『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督の映画と音楽への想い─『セッション』とどう描き分けたのか?

第74回ゴールデングローブ賞では7部門受賞、第89回アカデミー賞では6部門を受賞。大ヒットしている今1番話題を集めている映画『ラ・ラ・ランド』。その監督、脚本を手がけたのがデイミアン・チャゼルだ。
チャゼル監督は『ラ・ラ・ランド』を、どのような思いをこめて撮ったのであろうか。『セッション』と『ラ・ラ・ランド』の違いとは一体何であろうか。今回は”芸術家”チャゼル監督の映画、音楽に対する思いについて考えていってみよう。
【注意】
この記事には、『ラ・ラ・ランド』に関するネタバレ内容が含まれています。
自分と重ね合わせた、主人公たち
幼い頃のおばのパリの話、華やかな世界への憧れ。『ラ・ラ・ランド』の冒頭、ミアが働くカフェに女優が訪れる。店員からのサービスを断り、きちんとお金を払い颯爽と去っていく女優。そし物語終盤、同じカフェのシーンがあるがその時の女優はミアだ。まるでミアが最初に現れた女優のコピーのように描かれていることに対し、セブは自分自身の店を出店した。
チャゼル監督は”ミア=映画”よりも”セブ=音楽”の方が、思入れ強く描いているように感じられる。
チャゼル監督は音楽が、ジャズが好きで好きでたまらないのであろう。時に自分を苦しめ、痛めつけ、しかしいつまでも心にある特別な存在なにであろう。
『セッション』 と『ラ・ラ・ランド』の違い
『セッション』から感じ取れるもの。ほとばしりでる汗。痛々しく流れる血。情熱。苦しみ。狂気に満ちた2人に、充分に共感できるかというと難しい。『セッション』では芸術は、狂気から生み出されるものとして描かれている。
ミアとセブは結ばれなかったが、セブが夢を叶えられたのは、自分の店を持つことができたのはミアとの愛があったからだ。自分にとっての芸術、ジャズは”愛” から生まれるものだ。
チャゼル監督のジャズに対する描き方が、『セッション』『ラ・ラ・ランド』の違いだ。しかし両作品とも我々の心を揺さぶるのは、チャゼル監督のジャズに対する深い敬意が根底にあるからだろう。
『ラ・ラ・ランド』最後の10分間の意味とは
女優になりたい。“映画” のミア。ジャズピアニストになりたい。”音楽”のセブが出会い恋に落ちて生まれた物語が”ミュージカル”『ラ・ラ・ランド』だ。
『ラ・ラ・ランド』、最後の10分間。ミアとセブの”もしこうなっていたら”という空想の世界がロマンチックに美しく描かれる。あのシーンが意味するものとは何であろう?
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