『ハクソー・リッジ』が描いた生き様とは何だったか【あらすじ・解説】

なぜ、彼は人が命を奪い合う大地で、人の命を救い続けたのだろうか?
戦争は、人の心を狂わし、理性を崩壊させ、自身が生き残るという目的のために殺人を正当化させる異常な魔力がある。近年、日本でもこのような戦争の恐ろしさを如実に描いた映画に、塚本晋也の手によって製作された『野火』(2014)がある。カニバリズムを扱ったこの映画は、太平洋戦争の時代、パプアニューギニアの戦地で飢えに苦しむ兵士たちの地獄を生々しく描写し話題となった。敵味方の区別ができず乱戦の中で惨たらしく死んでいく兵士たちの姿や、極度の飢えのために人肉食に走ろうとする兵士たちの狂気の描かれ方には、一生忘れられない強烈さがあった。
『ハクソー・リッジ』(Blu-ray&DVD 2017年11月3日発売)もまた、『野火』に匹敵する戦争の恐ろしさを描いている。完璧主義者で知られるメル・ギブソンが監督していることもあり、戦争場面は近年の戦争映画に比べ、より過激でダイナミックな効果を生んでいる。しかし、それは魅せる映像のクオリティ向上を目指したというより、あくまで戦争が生み出してしまった人と人の命の奪い合いという異常な光景を限りなく現実に近い映像まで高めたという方が正しい。
メル・ギブソンは、冒頭で述べた殺人を正当化させる戦争の異常な魔力に真っ向から抵抗した1人の兵士の生き様を描くことで、“戦争”の何を描こうとしたのだろうか?
『ハクソー・リッジ』あらすじ
デズモンド・ドスは、緑豊かなヴァージニア州の田舎町で育ったごく平凡な青年だ。デズモンドは、事故にあった負傷者を病院に送り届ける手伝いをした後、その病院で看護師のドロシー・シュッテと出会い、恋に落ちる。ドロシーと結婚を約束する仲にまでなった彼だったが、時代は太平洋戦争の最中である。当時は愛国心から出征することが当たり前の風潮があり、彼もまた自身の兄弟や友人たちと同じように軍に志願する。
人を殺せないデズモンドは、衛生兵として人を救って国に尽くそうと考えていた。武器を扱う以外の訓練は持ち前の体力と忍耐力で乗り切った。しかし、ドロシーとの結婚式の日に休暇をとるはずだったが、ライフルの訓練を終えてない者には休暇は出せないと上官に言われ、反発したデズモンドは命令拒否として軍法会議にかけられる。基地でドロシーと面会したデズモンドは、自ら決意した“人を殺さない”という信念は絶対に曲げないという想いを涙ながらに告げる。その強い想いを受け容れたドロシーは、彼を一心に励ました。
軍法会議の当日、決然と自らの信念を貫こうとするデズモンドの元に、デズモンドと深く縁のある人物が突如協力に現れたことで、その主張は奇跡的に認められることになる。そして、訓練を無事に終えた彼は、ついに激戦地である日本の沖縄・前田高地(ハクソー・リッジ)に人を救う衛生兵として参戦することになるが――。
見どころ解説
本作の物語は二部構成になっている。前半はデズモンドの幼少期から軍の厳しい訓練時代までを丹念に描き、後半は前田高地での激戦を苛烈に情け容赦なく描いている。
前半の存在意義は、主にデズモンドの人間性や内面に視点を向け、デズモンドの”人を殺さない”という強い信念の有り様を画面に表出させることで、デズモンドという1人の人間存在に説得力を出すためだったと思われる。
対して後半は、ひたすらに激しい戦闘場面の連続である。敵味方入り乱れての混戦状態の中で四方八方を銃弾が飛び交い、手榴弾が炸裂し、上空からは砲撃の雨が降る。兵士たちは、凄まじい勢いで負傷し、四肢を失い、命を奪われる。自身が生き残るために死亡した兵士を盾に戦場を突き進む者もいる。あるいは仲間を守るために手榴弾を全身で覆い、爆死する者も。まるで藤田嗣治の戦争画『アッツ島玉砕』を彷彿させる、誰が敵で誰が味方なのかも判別できない地獄絵図である。この映画が後半で描こうとしたのは、まさに人が人でいられなくなる、自身が生き残るために殺人を正当化させる異常な環境、即ち地獄の戦場そのものである。