用されています。
しかし、決定的に引用元と違う部分があります。それは徹頭徹尾コメディとして作られていることです。
ある日、街がゾンビだらけになり主人公たちが生き残りのために奮闘する。これはロメロが確立したゾンビ映画お約束のパターンです。
ですが、本作の主人公のショーンは生き残るのに必死のなるのではなく、自分がダメ人間すぎるせいで三下り半を叩きつけられた彼女の愛を取り返すために奮闘するのです。
ショーンは相棒にショーン以上のダメ人間であるエドを連れています、そもそもショーン自身の動機が明後日の方向を向いているうえ、エドは徹頭徹尾ダメ人間なため終始足を引っ張り続けます。
本作はそういうスラップスティック的な作りになっています。しかし、それでいて『ショーン・オブ・ザ・デッド』はゾンビ自体はコミカルに描いていません
ゾンビは人を容赦なく人を食らい、増殖する紛れもない恐怖の対象です。ですが、ショーンたちにはまるで緊張感がありません。
これにより『ショーン・オブ・ザ・デッド』は「シリアスなのにコミカル」という得難い個性を得ています。

続く『ホット・ファズ』では、大幅に予算が増したのかライトはアクション映画を引用元に選択しました。
主な引用元はトニー・スコット、マイケル・ベイ、ジョン・ウーです。
彼らは主に大作アクションを手掛けるどちらかと言うと職人タイプの監督ですが顕著な特徴を持っています。
トニー・スコットは激しいSE音、細かいカット割り、フラシュバックの多用。マイケル・ベイはまるでMVやコマーシャルを見ているような派手な画造り。ジョン・ウーはスローモーションの多用。芸風はバラバラですが、彼らのには一定の共通点があります。
それは「表現が大仰」という点です。

彼らのアクション大作はシリアスな内容で概ね占められていますが映像表現が大仰であるため、時にこれはギャグなのではないかと思わされることがあります。エドガー・ライトは彼らの大仰な表現を作中に織り込み、それをコメディとして描いてみせました。
『ホット・ファズ』でも彼は巧みな変換を見せています。ライトは舞台をおおよそ事件の匂いなどしない田舎町に設定しました。
引用元を思わせる大仰な装飾的表現を多用していますが、トニー・スコット風の大仰な表現でスタイリッシュに描かれるのは書類仕事で
ジョン・ウー風に銃を持って襲い掛かってくる相手は田舎の老人たち、マイケル・ベイ風の派手なカーアクションで追いかけるのは牧場から逃げた白鳥です。舞台設定の巧みさにより大仰な表現のコメディーとして無理なく成立させています。

誇張されたアクション表現は『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010)でも使われています。
彼は同作で格闘ゲームの表現を引用してみせました。格闘ゲームは戦うたびに派手なSE音が鳴り響き、常識では考えられないような身体能力で戦闘が繰り広げられます。映画では攻撃の度に派手なSE音が鳴り響き、さらにスクリーン上にコミックのオノマトペのような文字まで浮かび上がるという念の入りようです。
主人公が思い人の邪悪な元彼たちと戦うという土台となる設定でやはりこちらもコメディーとして無理なく成立させています。

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(2013)の引用元は『宇宙戦争』(2005)です。
ですが、主人公たちがやっていることは夜通しパブを巡って酒を飲むパブクロール。
これも舞台設定の巧みさによりコメディーとして無理なく成立させています。

こういった巧みな転換が、「シリアスな表現のコメディ」という彼独特の味わいへと帰結しているのです。

パクリ批判はみっともない?

冒頭で言及した『君の名は。』の例に限らず、しばしばネット上などの評論で「パクリだ」という批判を目にします。
以前通っていたシナリオ講座の講師が「映画100年の歴史は盗作100年の歴史だ」という格言をレクチャーで引用していました。そのような格言が存在するほど引用やモノマネは映像制作において当たり前の行為なのです。
大体、どのような映画でも似た映画を探せば絶対にいくつの類似作が見つかります。
極論すれば全てのモンタージュは『戦艦ポチョムキン』(1925)のパクリですし、『プライベート・ライアン』(1998)以降の戦争映画はことごとく『プライベート・ライアン』のパクリです。

「学ぶ」は、「まねぶ(学ぶ)」と同源で、「まねる(真似る)」とも同じ語源であり、「真似」は学習の根源でもあります。
真似からどう発展させるかが問題であり、真似自体は何も悪いことではありません。
そういう当たり前のことをエドガー・ライトの映画は教えてくれます。

『ベイビー・ドライバー』は、8月19日から全国公開です。

Eyecatch Image:vagueonthehow https://www.flickr.com/photos/vagueonthehow/9418280436

About the author

フリーエンジニア兼業のウェブライター。

本職の傍らインディーズ映画の製作にかかわり、地方映画祭でいくつか賞をいただいております。

同一ペンネームでウェブ上に同人活動(小説)も展開中。

何かあれば(何がか私もわかりませんが)下記にご連絡ください。

scriptum8412@gmail.com

 

あ、もし拙作を公開してくれる劇場主さんとかいらっしゃったら大歓迎です。

 

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