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【解説レビュー】素晴らしい映画化!『聲の形』原作との違いをチェック

大今良時による漫画『聲の形』のアニメ映画化作品がヒットしている。ろう者・いじめ・贖罪といった重いテーマを正面から扱った原作は大いに話題になった問題作で、その過酷ないじめ描写や、いじめの加害者と被害者の間に芽生える恋愛感情などについて批判する声も多い。今回の映画化では【いじめ加害者と被害者の関係】を中心に、主人公が罪の意識にもがき苦しみ成長する姿を丁寧に描き出している。

全7巻に及ぶ原作を1本の映画にまとめあげるためには、原作にある要素を取捨選択する必要がある。”説明描写”を回避して詩的な表現を多用するあまり、原作未読の人にとっては少し分かりにくいのでは?と感じた部分も少しあったものの、全体的に映画『聲の形』はスッキリとまとまっていた。なによりも主人公・将也の苦しみや葛藤がしっかりと語られ、原作に対する誠実さが感じられた。

しかし、私が原作を読んだときに最も強く感じた恐怖が削られてしまっていた。それは、将也以外の登場人物の心境や、ろう者である西宮に対するそれぞれの視点の違いからくる恐怖だったのだが、せっかくなので、ここに記しておきたい。

【注意】

この記事には、映画『聲の形』のネタバレ内容を含みます。

あらすじ

石田将也が通う小学校に、ある日聴覚障がいを持つ西宮硝子が転校してきた。筆談での交流を試みる西宮に対し、はじめはクラスメートたちも協力的に対応するものの、徐々にペースが乱されていくことに苛立ちを感じ始める。そして、その苛立ちはイジメへと発展する。イジメの首謀者たちは将也を中心とするグループだった。イジメの内容はエスカレートし、西宮の補聴器を繰り返し投げたり破壊するなど深刻化する。ついに問題は明るみになり、将也はイジメの責任を押し付けられてしまう。そして今度は、将也がイジメのターゲットになるのだった。

高校入学を控えた将也は、補聴器の弁償代170万円を実母に返し、西宮に謝罪して命を絶とうとするのだが、西宮と再会したことで気持ちに変化が生じて……。

各キャラクターの【西宮に対する視点】から浮かび上がるもの

西宮と再会したことで、自殺する以外の贖罪の方法を模索する将也の葛藤が描かれている本作。いじめた側の罪を容赦なく何度も何度も問い続けてくる作品だ。決して消せない過去とどう向き合い、いま目の前にいる西宮とどう向き合い、直視してこなかった周囲とどう関わるのか。イジメ加害者である将也の葛藤については、映画聲の形』の中に完璧に落とし込まれている。

しかし、私が漫画聲の形』を読んで衝撃を受けたのは、将也の葛藤と成長以上に、将也を取り囲むキャラクターたちの描き方だった。映画『聲の形』では省かれていた部分も含め、解説していきたい。

ゴッソリカットされた 【映画製作】部分

まず、映画聲の形』でゴッソリカットされていた要素として【映画製作】がある。原作では、将也の”親友”となる永束の発案でスタートする自主映画製作が後半のストーリー上のポイントとなっていて、映画中で描かれていた喧嘩なども、本来はこの映画製作の過程で生じたものだ。主人公である将也以外の登場人物の方が、主体的に映画製作に関わっていたという設定なので、原作ではそれぞれのキャラクターの意思や感情がよりクローズアップされているし、将也が昏睡状態となっている時期には、それぞれの過去について詳しく語られている。

永束友宏:西宮への視点【将也にとって大切な人】

「俺は親友」と言って首謀者少年に寄り添う見栄っ張りな永束は、常にフラットな視点を持つ人物だ。映画『聲の形』ではコミックリリーフ的なキャラクターとして存在感を発揮していた。彼に一貫しているのは、西宮のことを【将也の片想いの相手】と見ているという点だ。映画製作のために皆で話し合いをするシーンで、将也は「西宮も仲間に入れよう」と提案する。その意見は受け入れられるのだが、将也は皆が「可哀想だから」西宮を仲間に入れてあげたと思っている。しかし、永束は将也にこう言う。「将也の大切な人だから仲間に入れたいと思った」と。永束にとって、西宮は【ろう者】である前に【将也の想い人】であり、西宮が【ろう者】であるというフィルターを外せないのは、誰よりも西宮を救いたがっている将也なのだと気づかされるセリフだ。

真柴智:西宮への視点【自分と同じ元イジメ被害者】

映画では小学校の事件とは唯一無関係の友人として登場する真柴は、実は元イジメ被害者であり、加害者たちへの強い憎しみを持っている。彼は【イジメ被害者】という立場から物事を判断しているが、将也たち【いじめる側】の人物と触れ合うことで、その立場の曖昧さを知り、人間は変わることができるという可能性に希望を見出すことになる。彼は西宮を【自分と同じ元イジメ被害者】として認識しているが、彼女の障がいについては、はじめから問題にしていない。将也にとって真柴は、イジメ加害者としての罪をつきつけてくる存在であると同時に、常に自分の信念に基づいて行動できる尊敬すべき存在でもある。

植野直花:西宮への視点【恋敵・嫌悪する相手】

小学生のときから将也を想い、それゆえに西宮イジメに加担していた植野。彼女は密かに、かつて自分が西宮と将也に対して行った残酷な仕打ちについて葛藤し続けており、幾度となく西宮に対して気持ちをぶつける。植野の言動は攻撃性に満ちているが、彼女は【ろう者】ではなく【1人の人間】【恋敵】として西宮に対峙しており、それに対して西宮は喜びすら感じ、初めて自らの本心を(手紙という形で)明かすことになる。映画『聲の形』での植野は攻撃的な印象ばかりが強い上に、西宮からの手紙などの要素がカットされていたため、原作とはかなり印象の異なるキャラクターになっていた。本当は誰よりも西宮に対して正面からぶつかっていった人物であり、破壊とともに救済を担うキャラクターだという印象を持つ。

佐原みよこ:西宮への視点【取り戻したい大切な友人】

クラスで浮き始めていた西宮に寄り添ったことで嫌がらせを受け、不登校になってしまった佐原。将也に対するイジメのことは知らないまま、植野と同じ高校に進学した。力になってあげられなかった西宮のことはずっと気になっており、コツコツと手話の勉強は続けていて、将也のおかげで再会できた際は心から喜んだ。逃げてばかりだったかつての自分からの脱却を強く願っていて、苦手だった植野に向き合い友情を築くなど、マイペースに成長を続ける人物として描かれている。佐原のとっての西宮は、かつて求めて得られなかった【友人】の象徴だ。直情的に行動する植野と、深く考えるあまりになかなか行動できない佐原は対照的で、植野の暴走を緩和する役割も果たしているように思う。映画『聲の形』では佐原の描写が限られていたことで、植野の本質が分かりにくくなってしまっていた感は否めない。

川井みき:西宮への視点【可哀想な女の子】

そして、川井。将也と同じ高校に通う川井は、小学生のときと変わらず優等生だ。西宮イジメのときは、率先してイジメを行う将也や植野の隣で、何も言わずに笑っていた。ずっと心の中で葛藤し続けてきた将也や植野とは対照的に、川井は西宮イジメについての記憶を完全に脳内で作り変えてしまっていて、自分は全く関係がなかった(むしろ被害者だった)と思い込んでいる。それどころか、自分はろう者である西宮に対して親切に接していたと信じている。映画『聲の形』での川井は将也に少し責められるだけで、偽善者の微笑みを浮かべたままだが、原作での川井には試練が訪れる。将也の転落事故がきっかけで、川井の偽善的で表面的な部分がクラスメートに気持ち悪がられている、ということを知る。さらに映画製作の過程で第三者に「心底気持ち悪い」と評されるに至る。結果、川井は優等生ぶることをやめ、自らの感情(真柴への想い)を愚直に表すようになる。

なによりも怖ろしいのは、それでも川井がイジメの当事者であったという自覚を持つことはなかったということだ(少なくとも、自らの責任を認める描写はない)。川井にとって、西宮はどこまでいっても【可哀想な女の子】であり、そこから脱することはできない。そして、西宮と親しくする自分は【最高に良い人】だ。「可哀想な女の子に親切にして”あげる”私は、最高に性格が良くて素敵な女の子だから、大好きな真柴くんに好きになってもらえるはず」。真柴もとうに見抜いている川井の心理は、恐ろしい。なぜならば、この川井の心理こそが、大多数の人間が最も陥りがちな心理だからだ。

私も川井と同じなのではないか?という恐怖

障がい者の話題になると、たまに感じる違和感として、「もちろん誰でも差別意識はあるけれど、体裁が悪いから理解があるふりをしているんでしょう?」という前提で話す人が少なからずいる。本人は善意だとすら感じているその差別意識は、何を言われても覆ることはない。『本当はみんな可哀想だと思っている』と思い込んでいるからだ。そんな人と出会ったとき、私は言いようのない恐怖に襲われる。そんなことを臆面もなく口に出してしまう相手を軽蔑しつつ、自分の中にも同じような心理が潜んでいないかを探してしまう。自分が川井になってはいないかを。

映画『聲の形』を観て、川井に嫌悪感を持った人は少なくないはずだ。原作の川井はもっと酷い。誰もが忌み嫌うであろう醜悪なキャラクターだ。しかし、その醜悪さは、【理解があるつもり】になっている人間すべてが持ち合わせている醜悪さだということを、決して忘れてはいけないだろう。映画『聲の形』をご覧になった方は、是非とも原作も読んでみてほしい。強い反発を覚える人もいるかもしれない。それでもやはり、読むべき作品であることは間違いないと私は思う。

Writer

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umisodachi

ホラー以外はなんでも観る分析好きです。元イベントプロデューサー(ミュージカル・美術展など)。