『ハクソー・リッジ』が描いた生き様とは何だったか【あらすじ・解説】

しかし、デズモンドのこの無謀ともいえる奇跡の救出行為を感動的にしてしまっている要因の一つに、あの地獄の戦場の描写が関係していることを忘れてはいけない。映画の前半でデズモンドの人間性や内面を丹念に描くことで、後半で描かれた激戦地で、奇跡の救出劇に至ったデズモンドの行動目的に強い説得力を持たせたことは事実だといえる。彼の行いは結果として英雄的であったことは間違いではない。ただし、そこに感動までも覚えてしまったのは、彼が参戦した戦場が想像を絶するほど地獄だったことが強く関係していたといえる。
彼が、1人また1人と仲間を救出するたびに感動を覚えてしまうのは、戦地となった前田高地での地獄絵図に、深い絶望感や虚無感を我々はすでに受け取ってしまったからだ。人間らしさを奪うのが戦争だとすれば、デズモンドの活躍は人間らしさを取り戻す行為だったといえる。デズモンドは“人を殺さない”という信念をもって、衛生兵として人を救おうと行動し続ける。これは彼にとっての“生き甲斐”だったとも読み取れる。
デズモンドが仲間を救出すると沸き起こってくる我々の感動は、人間らしさを取り戻していく瞬間をその都度味わっているからだと理解すれば、それだけ戦争が生み出した地獄絵図に人間らしさを奪われていたことを同時に痛感しているということになる。デズモンドが奇跡を起こすたびに、我々は戦争の恐ろしさを知らぬ間に疑似体感していったのだ。単純な感動として割り切れない複雑さが彼の行為にはあったといえる。
メル・ギブソン監督のねらい
メルが初めてオスカーを獲得した『ブレイブハート』(1995)のウィリアム・ウォレスや、イエス・キリストの処刑を描いた『パッション』(2004)のイエスなどは、まさに異端者の物語を生きた人たちだといえる。
どちらも当時の社会や環境の仕組み・ルールに従わなかったために処刑されてしまうのだが、その強い信念を持ったそれぞれの生き様は多くの人々に影響を与えたことは共通した事実である。特にメルが自ら演じた『ブレイブハート』のウィリアム・ウォレスは、その鬼気迫る演技もあって忘れがたい存在感があった。スコットランド独立に全てを捧げた英雄であるが、最後は捕縛され、中世のヨーロッパによく見られる残酷な拷問を受ける。しかし彼は拷問に屈せず、自由を求める叫びを上げ絶命する。魂を震わす名場面である。
『ハクソー・リッジ』のデズモンド・ドスには、メルが過去に手がけてきた異端者の物語を生きた人たちに共通した生き様があった。唯一の違いは、デズモンドが現代に生きていたことだ。当時の雰囲気や空気を忠実に再現しているため臨場感は確かにあるのだが、ウィリアム・ウォレスもイエスも遠く離れた時代の人たちには違いなかった。だからこそ、ある種の崇高なイメージや英雄的側面が観る者にとっても強く意識されてしまう傾向があったと思う。反対に、デズモンドは、演じるアンドリュー・ガーフィールドの親しみやすい人物像も手伝い、より感情移入しやすい存在となっている。そのため、デズモンドが本当はどんな人物だったのかを多角的に考える余地を与えている。