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『ダンケルク』公開中の今こそ考えたい ― 『ゼロ・グラビティ』は本当に「体感型ムービー」だったのか?

WikiDiego91 ( https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gravity_(movie_logo).jpg )

ですが『ゼロ・グラビティ』におけるライアン博士のサバイバルは日常生活の暗喩で、劇中には“冒頭で示した自分らしさを、クライマックスで主人公自身が覆す”という懺悔シーンが描かれています。この懺悔シーンを経ることで本来あるべき自分自身へと至り、地球帰還後は人間としての、よりシンプルな生の肯定によって幕を閉じます。非日常を体験することで、より良く日常に帰っていくという話なのです。

非日常を乗り越える『127時間』『ロスト・バケーション』

グランド・キャニオンの峡谷に閉ざされた男を描いた『127時間』(2011)、サメ映画でありながらも主人公が家族と向き合う様子を描いた『ロスト・バケーション』(2016)なども、一見ジャンル映画のようでいて、その実は『ゼロ・グラビティ』同様にシンプルな生のありようを肯定している作品と言えます。
これらの作品に共通するのは、映画が始まった時点での主人公が、決して好人物ではないという点です。

『127時間』の主人公アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)はある日、行き先を誰にも知らせることなく、連絡手段も持たずにグランド・キャニオンの峡谷へ出向きます。そこで巨大な岩に腕を挟まれた彼は、自らの独善性にその原因を見出し、自分の人生を回想していくのです。
また『ロスト・バケーション』では、サーフィン中にサメに襲われた主人公ナンシー(ブレイク・ライヴリー)が、母の死と向き合い、避けていた家族を受け入れる心境の変化が描かれています。その中で、自分が何をしたことで今に至っているのか、そして何が自分の人生を駆り立てていたのかを再確認していくのです。

アーロンは今まで出会った人々との日々を思い出し、ナンシーは医学生としての自分を見つめ直します。太陽と渡り鳥に感謝を捧げるアーロンや、寄り添ってくれたカモメの怪我を治してあげるナンシーの姿は、ずっと周囲にありながらも気付くことのなかった人やモノ、そして自分を知っていくことの素朴な大切さを教えてくれます。

非日常的なサバイバルの中で主人公はそれまでの人生を回想し、新たに人生を定義し、精神的な重荷を降ろして生還する。『ゼロ・グラビティ』のライアン博士と同様に帰還したアーロンとナンシーは、よりシンプルに自分を肯定し、家族や仲間と向き合う新たな一歩を踏み出していきます。

『ゼロ・グラビティ』では、ライアン博士の無線を傍受したイヌイットの男性・アニンガとの交流や、故郷のレイクズーリックへの想い、そして今は亡き娘への独白によって、主人公の大きな変化が描かれます。アニンガの飼っている犬と共に吠えるライアン博士の流した涙に象徴されるように、一人の人間の、再生の物語なのです。

つまり『ゼロ・グラビティ』とは、日常生活や社会制度を、視覚的暗喩である宇宙空間を通して“体感する”映画なのです。その意味で体感型ムービーであることに変わりありませんが、主人公の気持ちはあくまで観客に近しいものです。映画館で観られなかったことを後悔している人も多いと思いますが、実はとても身近で普遍的なテーマを描いた作品であるというのが、本来のかたちなのかもしれません。

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