ミュージカル映画としての『ラ・ラ・ランド』評 ─ いかにして「ミュージカル的なわざとらしさ」を払拭したか

2月24日、遂に『ラ・ラ・ランド』を観ることができた。ここまで公開を心待ちにした作品はいつぶりだっただろう。そして、『ラ・ラ・ランド』はその膨らみ切った期待を全く裏切らない傑作だった。
冒頭のナンバーから涙が溢れ、夢のような世界観に酔いしれた。そしてラストの8分間、心が締め付けられて再び涙が止まらなくなった。『ラ・ラ・ランド』の素晴らしさについては語っても語りきれないほどなのだが、今回は『ラ・ラ・ランド』をミュージカル映画という観点から解析していきたい。
この記事は、寄稿者の主観に基づくレビューです。必ずしも当メディアの見解・意見を代弁するものではありません。
この記事には、『ラ・ラ・ランド』のネタバレが含まれています。
次々と現れるミュージカル映画へのオマージュ
最初に断っておきたいのだが、『ラ・ラ・ランド』はミュージカル好きでなくとも十分に楽しめる作品だし、ミュージカルに詳しくなければ解釈できないような要素もない(と思う)。しかし、ミュージカル好きであれば嬉しくなってしまうような、名作ミュージカル映画へのオマージュシーンがこれでもかと詰め込まれていることも確か。最も影響が色濃いのは『雨に唄えば』だが、『ウェスト・サイド・ストーリー』『スイート・チャリティ』など、ありとあらゆるミュージカルを連想させるシーンのオンパレードだし、ミアが書いた独り芝居の主人公の名前がジュヌヴィエーヴだったりする(『シェルブールの雨傘』)。そして、スマホやプリウスなどのアイテムで現代という設定を示しておきつつ、レトロでロマンチックな雰囲気を全面に押し出して”夢の世界”を演出している。
ミュージカル・アレルギーへの挑戦
世の中には、ミュージカルを苦手とする人々がいる。その理由のうち、最も大きいのは「いきなり歌いだすのが不自然」ということだろう。そういう意味で、『ラ・ラ・ランド』はミュージカルが苦手な人にもおすすめできる作品になっている。なぜならば、『ラ・ラ・ランド』は”ミュージカルのお約束”を敢えて外している節があるからだ。
歌い上げない歌唱により「いきなり」感をなくす
『ラ・ラ・ランド』の主人公であるミアとセブにはデュエット曲が2つあるのだが、彼らはこの2曲を歌い上げない。そして、極力腹から声を出しさないようにしているように聞こえる。腹式呼吸を避けることで声量が制限され、音程もやや不安定になっている。ミュージカルで腹式呼吸を使わないで歌うことは、普通に考えてあり得ない行為だ。たとえ囁くほど小さく歌い出す曲だとしても、腹式呼吸で歌うのがルール。そうでないと劇場では通用しないからだ。
『ラスト5イヤーズ』というミュージカル映画がある。2014年公開の作品で、舞台はNY。作家志望と女優志望の男女が出会ってから別れるまでの5年間を描いている。男女それぞれの時間軸を逆に進めていくという少し変わった構成になっているのだが、設定は『ラ・ラ・ランド』と少し似ている(ただし、雰囲気は大分異なる)。『ラスト5イヤーズ』のミュージカルナンバーには大袈裟なものはなく、心情を淡々と歌うものが多い。囁くように歌う曲もあるのだが、例えば「The Next Ten Minutes」というナンバーを聴いてもらえれば、発声が『ラ・ラ・ランド』とは全く異なることが分かるだろう。どんなに小さい声で歌っていたとしても、腹から出した声を頭蓋骨に響かせている。
これは単に、エマ・ストーンとライアン・ゴズリングの歌唱力の低さの問題ではない(実際、『ラスト5イヤーズ』の2人よりも歌唱力が劣るのは事実だとしても)。少なくともエマ・ストーンはブロードウェイで『キャバレー』のサリー・ボウルズを演じた経験もあるし、後述するが腹式呼吸で歌い上げているシーンも終盤に登場する。2人っきりのシーンに限って、明らかにミュージカルっぽくない歌い方をさせているように私には感じるのだ。
では、なぜか。私は、それこそがミュージカルの「いきなり歌いだすのが不自然」という部分への監督なりの答えなのだと考えている。腹式呼吸によるプロの歌い方は、普通の人間には難しい。しかし、胸式呼吸で歌うのは誰にだってできる。私にも、あなたにも。ミアとセブの歌声は、私たちの世界と繋がっている。嬉しくてつい鼻歌を口ずさんでしまうとき、上手下手の違いはあれども誰もがミアとセブのような歌い方になる。だから、2人の歌には「いきなり」感がない。