【考察】2017年のガストン論 ─ 『美女と野獣』の悪役はなぜディズニー映画史に残ったのか?

街の人気者は強くてデカいだけの男?
ガキの頃には毎日 食べたタマゴ4ダース
でも今じゃ60個食べて 筋肉はモリモリ
すごいぞガストン 射撃もガストン
ブーツをはけば無敵さガストン
見てくれよこの鹿の角
強いぞガストン
(「強いぞ、ガストン」)
いつ聴き返してもディズニーアニメ『美女と野獣』(1991)の挿入歌、「強いぞ、ガストン」の歌詞には圧倒されてしまう。子分のル・フウをはじめとする街の人々が、ガストンを賛美し、気を良くした彼自身も自画自賛しだす内容だ。そして、ここで歌われる彼の長所は、見事なまでに肉体的な部分しか言及されない。「性格が優しい」とも「頭がいい」とも言われず、ただただ「強くてデカい」と持ち上げられるだけなのである。人によっては立派な悪口だが、ヒロインのベルにフラれて落ち込んでいたガストンは見る見るうちに覇気を取り戻していく。
2017年、本国アメリカおよび日本でも年間興行収入トップとなった(本稿執筆時点)実写版『美女と野獣』(2017)でも、「強いぞ、ガストン」は完璧に再現されていた。筋骨隆々としたガストン役のルーク・エヴァンスは見事な歌声で、アニメから飛び出してきたかのような存在感を放ってくれた。
それにしても、ディズニーアニメおよび実写版『美女と野獣』の悪役はなぜガストンのような男だったのだろう。ガストンはディズニーアニメの悪役としてはかなり異常なキャラクター設定がなされているにもかかわらず。
ディズニー史上もっとも偉大な悪役ランキングでの健闘
ディズニー史上最凶の悪役は、映画ファンの間でもたびたび議論になるテーマである。以下、海外サイトRankerでファンが選んだ「ディズニー史上もっとも偉大な悪役ランキング」の上位10名だ。
1位 スカー(『ライオン・キング』)
2位 マレフィセント(『眠れる森の美女』)
3位 アースラ(『リトル・マーメイド』)
4位 ジャファー(『アラジン』)
5位 ハデス(『ヘラクレス』)
6位 クルエラ・デ・ビル(『101匹わんちゃん』)
7位 フック船長(『ピーター・パン』)
8位 シア・カーン(『ジャングル・ブック』)
9位 女王(『白雪姫』)
10位 ガストン(『美女と野獣』)
実に10名中7名が魔法使いだとか邪神だとか獣である。そして、大きな組織を率いているクルエラやフック船長も並の人間とは呼べないだろう。一方、ガストンには特別な魔力も財力もない。確かに狩りやケンカに優れてはいるが、あくまでも普通の人間の範疇である。それで10位は大健闘と呼んでいい。『美女と野獣』を見た観客がガストンの人間性にすさまじくインパクトを受けた証である。つまり、ガストンは特殊能力も権力もないのに、ディズニーアニメの悪役という重要なポジションをまっとうした男なのだ。
そもそも、物語にとって「素晴らしい悪役の条件」とは何なのだろうか。たとえば、『ダークナイト・ライジング』(2012)のベインは間違いなく『ダークナイト』(2008)のジョーカーよりも戦闘能力が高い。しかし、人気投票を行えば圧倒的にジョーカーが勝つだろう。悪役に必要なのは腕力ではない。狡猾さや非情さは物語を盛り上げるためには重要だが、必須ともいえない。純粋に「悪」の意味を考えてみると答えは見えてくる。悪とは善に対抗する概念である。「作品内で設定された善」に対し、どれだけ真逆の存在でいられるかが「素晴らしい悪役の条件」なのだ。
煩悩に駆られた悲哀なき行動原理
さて、ここでからはようやくガストンという男を掘り下げていこう。基本的にはアニメ版の人物造形を追いながら、実写版での改変に言及したい。
そもそもガストンは原作の童話には登場してこない、ディズニーのオリジナルキャラクターである。彼は(おそらくフランスの)田舎街に住む狩人だ。狩りの腕前と筋肉が自慢で、街中の若い娘から好かれている。ヒロインのベルに惚れており、しつこく求婚しているが全く相手にされていない。読書好きのベルは粗暴で強引なガストンが苦手だ。それでも自惚れ屋のガストンはどんな手を使ってでもベルをものにしようと企んでいる。
ガストンはベルの読書という生き甲斐を理解できない。むしろ、教養が邪魔をして自分の男らしさを認められないのだろうと疎ましく感じている。ベルが読んでいた本を投げ捨てたガストンに彼女は冷たく言い放つ。
Gaston, you are positively primeval.(ガストン、あなたってまるで原始人。)
しかし、ガストンは悪口を言われたとさえ思っていない。
Why, thank you, Belle.(ふふ、ほめてくれたのか。)
こうしたガストンの考え方は一概に「非道」とは断言できない。というのも、『美女と野獣』の時代設定だと考えられる18世紀のヨーロッパでは、女性に教養は必要ないという価値観が自然だったからである。だからこそ、本ばかり読んでいるベルに対し、街の住民たちはこう歌うのだ。