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【全私が震撼した】罪の意識を問う、実在する犯罪一家を描いた『エル・クラン』全然シャレにならなかった解説レビュー

少し前になるのだが、あるアルゼンチン映画を東京渋谷のアップリンクで見てきた。『エル・クラン』というものだ。タイトルを訳すと、まあ「ある一族」という具合のものになる。予告編を見た時から気になっていて、ブラックユーモアコメディぐらいだと思っていた。ここで一度、その予告編をご覧になってほしい。

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=JnYvKixqnIo]

少しポップな雰囲気のするクライムスリラーくらいだと感じていた。ところが、映画を見ている最中私の口は開いたまま、見終わった後は身震いというものを22年間の短い人生でようやくはじめて経験したような感覚に陥った。

あらすじ

第72回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した。1983年アルゼンチン。裕福なプッチオ家は父と母、5人の子どもたちと幸せに暮らしていた。ある日、二男が通う学校の友達が誘拐され、姿を消す。以降、金持ちだけを狙った身代金事件が多発し、近所の住民たちが不安な毎日を送っていた。そんな中、プッチオ家の主のアルキメデスは、妻の作った夕食をなぜか2階にある鍵のかけられた部屋に運ぶという不審な動きをしていた。(映画.comより)

本当にあった怖い話、『エル・クラン』

まず、大前提としてこの映画は実話を基に作られている事を知ってほしい。1982年マルビーナス戦争(フォークランド戦争)をきっかけにアルゼンチンでは軍事独裁政権が崩壊し、民主政権となりつつあった。その際に無職になった男こそ、元政府の情報管理官のアルキメデス・プッチオだ。公務員として、社会的ステータスも高かった彼はよくパーティーなどにも顔を出し、彼の家族、特に長男のアレハンドロは有望なラグビー選手として周りに期待されていた。

http://www.amateurhour.tv/
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アルゼンチンの誰もが、プッチオ家の事を裕福で素敵な一家だと思い慕っていた。しかし、その裏には職を失った父親が新しくはじめた“ビジネス”があったのだ。それは、資産家の家族を誘拐して恐喝する“身代金ビジネス”。広い家の地下には、監禁部屋が用意されてあり、この一家は1985年の8月に逮捕されるまで、幾度も誘拐殺人を密かに行っていたのだ。

http://el-clan.jp/
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当時の監禁部屋の写真が公開されているが、映画でも見事に再現されている。(ちなみに部屋にある干し草は、その匂いで被害者に自分が田舎に連れてこられた、と信じさせるための工作だとか。ひえー、ぬかりない。)

部屋も含め、この映画は事実に近いように再現されているため非常にリアルだ。

それというのも、監督パブロ・トラペロはこの「プッチオ事件」を映画化する際、事件の真相を理解し忠実に再現するために、実際に事件に関与していた人々への取材を徹底的に行っていたのだ。被害者家族、裁判官、ジャーナリスト、一家を知っていた近所周辺の住人から、一家の一員である母親エピファニア・プッチオ、そして次男マギラ・プッチオ……そしてなんと父親アルキメデス・プッチオ本人にも取材を試みていた。

http://viaggiandomeno.blogspot.jp
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2012年に映画を製作すると発表した際に、アルキメデスは監督に会って真実を話すとメディアを通して表明したのだ。しかしながら、残念なことに彼はその後急死してしまい、その取材は実現しなかった。また、母親エピフォニアと次男マギラにも取材拒否されてしまう。

だが、あらゆる関係者取材、そして家族間の手紙などに目を通していたトラペロ監督は、既にその事件を自分が実際にそこにいて一部始終を見ていたかのように熟知していた。

プッチオ家 家族構成

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このプッチオ家というのは、ビッグファミリーでやたら子供が多い。家族構成を整理すると次のようになる。

 

父親:アルキメデス:元政府の情報管理官

母親:エピファニア:会計学の教師

長男:アレハンドロ:ラグビーインターナショナルチーム所属

次男:マギラ:元羊飼い、外国にいたものの途中で帰国する

三男:ギジェルモ:学生、気弱だけど思い切った事をする

長女:シルビア:美術教師

次女:アドリアナ:学生、ある理由でヘッドフォンが手放せない

 

誘拐一家と名付けられているが、実際に犯行を行っていたのは父親、長男、次男であり、他の家族は事件に直接関与しているわけではない。

しかし、母親と長女は「家族のため」と黙認、人が運ばれていく様子を見てしまった三男は気が動転して海外に逃げ、家族との縁を絶った。次女のアドリアナは、何かが起きていると薄々気づきつつ、やはり事の実態は分からず、時折聞こえる叫び声に怯えきって常に耳にヘッドフォンをつけていた。 

映画は彼らの家に警察が押し入り、逮捕する場面から始まる。次女や長女は泣き叫び、長男は呆然としていた。

さて、今作で我々はこの家族全員の“罪の意識”について考えさせられる事となる。

不思議なカメラワークが表すものとは

父親アルキメデス、長男アレハンドロの2人の目線で描かれるこの映画の特徴のひとつとして挙げられるのが、カメラワークだ。酷く揺れたり、ぐるぐると回ったり、ズームインアウトが激しいかと思ったら、ひどくぼやけたピントで写ったり……少し酔ってしまいそうになるほど不安定なカメラワーク。これは、長男の心情を表している

チームメイトが殺されたと聞いた彼が、最後の一人となってロッカールームを去るシーンは、まるで彼の気が遠くなって行く事を表すかのように、ぼやけていく。

新しく出来たガールフレンドとのセックスシーンは、父親が犯罪をする様子と交差して描かれていて、まるで脳裏にある犯罪意識を払拭するかのように激しく画面が動く。

http://wyborcza.pl/
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しかし一方アルキメデスの目線で物事が映されているときは、カメラワークが非常に安定している。これは、アレハンドロと違い、彼が犯罪行為を行っている際に落ち着いていることを表していると言えるのではないだろうか。

追い詰められた長男の精神崩壊を目の当たりにする

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事件は、長男アレハンドロがラグビーのチームメイトの友人に家まで送ってもらっていた際に銃を持った男達に襲われた事ではじまる。チームメイトはトランクに押し込められ、自分は助手席に放り込まれたアレハンドロ。そこで、その誘拐犯が父親だった事を知る。

身代金を目的とし、金を受け取った後は無事に友人を送り届けると言う事だったので黙っていた彼は、後にその友人が射殺体で発見された事を聞いてショックを受ける。父親は彼に、「あの男の子はお前が事件に関与していると薄々気づいていた、だから仕方なく仲間が撃ったんだ」とあくまで自分が撃ったわけではないと説明。そしてその後、アレハンドロは父親の仕事を手伝う羽目になってしまう。

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そんな中、自身で開店したサーファーショップで、可愛い女の子モニカと出会い恋人になる。彼女と接する裏では父の仕事を手伝い、彼の中で善悪の戸惑い、罪悪感がふくれあがっていく

そんな彼の精神崩壊が印象的に描かれているシーンがある。深夜に一人、自身の店で商品の検品をしている際に酸素ボンベをおもむろに取り出し、激しく吸い始める。まるで、ようやく酸素を得て呼吸が出来たかのように。

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彼が三男のように逃げ出す事が出来ず、犯罪に加担する事をすぐにやめられなかったのは何故なのか。

 家庭内で独裁政治を続行、恐怖の父親アルキメデス

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軍事独裁政権を信じていたアルキメデスが、政権が転覆した事に不満を持っていた事は明らかだ。だからこそ、軍事政権が傾きはじめた頃に、身を案じて資産家の誘拐をはじめた。しかも、身代金を要求する際家族には、被害者が無事だと話している裏で、さっさと殺害している。冷酷非道極まりない男なのだ。

そんな彼は、一見家庭では温厚で家族想いの父親として描かれているが、実際は一家の大黒柱の俺に逆らうな、というような重圧をかけていたに違いない。それが見受けられるのが、ついに長男が仕事から抜けると宣言し、彼なしで犯行を試み、失敗した後のシーンだ。

http://realsound.jp/
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夜、店にいたアレハンドロを掴み、首を締め、罵倒する父親。「お前が抜けたせいで失敗したんだ!」と、ものすごい剣幕で拳を振り上げる。ここから、映画では映されていなかったが、恐らく普段から長男がこのように脅されていたのではないかと考察できる。

アルキメデスは最初のターゲットに長男の友人を選んだのは何故か。彼を巻き込み、二度と後戻りできないようにするためだ

http://remezcla.com/
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父親アルキメデスは圧力をかけ、家庭内で独裁政治のような事を行っていたのだ。そうなると、“黙認家族”も彼を怒らせるといけないとわかっていて、だから黙認せざるを得なかったのではないだろうか。

犯行時に決まって流れるクラシックロックミュージックの役割

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さて、この映画では誘拐、そして殺害といった犯行時に必ずクラシックなロックミュージックが流れる。非常に軽快な音楽は、映されている事に対するコントラストの役割を担っているのだ。これは、監督曰く「フォークランド時代からイギリスの音楽は禁止されていた。しかし、中流階級家庭ではスペイン語の音楽を聞く事はなく、英語の曲を聞く事が流行っていた」とのこと。そして、当時流行っていたイギリスロックで、時代を表現するために選んだ曲もあるそうだ。

私は、この音楽がまるで父アルキメデスの洗脳のように感じてしまった。いけない事をしている時に流れる、楽しい音楽。まるで、「ダメな事をしているわけでないんだよ、家族のためにしている只の仕事なんだよ」と、我々の犯罪に対する意識を、息子にしたように狂わせてくる。画面越しにも我々に及ぶ父親の洗脳が、非常に恐ろしいのだ。

しかし最近、この『エル・クラン』のように、犯罪シーンに対して逆に軽快な音楽を流す映画が増えて行きていると感じている。例えば『キック・アス』、そして『キングスマン』でもそうだ。

本来であれば非常に恐ろしくてグロい殺戮シーンに、ポップな音楽を流している。従来、ホラーやスリラーなどの映画音楽は、その時観客にその映画を“恐ろしい、怖い”と感じさせるために怖い音楽を流してきた。しかし、最近のものは楽しい音楽をかけることで、観客に一種の困惑を生み、逆に怖いと感じさせてはいないだろうか

誘拐一家逮捕、一体誰が有罪なのか?

http://www.bbc.com/
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この映画の最恐な点は、犯罪に手をかけた人間が、本質的な意味で罪の意識を持っていないことにある。(アレハンドロは葛藤していたものの)しかし、結論から言うと、当たり前だけど皆有罪だ。

主犯のアルキメデスは逮捕された後も自分の無実を訴え続けていた。留置場では、「看守が無理矢理罪を認めさせようとした」と訴えられるように、息子に自分を殴らせるよう仕向けたり……。

証拠不十分だった家族も、黙認という形で加担していたので、完全に無罪とは言い切れないだろう。普通、身内でさえ犯罪をおこしたのなら、それを認めさせ世間に対して申し訳ない気持ちを持つはずじゃないか。しかし、母親を筆頭に無実を言いはる。皆共通して罪の意識を持っていないからだ。

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そう、なかでも特に怖いのが母親だ。

被害者に食事を作っていた母は、明らかに夫の犯罪に加担していた。しかも、長男が遂に父親の犯罪に耐えられないと思った時もそれを見逃さず、ビジネスが傾かないように、外国にいた次男を代わりとして呼び戻したのだ。それなのに、誰よりもまるで本当に何もしていないかのように、強気で無実を訴える。完全なる、夫に忠実な妻。

“罪の意識”を問うラスト

さて、誘拐を黙認する家族の中で、三男同様、罪の意識を持ち、葛藤していた事で唯一共感できた我々のホープ、長男アレハンドロ。しかし、犯罪に加担していく中で、父親から「よくやった」と身代金から自分の取り分を出された時、彼は「ありがとう」と目を見開き感嘆とした表情で受け取る。この時、我々の希望は失われたと思った。

しかし、彼の深層心理にはまだ罪悪感が残っていた。逮捕された時、彼は罪を認めようと腹をくくっていたのだ。しかし、一方で恋人の存在、そして家族や何も知らない仲間が「無罪を訴え続けろ」と応援していたせいで、わけがわからなくなってしまい、また罪の意識が揺れ動いていく。

我々は、彼が父親によって追い詰められていく様を見ていたから、いち被害者に思えて少し同情してしまうだろう。だが、彼が犯罪に加担した事実は拭えないので彼も有罪であるのは確かだ。

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アレハンドロは、恋人との未来を守りたい気持ちもあったが、父に「自分を殴れ」と命令された時、やっと解放されたと思った父による独裁が留置場にも及んでいた事にショックを受け、ついにキレる。そして父の思惑通り、キレて結果的に彼をボコボコにしてしまう。

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次の日、裁判を行うため法廷に向かっていたアレハンドロ。途中、アルキメデスの犯行仲間が必死にお互いの罪をなすりつけている所に出くわす。そのまま歩いていくと、昨夜ボコボコに殴ったアルキメデスと廊下の途中で合流する。その時、アレハンドロは振り返って父の顔を見るとフッと不敵に笑った。そして例の軽快なロックが流れる中、看守を振りほどき廊下を走ったアレハンドロは、吹き抜けまで出たと思ったら2Fから1Fに向かって、投身自殺をする。

それをボーッと見て、また歩き出すアルキメデスを捉えて映画は幕を閉じる。

自身の息子が身を投げ、周囲の人間が発狂しているのに対し、父親は涙を流すどころか表情ひとつ変えることなく歩きだすのだ。えっ、もうなんなの?いやいや怖いんだけど、理解できないんだけどって困惑するのも当たり前だ。軍事独裁政権の思想に取り憑かれたサイコパスなのだから。

留置場で息子に自分を殴らせようとした行為は、明確的な偽造工作であり、彼自身が犯罪行為は行った自覚があることを表している。しかし一方で、本当の意味でそれに対して罪の意識を持っていないことも表している。つまり、この男最初から最後まで「僕なんも悪いことしてないもんね」って具合なのだ。末恐ろしい。

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何より恐ろしいのがその後だ。

エンドロール前のテロップでは、投身自殺を計った長男は奇跡的に一命をとりとめ、刑務所入り。その後精神を病み、何回も自殺を計ったのち若くして亡くなってしまう。一方、父親アルキメデス・プッチオは、終身刑を受けながらも、23年ほどの刑期を受けた後に出所。しかも弁護士資格を取得し、最後まで自分の無実を主張したそうな。

まさに、本当にあった怖い話。いやー、配給宣伝を専門で学んだ身として、この作品のチラシや予告編が本当によく作られているなと思う。なんだよ、「1983年、プッチオ家が起こした〈ユ〜カイな事件〉の真相」って!ダジャレに見事だまされたけど、全然シャレにならないぞこの映画!

自分の常識やモラルが一切通じない、終始困惑してしまうショッキングな映画体験、あなたも挑んでみてはいかがだろう。

Writer

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ANAIS

ライター/編集者/Ellegirlオフィシャルキュレーター、たまにモデル。ヌーヴェルヴァーグと恐竜をこよなく愛するナード系ハーフです。

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